日本庭園の美しさは、作庭家による緻密な設計や意図によって表現されています。構図や遠近感を考慮するだけでなく、池泉や「石組」(いしぐみ:石を組み合わせて配置すること)に意味をもたせている庭園も多いのです。日本庭園の構成や配置に注目し、庭園に隠された様々な意味や工夫について見てみましょう。
西芳寺
日本庭園では、園外の山や森林なども景観に取り込むことがあります。これは「借景」(しゃっけい)と呼ばれる手法で、特に室町時代以降の「禅宗寺院庭園」(ぜんしゅうじいんていえん)や「大名庭園」(だいみょうていえん)などで採用。起源は定かではありませんが、庭園の一手法として確立させたのは、室町時代の作庭家「夢窓疎石」(むそうそせき)だと言われています。夢窓疎石が手がけた「西芳寺」(さいほうじ、苔寺とも言う:京都市西京区)の庭園や、「天龍寺」(てんりゅうじ:京都市右京区)の曹源池庭園(そうげんちていえん)などが、借景を採用した日本庭園として有名。特に天龍寺では、亀の形をした曹源池に設けられた亀島と、背後にそびえる亀型の山を対比させることで、独特の景観を造り出しています。
借景によって得られる最大の効果は、実際の広さ以上の奥行きが感じられる点。視覚面だけでなく心理面においても作用し、庭園の魅力を引き立てます。
借景の手法は、庭園外の景観も維持しなければならず、管理の難しさから、夢窓疎石没後は衰退。江戸時代に入ってから、「小堀遠州」(こぼりえんしゅう)の手によって、「南禅寺」(なんぜんじ:京都市左京区)や「大徳寺」(だいとくじ:京都市北区)の方丈庭園などに採用され、再び注目を集めるようになったのです。
仙巌園
日本庭園の多くは、「前景」(ぜんけい)、「中景」(ちゅうけい)、「遠景」(えんけい)の大きく3つの空間で構成されています。この三段構成によって、鑑賞者がより日本庭園を立体的に見られるように工夫が凝らされているのです。
前景は、背後の景観を引き立てるための空間のことで、建物の軒先近くに樹木を植えることで、「主景」(しゅけい:メインとなる風景)の額縁効果を生みます。樹木の枝越しに奥の風景を見せる「透かし」を演出したりすることで、景観を引き締める効果や不要な景色を隠す効果があるのです。
中景はちょうど視界の中心部にあたるため、多くの場合は、景観のもっとも重要な部分にあたります。池泉が配されるのが一般的で、特に緻密に計算のうえでの庭づくりが必要となる場所です。庭園によっては、主景が中景部分ではない場合もあります。例えば、江戸時代後期の大名庭園「仙巌園」(せんげんえん:鹿児島県鹿児島市)では、背後に広がる桜島が主景となっており、中景ではなく遠景が庭の最重要部分です。
遠景は、庭園の奥に広がる領域を指し、主に庭園最奥の樹木や、近隣の山などの借景が該当します。前景同様に、景観美を引き立てるのが役割ですが、前景と遠景の趣が似てしまうと奥行が感じにくくなるため、例えば前景には針葉樹を植えて、遠景には落葉樹を配置するなどの工夫もあるのです。
日本庭園は、自然風景の再現や模倣を重視した庭園です。池泉や庭石、樹木などは自然に近いかたちで配置され、庭園の構図も左右非対称になっています。日本で庭園が造られはじめた飛鳥時代などは、方形の池泉が主流でしたが、平安時代初期には、池泉の岸が曲線となった「州浜」(すはま)へと変化。以降、庭園全体が自然の景勝を模倣して造られるようになりました。作庭家は、自然風景の美しさをどうやって演出するかを追求し、様々な意匠を凝らすようになったのです。
そうして生み出された景観設計のひとつが、遠近法。景観への没入感を高めるため、より自然なかたちで奥行きを演出します。例えば、前景と遠景で庭石の大きさを変えたり、池泉の形状を奥に行くほど狭めたり、借景の山々に植えられた木々と庭園内の木々を似せることで景観の連続性を生み出したり、手法は多彩です。
なかでも巧みな遠近法が用いられている好例が、「龍安寺」(りょうあんじ:京都市右京区)の石庭。南北約10m、東西約25mの枯山水ですが、背後の塀に高低差を付けたり、庭石を奥に行くほど小さくしたりすることで、視覚的な奥行きを演出しているのです。こうした手法は現代にも受け継がれ、アメリカの日本庭園専門誌「The Journal of Japanese Gardening」(ザ・ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング:訳[日本庭園の雑誌])で庭園日本一の称号を得た「足立美術館」(あだちびじゅつかん:島根県安来市)の庭園などにも見ることができます。樹木や岩の大小を重ねる演出はもちろん、背後にそびえる山に向かって徐々に地表を高くするなどの工夫により、広がりのある景観を生み出しているのです。
また、鑑賞者を楽しませるための意匠として、「見え隠れの効果」も重要な景観設計のひとつ。一度にすべてを見せないように庭園をデザインする手法で、樹木や建物、苑路などの配置によって景観の一部を遮断します。見えない部分があることで、鑑賞者の期待感や想像力を一層かき立てるのです。移動するにしたがって徐々に全貌が露わになる設計は、江戸時代前期に造られた「桂離宮」(かつらりきゅう:京都市西京区)などで用いられています。奥ゆかしさに美を見出す日本人の精神性に適うとして、重視されている手法です。
枯山水
日本庭園の構造には、時代ごとに流行した思想が反映されています。例えば、もともと禅寺の庭園に用いられた枯山水には、よく白砂に曲線や渦巻きなどの模様を入れる「砂紋」(さもん)が見られますが、これは光と影の対比によって海や川を描き出す手法。無駄をなくし、模様によって山水を想起させるという美意識は、世俗を離れて自身の精神と肉体の同一性を探究する「禅」(ぜん)の思想を表しているのです。
他にも、背の高い石を中心に立てて周りに「九山八海」(くせんはっかい:小世界のこと)を配した「須弥山」(しゅみせん:仏教やヒンドゥー教で世界の中心にあるとされる想像上の山)、「築山」(つきやま:山をかたどって石や土を盛り上げた小山)に石組を施して観音菩薩のいる場所を表現した「普陀落山」(ふだらくせん)、大小3つの石を「三尊仏」(さんぞんぶつ:仏と菩薩で構成される仏像の代表的な配置形式)に見立てた「三尊石組」(さんぞんいわぐみ)など、象徴性を備えた石組は他にもあります。
いずれも仏教の世界を表しており、石組における基本型。石組には、配石の位置や形、組み合わせによって様々な意味が生じるため、各造形に込められた意味を知ると、より庭園鑑賞が楽しくなるのです。