当具足「鉄錆地龍打出金小札紺糸威五枚胴具足」(てつさびじりゅううちだしきんこざねこんいとおどしごまいどうぐそく)は、肥前国(現在の佐賀県・長崎県)島原藩松平家に伝来した甲冑(鎧兜)で、胴と頬当に「明珍宗察」(みょうちんむねあきら)の作者銘と、1747年(延享4年)に制作されたことを表す年紀銘が入れられた大変貴重な当世具足です。
鉄板を蝶番で繋いだ五枚胴は、玲瓏な龍と波が力強く打ち出されている「打出胴」(うちだしどう)で、兜のシコロや袖、草摺が紺糸で縅されています。打出胴は、江戸時代に隆盛した甲冑師の一派である明珍派が得意とした技術で、明珍宗察も同様に鉄地に文様を浮かび上がらせる打出しに優れた名工です。
兜は「三十二間四方白星兜」(さんじゅうにけんしほうじろほしかぶと)で、四方に赤銅の地板をかぶせた上に、前3本、後左右に2本の篠垂(しのだれ)が付けられています。天辺の座や鍬形台は豪奢な飾り金具や枝菊紋(えだぎくもん)の透かし彫りで装飾され、銀製の前立は島原藩松平家の家紋である「重ね扇」が付けられた高級感の溢れる1領です。