於富(信寿院)
江戸幕府初代将軍「徳川家康」(とくがわいえやす)の側室は20人以上もいたとされており、「於富」(おとみ)も徳川家康の側室であった女性のひとりです。
俗名が「山田富子」(やまだとみこ)であることから、山田氏(やまだし:清和源氏[せいわげんじ]一族とされる)を父に持つと言われています。
ただし、それ以外は院号(いんごう:戒名)が「信寿院」(しんじゅいん)であることが判明している程度。生年をはじめとする、於富の出自は、大部分が明らかになっておらず、謎が多い女性なのです。
1628年(寛永5年)に没したとされる於富の墓があるのは、「池上本門寺」(いけがみほんもんじ:東京都大田区)。於富の墓碑には、夫婦などを意味する「逑」を入れた「東照權現逑遇」(とうしょうごんげんきゅうぐう)という文字が記されています。