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室町時代
あしかがよしまさそではんのみきょうじょ 足利義政袖判御教書 長禄四年四月二日 /ホームメイト

室町幕府8代将軍「足利義政」(あしかがよしまさ)が、1460年(長禄4年)4月2日に出した書状です。越前国(現在の福井県)野田本郷の土地を「一色七郎政熙」(室町時代の武将[上杉教朝]の子で、[一色義直]の養子)という人物に与えることを記しています。
本書状は、本文のはじめに足利義政の花押(かおう:署名の一種)が添えられた「御判御教書」(ごはんのみきょうじょ)です。文頭(袖)に書かれた花押は、袖判(そではん)と言います。
御判御教書は、室町幕府の将軍が花押や署判(しょはん:署名のこと。書判[かきはん]とも言う)を記して出す書状のことです。花押の位置や文書の受取者をどこに記すかは様々。これらがどのように記されているかによって、差出人に対してどれほど礼儀をつくしているかが分かります。
花押は、文頭(袖)に書かれた書状に比べて、日付の後ろに書かれたほうが礼儀をつくしていると言うことができます。また、宛先は文末に書かれたものが厚礼です。
この書状の場合、花押は袖に書かれ、書状を受け取る一色政熙の名は本文のなかに織り込まれていますので、薄礼で尊大な形式ということができます。
