鋳物
未査定
こうしつかんいんのみやかもんひばち 皇室閑院宮家紋火鉢/ホームメイト

奈良時代に暖房器具として登場した火鉢は、薪のように煙が出ないことから、はじめに公家や上位の武家で使われるようになりました。その一部は調度品として発達し、飾り金具をあしらった金属製の火鉢や、華やかに色付けされた陶器製の火鉢も作られています。
本火鉢もまた精緻な装飾が施された逸品であり、「世襲親王家」のひとつ「閑院宮家」(かんいんのみやけ)に伝来しました。「閑院宮家」は、旗本の「新井白石」(あらいはくせき)の進言により、江戸時代中期の1710年(宝永7年)に「東山天皇」の第6皇子「直仁親王」(なおひとしんのう)が創立した宮家です。
その後の1779年(安永8年)、「後桃園天皇」(ごももぞのてんのう)が嗣子(しし:跡継ぎ)のないまま崩御したため、閑院宮家2代当主「典仁親王」(すけひとしんのう)の第6皇子「兼仁親王」(ともひとしんのう)が「光格天皇」(こうかくてんのう)として即位。以来、閑院宮家(光格天皇)の血筋が現在の皇室まで続いています。
本火鉢は、閑院宮家の家族が庭遊びに興じる際に手を温めたり、湯を沸かしたりするなど、娯楽に用いられてきました。実際に使用されたとは感じられないほど状態も良く、菊の葉に彩られた閑院宮家の家紋「閑院菊」(かんいんぎく)の装飾も鮮やかです。宮家の古雅な生活様式が偲ばれる貴重な美術品と言えます。