【あらすじ】当世の「遣使」(けんし)である南條忠信と朝妻秀頼は、山間での『闇の者』との戦いで思わぬ劣勢に陥ってしまう。そのとき、南條忠信に剣術と型を指南した波木(なみき)という男が現れ、南條忠信の助太刀に入った。そうして『闇の者』を斬り捨てることに成功したが、次に現れたのは、今までの『闇の者』とはまるで違う、異形と形容すべき怪物だった。
「やれやれ、お前達が惚けている間に、雑魚どもが逃げたではないか」
波木が呆れた顔で口を開いた。
「申し訳ございません」
「やむを得まい。あのような異形が出てくるとは儂も思わなんだ」
「師匠、最後に使ったあの型は……」
「あれは相生(そうしょう:五行思想の言葉)を用いたものだ。天破侠乱剣(てんはきょうらんけん)と言う。風を起こして火を生み、火は物を焼き尽くす。燃えたあとの灰はやがて土に帰り新たな物を生み出す。五行の力、木・火・土・金・水すべての力を借りた型の最終形と言えようかな」
「そんなことができるのですか」
「忠信、何ごとも決め付けてはならぬ。陰陽はひとりひとつと決められたものではない。現にいま儂が複数の力を使ったではないか」
「教えて下さい師匠!相生を用いることができれば、私は今以上に働けます」
気付くと南條忠信は叫んでいた。もし自分にも相生の力を使えたならば、いま以上に『闇の者』を屠ることができる。
波木は南條忠信をちらりと見ると、真面目な顔でぽつりと言った。
「使えるぞ」
「使える?」
「だが、いまのお前ではまだ無理だ。第一、先のていたらくは何だ。『闇の者』相手とは言え、あの程度の雑魚に苦労するようでは、相生を使いこなすなど夢のまた夢。そもそもそんな軟弱に鍛えたつもりはないのだがな」
「それは、『闇の者』とはここしばらく連戦続きで……」
「疲れているからとでも言いたげだな。それこそ修行が足りん証拠、さらなる精進に研鑽を重ねよ。話はそれからじゃ」
修行を終え、波木と別れてからずいぶん腕を上げたと思ったつもりが、まだまだ甘かったようだ。力なく肩を落とす南條忠信の前で、波木は再びため息を吐いた。
「ところでお前達。急ぎ都に戻るよう頼之殿に命じられているのではないか?」
「仰る通りです」
朝妻秀頼が南條忠信に代わって口を開いた。
「ですが、なぜ波木殿がご存じなので」
「儂も呼ばれたからだ。将軍の命ならば聞かなかったことにもするだろうが、頼之殿の頼みであれば無下にもできぬ」
何気ない口調ではあったが含みを感じる物言いでもあった。呆気に取られた南條忠信は、波木に支度するよう告げられると、急ぎ足で都に向かった。
京に戻った南條忠信は、朝妻秀頼とともに御所へと呼び出された。
将軍の邸宅、いわゆる「花の御所」は、帝が住まう京都御所のすぐ北に建てられていた。南は北小路、北は毘沙門堂大路、東は烏丸小路、西は室町小路と、それぞれ都の主要な通りに面した広大な敷地に、大小数え切れないほどの建物と幾つもの庭園を有している。
南條忠信と朝妻秀頼は烏丸口の通用門から御所に入り、遣使(けんし)に割り当てられた隠し間に入った。
この時代の遣使(けんし)は室町将軍の直轄として、幕府の旗本とは別に運営されていた。
だが将軍・足利義満(あしかがよしみつ)は多忙であり、実際は元管領の細川頼之が遣使(けんし)を仕切っている。
狭い入り口を通って中に入る。座敷には波木が座していた。南條忠信と朝妻秀頼が黙礼して末席に座る。しばらくすると細川頼之が姿を見せた。そのうしろには珍しく足利義満が供回りを連れずに入ってくる。
「お久しゅうござる、義満殿。それに頼之殿」
波木が深く頭を下げる。南條忠信と朝妻秀頼も両手をついて平伏した。
この年、33歳になる足利義満は、煌びやかな直垂(ひたたれ)に身を包み、波木を見ると鋭い目をほころばせた。傍に控える細川頼之も、齢60を超えるとは思えない、精悍な顔をしている。
「久方ぶりである、正儀(まさのり)殿。現在は波木と名乗っているらしいな」
正儀という聞き慣れない名前に南條忠信は内心首を傾げる。朝妻秀頼に目配せすると、やはり知らないという顔をしている。
「さっそくだが波木殿に頼みがある。幕府の勅使として山名氏清(やまなうじきよ)と山名満幸(やまなみつゆき)の領地に赴き、彼らに挙兵を断念するよう申し伝えていただきたい。南條忠信、朝妻秀頼の両名には波木殿の警護を命じる」
細川頼之の命を聞いた波木は眉をひそめた。
「この時期に使者とは、尋常ではありませぬな。そもそも山名が挙兵に及ぶは将軍の差配によるもの。いまさら何ごともなく幕府に恭順するとは思えませぬが?」
山名家と言えば、将軍家の命運をも左右する天下随一の大大名だ。先々代の山名師義(やまなもろよし)の時代から近畿と中国地方の11ヵ国の守護を務めており、広大な領地と権勢を誇っていた。
だが先代の山名時義(やまなときよし)亡きあとに、残った兄弟が分裂。山名師義の弟である山名氏清と四男の山名満幸は足利義満と組んで、幕府に敵対した長男の山名時熙(やまなときひろ)と次男の山名氏之(やまなうじゆき)を排除した。山名氏清と山名満幸は、足利義満から功績を称えられ、それぞれ山名氏之と山名時熙の領地を与えられた。
ところがその後、足利義満は山名時熙、山名氏之の罪を赦免し、さらに山名満幸に対して、山名時熙を攻めた責任を問うとまで言い出したため、怒り狂った山名満幸は山名氏清と共に、足利義満に叛旗を翻そうとしている。
「山名氏清、満幸の両名には『闇の者』に取り憑かれた嫌疑がかけられている」
「氏清殿と満幸殿にですか」
「先に両名が上洛した折、遣使(けんし)の北泉八重(きたいずみやえ)が不穏な気配を感じとった。南條忠信も朝妻秀頼も遣使(けんし)であれば、いかなる事態か理解できよう」
「ですが、氏清殿は以前より義満殿には親身だったはず。満幸殿はいささか乱暴な御仁ではあるものの、怯懦(きょうだ:気が弱く臆病)な性格であるとも知られております。将軍の意向に逆らう気骨があるとは思えませぬが……」
「ところが、そうでもなかった」
苦々しい顔で足利義満が口を開いた。
「満幸め。よりによって上皇の御料地(ごりょうち:所有地)を横領しおったのだ」
ことが起きたのはつい先日のことだ。山名満幸は領地である伯耆の国(現在の鳥取県)にある後円融上皇(ごえんゆうじょうこう)の御料を力尽くで接収。無論、幕府も即時返却するよう御教書(命令書)を発給したが、山名満幸はこれを無視した。
足利義満は、出雲と伯耆の守護職を召し上げ、都から山名満幸一党を追放した。この処置を逆恨みした山名満幸は、ますます意固地になっているようだ。
「馬鹿なことをしたものだ。ようやく天下が治まってきたというのに」
足利義満は不機嫌そうな顔でため息を吐く。
幕府が成立して半世紀が過ぎた現在でも、幕府の不安定は続いている。
そもそも初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)以来、将軍の立場は有力大名の連合の上に立つもので、基盤そのものが脆弱だったこともある。
そのときの有力守護といかに手を組むかで立場も影響力も変わるうえに、肉親や家臣がいがみ合うケースも多く、観応の擾乱(かんのうのじょうらん)が起きたり、離反した大名が南朝に降ったり、たびたび起きる政変で管領が代わるなど、不測の事態が発生する。時には初代尊氏が自ら南朝に降ったこともあるくらいだ。
「祖父尊氏が幕府を開いてから55年、余が将軍職を引き継いだあともなかなか太平の世が訪れぬ。そればかりか身内であるはずの幕府内部でも、争乱の種は至るところで燻るばかりだ。これは人の欲深さが原因と言えようが、同時にそれにつけ込む『闇の者』に要因があると思う。余はこれを何としても排除したい」
「人の心の内は目に見えませぬが、『闇の者』はそうでもありませぬからな」
表情を変えず口にする波木に、細川頼之が言った。
「ゆえに無理を承知で頼みたい。山名を探ってほしい。そして世に争乱を招く輩を討つべく手を貸してもらいたいのだ」
「なるほど……」
波木は天を向いて目を瞑り、しばしの間、黙考した。南條忠信は不思議だった。自分に『闇の者』と戦う術を伝授したのは波木なのに、何を迷う必要があるのだろう。
「名誉のお役目とは存じますが、ご辞退申し上げる」
「やはり、難しいか……お主なら山名も聞く耳を持つと思うのだが」
波木の返答を予想していたのだろう。足利義満は波木を見ながら嘆息した。
「かつての私であれば、喜んで拝命したでしょう。ですがその頃の私はすでに死んだとされております。ここにいるのは隠遁者の波木某。死人が世に出ては、これも世の争乱の原因になります。代わりにそこに控える南條忠信と朝妻秀頼を勅使に命じるようお願いいたします」
「波木の推挙であれば考えぬではないが、荷が重過ぎはしないか」
「相手が『闇の者』の可能性があるのなら、遣使(けんし)を任に当てるのは当然。両名とも若輩者でありますが、すでに歴戦の遣使(けんし)に引けを取らぬ経験を積んでおります。及ばずながら私が彼らを手助けします」
「補佐であれば引き受けると」
「はい」
波木の返答を聞いて、足利義満は肩をすくめた。
「では、南條忠信に朝妻秀頼。お前達を使者に任じる。将軍の意を汲み役目を果たせ。波木殿には改めて依頼したい。彼らを助けてやってくれ。くれぐれも彼らが先走らぬようにな」
「かしこまりました」
細川頼之の言葉に波木は深く頭を下げる。
「ところで波木殿、無理を承知での相談だが、再び幕府に帰参する気はないか。もちろん河内は引き渡す。兵も十分に用意するゆえ」
「将軍さま直々のお誘い、恐悦至極に存じますが、なにとぞご容赦いただきたい」
「やはりそうか。残念だ」
断られるのを予想していたのか、足利義満に立腹した様子はなかった。そこで波木は居住まいを正すと、今度は自分から口を開いた。
「ところで、このたび都に馳せ参じる道中、南條忠信と朝妻秀頼とともに、これまで見たこともない『闇の者』と遭遇しました」
「なに、お主すら見たこともない『闇の者』だと?」
足利義満と細川頼之は驚愕した。『闇の者』は人間に憑く先入観があるだけに、にわかには信じられぬに違いない。疑念が先立つのだろう。南條忠信が波木の指示で、道中で戦った異形を詳しく話すと、なおさら驚愕の色が濃くなった。
「まさか、そんな化け物がこの世に」
「非礼ながら申し上げます。このような異形が世に現れる事態です。『闇の者』は我らの知らぬ場所で勢力を拡大していると見るべきでしょう。早急に、遣使(けんし)側の人員増強を急ぐ必要があります。将軍と細川頼之殿にはぜひご検討いただきますよう」
波木は足利義満と細川頼之に向かい再度一礼してから席を立つ。南條忠信もそれに倣うと、急いで波木にしたがった。