火縄式銃砲
まらっかなんばんづつ マラッカ南蛮筒/ホームメイト

本銃は、マレー諸島の様々な民族によって制作された、「イスティンガー」(Istinggar)と呼ばれる「マラッカ式火縄銃」の一種です。
1511年(永正8年)、ポルトガルがマラッカ王国(マレー半島南部とスマトラ島東部)を占領。ポルトガルの武器が現地の銃器に影響を与えた結果、イスティンガーが生み出されたと言われています。
マラッカ王国やその周辺地域には、ベディルあるいはジャワ・アーキュバスと呼ばれる原始的な銃身の長い銃がありました。しかしマラッカ王国の銃工達は、当時ポルトガルの植民地であった「ポルトガル領インド」で生産された新しい銃器のデザインをいち早く取り入れたのです。
イスティンガーの誕生は日本への火縄銃伝来とも無関係ではありません。
日本の歴史研究では、1543年(天文12年)にポルトガル商人によって種子島へ持ち込まれたのはヨーロッパで制作された火縄銃だと思われていました。しかし、近年の研究では、ポルトガル商人が持っていたのは、この東南アジアで改良されたマラッカ式火縄銃であったとする説が有力になっているのです。
通常のイスティンガーは日本の火縄銃よりも全長が長く、城壁などからの依託射撃(2脚・3脚で支えるなどして銃を安定した状態で撃つこと)、または、船の縁からの射撃に使われたと考えられています。