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安土桃山時代
とくがわいえやす しゅいんじょう ちぎょうあてがいじょう 徳川家康 朱印状 知行宛行状 /ホームメイト

「知行宛行状」(ちぎょうあてがいじょう)とは、主君が家臣に与えた知行(俸禄として土地を与えること。またその土地)の権利を保証した文書のこと。
「徳川家康」は、「石清水八幡宮」(いわしみずはちまんぐう)へ詣でたときに、「亀女」(かめじょ:のちの「お亀の方」)を見初めると、1594年(文禄3年)に側室に迎えました。
亀女は、石清水八幡宮の社務(しゃむ:神社の事務をつかさどる役職)であった田中家の分家にあたる「正法寺」(しょうぼうじ)の住職「志水宗清」(しみずむねきよ)の娘で、のちに尾張徳川藩の祖となる「徳川義直」(とくがわよしなお)を出産します。
徳川家康は、石清水八幡宮へ「検地令免許、守護不入」(けんちれいめんきょ、しゅごふにゅう:土地の測量を行なわず、守護による租税の徴収や罪人の捕縛を行なわないこと)の朱印状を与えました。こうした特権を得られたのは、亀女の働きによるところが大きかったと考えられています。
石清水八幡宮はのちに、尾張徳川家からの庇護を受けることとなりました。
