鐙(あぶみ)
江戸時代 中期
かしゅうじゅうよそうえもんのじょうさださく
てつじめゆいしっぽうつなぎぎんぞうがんあぶみ
加州住与三右衛門尉盛定作
鉄地目結七宝繋銀象嵌鐙/ホームメイト

本鐙を制作した「与三右衛門尉盛定」は、承応年間(1652~1655年)に京都・伏見より金沢に招聘された人物です。加賀国(かがのくに:現在の石川県南半部)で発達した「加賀象嵌」(かがぞうがん)は、加賀藩2代藩主の「前田利家」が京都から金工宗家「後藤琢乗」(3代)を招き、装剣技術を開発したのが始まりとされています。
本鐙は、鉄地全体に「七宝文」と「目結文」をつなげて連続させた模様を作り上げ、銀象嵌を施しているのが特徴です。「紋板」にも、目結文の透かしがデザインされ、統一されています。また、「踏込」(ふんごみ)という足を乗せる部分にも、流水雪花と梅花が描かれていて豪華。さらに、露落(つゆおとし:水抜き)をするための五角形の穴が開けられていて機能的。
まさに、美と機能が傑出した高級仕様の鐙です。
本鐙は、鉄地全体に「七宝文」と「目結文」をつなげて連続させた模様を作り上げ、銀象嵌を施しているのが特徴です。「紋板」にも、目結文の透かしがデザインされ、統一されています。また、「踏込」(ふんごみ)という足を乗せる部分にも、流水雪花と梅花が描かれていて豪華。さらに、露落(つゆおとし:水抜き)をするための五角形の穴が開けられていて機能的。
まさに、美と機能が傑出した高級仕様の鐙です。