於竹(良雲院)
「於竹」(おたけ)は、「徳川家康」(とくがわいえやす)の側室であった女性のひとり。院号(いんごう:戒名)は「良雲院」(りょううんいん)です。
甲斐武田家(かいたけだけ)家臣「市川昌永」(いちかわまさなが)の娘であったと言われていますが、出自に謎が多く定かではありません。
於竹の父親については他にも「武田信玄」(たけだしんげん)説や、甲斐武田家家臣の「穴山信君」(あなやまのぶただ)説、あるいは「秋山虎康」(あきやまとらやす)の説もあります。
於竹は1582年(天正10年)以降に、徳川家康の奥勤め(おくづとめ:屋敷内の家政を担う使用人)となりました。
1580年(天正8年)、徳川家康の三女「振姫」(ふりひめ)を「浜松城」(はままつじょう:静岡県浜松市)で出産。ですが、振姫の母は、同じく側室の「於都摩」(おつま:別名は下山殿[しおもやまどの]、院号は長慶院[ちょうけいいん])とも言われています。
於竹は1637年(寛永14年)3月12日に亡くなり、徳川家康が建立した「西福寺」(さいふくじ:東京都台東区)に葬られました。