松平忠政
「松平忠政」(まつだいらただまさ)は、「徳川家康」(とくがわいえやす)の異母兄とされている人物です。
父は「松平広忠」(まつだいらひろただ)、母は大給松平家(おぎゅうまつだいらけ:十八松平家のひとつであり、三河国大給[みかわのくにおぎゅう:現在の愛知県豊田市]を本拠地とした)2代当主「松平乗正」(まつだいらのりまさ)の娘「お久」(おひさ)。
母であるお久は、「於大の方」(おだいのかた:徳川家康の生母)が「岡崎城」(おかざきじょう:愛知県岡崎市)の松平広忠に輿入れした際、松平忠政を連れて三河国桑谷村(みかわのくにくわがいむら:現在の愛知県岡崎市)へ移ったと言われています。
そののち、徳川家康と同日に松平忠政が生まれますが、当初から僧侶となることが決定。法名は「頴新」(えいしん)・「恵新」(けいしん)、のちに「樵暗恵最」(しょうあんえさい)を名乗ります。
1562年(永禄5年)、徳川家康は、父・松平広忠のために「広忠寺」(こうちゅうじ:愛知県岡崎市)を建立。松平忠政(樵暗恵最)が初代住職となりました。広忠寺境内には、お久・松平広忠・松平忠政の墓があります。