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室町時代
たけだしんげん りゅうしゅいんじょう(そうしゃ やまがたさぶろうひょうえのじょう) 武田信玄 龍朱印状(奏者 山縣三郎兵衛尉) /ホームメイト

武田信玄の朱印状のひとつ「龍の朱印」は大きく分けて「上り龍」「下り龍」の2種類があり、本朱印状には右足に玉を掴む下り龍の印が押されています。
この龍朱印状の管理者は、山縣昌景(やまがた まさかげ)、跡部勝資(あとべ かつすけ)、土屋昌次(つちや まさつぐ)などごく少数の重臣に限られており、彼らが武田信玄の意向を文書にしたため、龍朱印を捺印していたのです。
本朱印状は、そのなかのひとりである山縣昌景によって作られた朱印状。宛名が書かれていませんが、郷内または制圧した豪族に出された朱印状で、武田信玄が普請(ふしん:土木工事の労役)のための人手を求めている旨が記されています。
とても簡潔な内容ですが、最後に「前に約束した通りに、軍役を務めた者には俸禄(ほうろく:大名に仕えた者が受ける給与のこと)を与える」と念押しして締め括られていることから、この普請が急を要するものであることが想像できます。
山縣昌景は武田四天王のひとりに数えられ、その部隊は軍装を赤で統一した「赤備え」として恐れられていました。
なお、「元亀(げんき)元年3月26日」の日付けは、文頭の「辛未(かのとひつじ)」の記述から「元亀2年3月26日」の誤りであると思われます。
