本刀は、昭和時代の戦時中に岡山刑務所(岡山県岡山市)で製造された軍刀。当時、岡山刑務所長を務めていた「江村繁太郎」(えむらしげたろう)の発案で、受刑者達の手により生み出された、いわゆる「江村刀」です。
第二次世界大戦時、愛刀家でもあった岡山刑務所長の江村繁太郎は、刑務作業として軍刀制作を行うことを計画します。国から認可を受けると、岡山刑務所には陸軍受命刀匠の「市原一龍子長光」(いちはらいちりゅうしながみつ)が招かれ、100名以上の受刑者が従事して多くの軍刀を生産。鍛刀や研磨など作業工程は分業化され、機械ハンマーでの鍛造も導入するなど軍部の需要に応えるため効率化が図られましたが、焼き入れと銘切りは江村繁太郎自身が担当したため「江村刀」の通称があります。
本刀は鎬造りで庵棟(いおりむね)、茎(なかご)は生ぶで化粧鑢(けしょうやすり)を切り、先は入山形(いりやまがた)。鍛肌は板目(いため)が沈みがちに詰んで所々流れて肌立ちます。
刃文は広直刃(ひろすぐは)調に小互の目(こぐのめ)や小丁子(こちょうじ)が交じり、刃中には小足(こあし)が盛んに入ります。匂(におい)は深く締まって刃縁は小沸(こにえ)づき、帽子(ぼうし)は直刃(すぐは)調。
本刀には1938年(昭和13年/皇紀2598年)制定の「九八式軍刀拵」が付属。当時、刑務所も含めて社会のあらゆるものが戦争にかかわっていたことを伝える資料でもあります。