於夏(清雲院)
「於夏」(おなつ)は、江戸幕府初代将軍「徳川家康」(とくがわいえやす)の側室だった女性です。
兄「長谷川藤広」(はせがわふじひろ)が徳川家康に仕えていたことから、1597年(慶長2年)、於夏は17歳で「二条城」(にじょうじょう:京都市中京区)の奥勤め(おくづとめ:屋敷内の家政を担う使用人)となります。於夏は、徳川家康からの寵愛を受けましたが、子は授かっていません。
1616年(元和2年)に徳川家康が亡くなると、於夏は落飾(らくしょく:毛髪を落として仏門に入ること)して「清雲院」(せいうんいん)と名乗り、「駿府城」(すんぷじょう:静岡県静岡市)から「江戸城」(えどじょう:東京都千代田区)二の丸へ、さらに「小石川御門」(こいしかわごもん:江戸城外郭門のひとつ)の内邸へと移り住みます。
1660年(万治3年)に80歳で亡くなった於夏(清雲院)は、徳川家康の側室の中で最長寿の女性でした。なお、於夏(清雲院)の墓は「伝通院」(でんつういん:東京都文京区)にあります。