本刀は、「村正 俊次 俊広」と、3人の銘が切られた合作。
「村正」とは、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)で3代に渡って繁栄した名工のこと。初代は1501~1504年(文亀年間)、2代は1532~1555年(天文年間)、3代は1573~1592年(天正年間)に活躍し、特に2代は出来が良いと言われています。
「俊次」とは相模国(さがみのくに:現在の神奈川県)の小田原鍛冶。「俊広」とは、恐らく俊次の兄弟であろうと思われる人物です。
村正には相州伝を思わせる作品があり、合作も多く遺っていることから、積極的に技術的交流を行なっていたと考えられます。
刃文は、大湾れ(おおのたれ)に互の目(ぐのめ)交じり、地鉄(じがね)は板目に杢交じり肌立ちごころで、2代村正の特色をよく示した日本刀。身幅が広く、先反りが付き、重ねが薄く、覇気がある、相州伝風の美麗な1振です。