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安土桃山時代
なおえかねつぐ じょうしょ 直江兼続 条書 /ホームメイト

本状は、米沢藩(現在の山形県米沢市)初代藩主「上杉景勝」(うえすぎかげかつ)の家老として仕えた「直江兼続」(なおえかねつぐ)が、京都での滞在中、1595年(文禄4年)に発給した「条書」(じょうしょ)です。
条書とは、主家の立場にある武家が領民達に対し、命令を発する際に交付された文書のこと。戦国時代の条書には、軍事的な命令や、法令などが箇条書きで書かれ、それらを強制的に守らせる効力がありました。宛名にある「立岩喜兵衛」(たていわきへえ)は、庄内藩金山(現在の山形県最上郡)の代官などを務めていた人物。
本状には「勝手な振る舞いをしていた小沢氏の知行を没収し、大浦(現在の山形県南陽市)にその身を移させること」、「雪のために3分の1ほど残っている櫛引郡(くしびきぐん:現在の山形県東田川郡)の検地は、引き続き行うこと」、「現地で起こった問題などについての算用は、そちらに任せるので上洛は不要。報告だけ送って下さい」というような内容が、7条に亘って記されています。
上杉景勝による領国経営の一助となるべく、直江兼続が国元(くにもと:大名の領地)に対して、様々な指示を出していたことが窺える文書です。
