安土桃山時代の文禄5年(1596年)2月、尾張国の犬山(現在の愛知県犬山市)にて、刀工の「兼法」(かねのり)が鍛えた「大太刀」(おおたち)。刃長が3尺(90cm)以上の太刀を大太刀と呼ぶことが多いですが、本品の刃長は4尺を超え、迫力あふれる1振です。
大太刀は南北朝時代から室町時代にかけて剛力の武将が用いました。特に「姉川の戦い」(あねがわのたたかい)にて、朝倉氏の家臣「真柄直隆」(まがらなおたか)が大太刀をふるって織田・徳川軍と戦った話は有名。熱田神宮(名古屋市熱田区)は、真柄直隆と「真柄直澄」(まがらなおずみ)の兄弟が所用したと伝わる一対の大太刀「大太刀 銘 末之青江」(太郎太刀)と「大太刀 銘 千代鶴国安」(次郎太刀)を所蔵、展示しています。
本大太刀は1回目の「朝鮮出兵」(ちょうせんしゅっぺい)の「文禄の役」(ぶんろくのえき)終盤に当たる時期に作刀された物で、「板目肌」(いためはだ)流れる「地鉄」(じがね)に「互の目」(ぐのめ)交じり「湾れ」(のたれ)の「刃文」(はもん)を焼き、ところどころ「沸」(にえ)付いた「刃縁」(はぶち)に「砂流し」(すながし)かかり、長く伸びた「大鋒/大切先」(おおきっさき)の作風からは、実戦の雰囲気が感じられます。
犬山では、室町時代末期に美濃国の関(現在の岐阜県関市)から移住した刀工が「犬山鍛冶」(いぬやまかじ)と呼ばれる集団を作り、江戸時代にも犬山城下で活動しました。本大太刀は年紀銘がある犬山の刀剣として最古級であり、資料的価値も確かです。