扇
江戸時代 後期
てっせん くろじきんのにちぞう 鉄扇、黒地金ノ日像/ホームメイト
親骨は鉄でできており、12本ある中骨は竹製で黒漆が塗られています。また、骨は総体的に細くなっており華奢な印象です。
両面とも地紙は黒色に塗られており、片面は金色の日像(にちぞう:太陽をかたどった物)を描き、片面には朱色の日像が描かれています。
通常の軍扇は、片面に月を表す丸、もう片面に太陽を表す丸を描きますが、本軍扇は両面共に太陽を表す丸が描かれているのが特徴。これは江戸時代後期と言う比較的平和な時期に制作された物であるからと推測されます。
戦国時代において、合戦をする日が縁起の良い日(吉日)か、縁起が悪い日(悪日)かは重要なことでした。合戦の日が吉日の場合、昼間は軍扇に描かれた太陽を意味する丸を表にして扇の骨を6つまで開き、残りの6つの骨は畳んだままにします。夜になれば反対側の月を意味する丸を表にして昼間同様に骨を6つ開き、残り6つを閉じました。そして、合戦に勝利したときにはすべての骨を開きます。
一方で、悪日に合戦をしなければならない場合は、吉日と反対のことをしました。昼間に月側を表にして骨を6つ開き、残り6つは閉じ、夜間に太陽側を表にして同様のことをします。吉日と反対のことをすることで、悪日を吉日へと変えたのです。
こうした吉凶にかかわる事柄を判断したのは「軍師」と呼ばれる家臣。軍師は、合戦における作戦を練るだけではなく、占いや祈祷などの役割を担って全軍の士気を支える存在だったのです。
江戸時代になると、領土を奪い合う戦国時代とは違い、争乱が起きる理由の多くが領主に対する不平不満の表れである「一揆」と言う形態に変わったため、軍扇を用いた吉凶占いはほとんど行なわれなくなりました。




