「初代 直綱」は、「相州伝」(そうしゅうでん)随一の名工として名高い「正宗」(まさむね)の門人となり、その10人の高弟である「正宗十哲」(まさむねじってつ)のひとりにも数えられています。
相模国(現在の神奈川県)から石見国(現在の島根県西部)に移住し、南北朝時代から戦国時代にかけて、4代にわたり鍛刀を続けました。特に永和年間(1375~1379年)に活躍した「2代 直綱」の作例は評価が高く、江戸時代に、刀工ごとに切れ味を格付けした「古今鍛冶備考」(ここんかじびこう)において、「良業物」(よきわざもの)に選ばれています。
鍛えは地鉄(じがね)に「杢目肌」(もくめはだ)が交じり、刃文は「互の目乱」(ぐのめみだれ)が揃っています。厚く付いた「地沸」(じにえ)や「金筋」(きんすじ)、「砂流し」(すながし)などの働きが見られるのも直綱の特色です。