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安土桃山時代
はしばひでよし はんもつ 羽柴秀吉 判物 /ホームメイト

本状は1577年(天正5年)、「羽柴秀吉」(のちの「豊臣秀吉」)が芸事を生業(なりわい)としていた「猿若」(さるわか)宛てに送った「判物」(はんもつ)です。
「判物」は、「知行宛行状」(ちぎょうあてがいじょう)とも呼ばれ、主君から家臣などへ所領を安堵したり、俸禄を給与したりする際にその証しとして与えた文書のこと。
本状において羽柴秀吉は、鉄砲の生産地として知られていた国友河原(現在の滋賀県長浜市)の地を猿若に与えること、そして一層奉公に励むよう伝えています。
猿若にあてがわれた国友川原の地は、1573年(元亀4年/天正元年)、羽柴秀吉が「浅井家」(あざいけ)への侵攻で挙げた武功により、主君「織田信長」より賜った北近江3郡のうちの一部でした。
1577年(天正5年)、羽柴秀吉は織田信長軍に属する武将として各地を転戦していたため、領地である長浜にはあまり滞在していなかったと考えられており、羽柴秀吉による領内での政治について記された史料は、あまり多く残されていません。このようなことからも本状は長浜時代の羽柴秀吉について窺い知れる貴重な史料であると言えます。
