未査定
明治時代
ふるしままつのすけ とうごうていとく、させぼびょういんにろじぇすとゔぇんすきーていとくをみまうず 古島松之助「東郷提督、佐世保病院にロジェストヴェンスキー提督を見舞う図」 /ホームメイト

本油絵は、日本軍の「東郷平八郎」提督一行が、佐世保病院(現在の長崎県佐世保市)に入院していたロシア軍「ロジェストヴェンスキー」提督を見舞う様子を描いています。東郷平八郎が手を握って一生懸命に言葉を掛けているのに対して、ロジェストヴェンスキーは神を崇めるような目で見つめ返しているのが印象的。
これは、1904年(明治37年)から1905年(明治38年)にかけて行われた「日露戦争」あとの様子です。日露戦争とは、日本とロシアが朝鮮・満州の支配権をめぐって争った戦争のこと。日本軍は、日露戦争最大の海戦と言われた「日本海海戦」で大勝利しました。その日本海海戦で、日本軍の連合艦隊司令長官を務めたのが東郷平八郎、負けたロシア軍のバルチック艦隊司令長官を務めたのがロジェストヴェンスキー。
ロジェストヴェンスキーは、頭部に重傷を負って、撤退中に日本軍の捕虜となり、海軍病院(現在の長崎県佐世保市)に収容されて治療を受けていたのです。礼節を尽くす東郷平八郎に感銘したロジェストヴェンスキーは、「敗れた相手が閣下であったことが、私の最大の慰めです」と述べ、涙を流したとのこと。この絵の通り、東郷平八郎がロジェストヴェンスキーを見舞った出来事は、美談として語り継がれています。
本油絵を描いたのは、洋画家「古島松之助」(ふるしままつのすけ)。明治時代に、海軍従軍画家となり、蘇州の風景画や日露戦争に関する作品を数多く描きました。本作品は、1932年(昭和7年)10月に海軍省海軍軍事普及委員会から改組された「海軍省海軍軍事普及部」の収蔵品で、1937年(昭和12年)の展覧会に出品された1枚です。