第10章 2つの世界大戦とアジア

高校市民生活の変容と大衆文化
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明治時代末期から、日本社会における近代的な都市化が進みます。高層アパートの建設、私鉄電鉄の設立、市電・バスやタクシーの普及によって利便性が急速に発展しました。また、サラリーマンが職業として台頭し、仕事に就く女性の数も飛躍的に増加。さらにラジオ・新聞、雑誌が一般化し「大衆文化」が生まれたのです。文学面では普通選挙を求める「大正デモクラシー」に影響され、芸術的かつ耽美な作品や、社会主義を説いたプロレタリア文学が生み出されました。

市民生活の変容と大衆文化

第一次世界大戦」のさなか、日本経済が飛躍的に発展し、様々な分野で近代化が進んだことで、市民生活・大衆文化にも大きな変化が見られるようになります。

都市化の進展と市民生活

阪急電鉄

阪急電鉄

東京や大阪などの大都市では、建物の近代化と洋風化が急速に進み、人々の生活は一変しました。鉄筋鉄骨コンクリート造のオフィスビルが続々と建設された他、個人の住宅建築時にも「文化住宅」(ぶんかじゅうたく:洋風を採り入れた住宅)が増えていきます。

また、「関東大震災」の義援金(ぎえんきん:被災者支援に向けて寄せられた寄付金)をもとに内務省によって設立された、財団法人「同潤会」(どうじゅんかい)は東京・横浜において4~5階建てのマンションなどを建設。都市部における街の景観は大きな変貌を遂げたのです。また、ガス・水道設備が整備され、電灯も広く普及したことで、生活の利便性が飛躍的に向上します。

さらに東京・大阪で地下鉄が開通した他、都市部では市電・バス、タクシーといった交通機関が発達して移動の選択肢も増えたのです。さらに、多彩な種類の商品を販売する百貨店も大きく発展。これまでは、江戸時代から続く呉服店から派生した店舗が多く見られましたが、主要駅周辺を中心に私鉄が運営する百貨店が続々と登場します。

1907年(明治40年)に設立された「箕面有馬電気軌道」(みのおありまでんききどう:現在の阪急電鉄)がその代表例で、ターミナルとなる「梅田駅」(うめだえき)には百貨店を開業した上、沿線に住宅地を開発しながら遊園地などの娯楽施設も設けて、乗客の増加を目指しました。

こうした近代化に伴い、大都市では事務系の職場で勤務する「俸給生活者」(ほうきゅうせいかつしゃ:サラリーマン)が大量に出現。また、仕事を持つ女性も増えて「職業婦人」(しょくぎょうふじん)と呼ばれました。なお、女性を中心として服装の洋装化も目立ち、洋装洋髪の最先端ファッションに身を包んだ「モダンガール」(通称:モガ)は、大正時代の若者ファッションの象徴となっています。

大衆文化の誕生

日露戦争」(にちろせんそう)後に義務教育が普及すると、識字率が大幅に増加。それに伴い新聞・雑誌、ラジオ、映画などのマスメディアが急速に発達し、サラリーマン・労働者などの間で「大衆文化」が誕生しました。新聞においては、第一次世界大戦や関東大震災などの大事件・大災害により、発行部数が大幅に伸びます。

大正末期には「大阪毎日新聞」(現在の毎日新聞大阪本社)、「東京朝日新聞」(現在の朝日新聞東京本社)、「東京日日新聞」(現在の毎日新聞東京本社)のように、日々100万部以上の発行部数を誇る新聞が現れました。

雑誌の発行も盛んで、現代まで続く「中央公論」、「文藝春秋」といった総合雑誌をはじめ、「週刊朝日」、「サンデー毎日」などの週刊誌、「主婦之友」などの女性誌も登場。また、昭和時代に入ると1冊1円(現在の630円相当)の「円本」(えんぽん)や娯楽雑誌も刊行され、趣味として雑誌購読を楽しむ人達が増えていきます。

また、1925年(大正14年)から東京、大阪、名古屋でラジオ放送が開始。翌1926年(大正15年)には、放送局を統合する形で「日本放送協会」(NHK)が設立されます。そして、映画業界では「日本活動写真株式会社」(現在の日活)、「松竹合名会社」(現在の松竹)といった映画制作・配給会社が制作を始めました。

学問と芸術

柳田國男の像

柳田國男の像

大正デモクラシー」(大正時代における自由主義・民主主義的な運動)の活発化に伴い、多種多様な学問や芸術が発達していきます。

歴史学においては「津田左右吉」(つだそうきち)が「古事記」、「日本書紀」を科学的な分析で説き、「柳田國男」(やなぎたくにお)は民間伝承・風俗習慣などの研究を通じて民衆の生活史を明らかにし、「民俗学」(みんぞくがく)の確立に貢献しました。

また、自然科学の分野では「黄熱病」(おうねつびょう)を研究した「野口英世」(のぐちひでよ)、「KS磁石鋼」を発明した「本多光太郎」(ほんだこうたろう)などの優れた科学者が登場します。文学では都会的感覚と西欧的教義を持ち合わせた「有島武郎」(ありしまたけお)、「武者小路実篤」(むしゃのこうじさねあつ)、「志賀直哉」(しがなおや)らの「白樺派」(しらかばは)が、雑誌「白樺」を中心に活動。明るい作風で世の人々を楽しませました。

一方、「永井荷風」(ながいかふう)や「谷崎潤一郎」(たにざきじゅんいちろう)をはじめとする、美を人生の最高の価値とした「耽美派」(たんびは)は、小説を芸術の域にまで高めます。

さらに、「芥川龍之介」(あくたがわりゅうのすけ)、「菊池寛」(きくちかん)らの「新思潮派」(しんしちょうは)による理知的な文学作品も広く人気を集めたのです。なお、文学でも「社会主義」(しゃかいしゅぎ:平等で公正な社会を目指す思想)の影響が見られました。

なかでも1917年(大正6年)に発行された「河上肇」(かわかみはじめ)の「貧乏物語」(びんぼうものがたり)は多くの読者を魅了するとともに、学問研究の分野にも大きな影響を与えます。そういった風潮のなかで「プロレタリア[労働者]文学運動」が起こり、これに付随して1921年(大正10年)には、機関誌「種蒔く人」が刊行。

掲載された作品としては、「小林多喜二」(こばやしたきじ)の「蟹工船」(かにこうせん)や「徳永直」(とくながすなお)の「太陽のない街」などが有名です。また、演劇では1924年(大正13年)に「小山内薫」(おさないかおる)が、「土方与志」(ひじかたよし)と共に「築地小劇場」を設立。

「新劇」(しんげき:ヨーロッパ流の近代的な演劇を目指した日本の演劇)運動の中心地となりました。美術の分野では、「文部省美術展覧会」が盛んに開かれた他、日本画では「横山大観」(よこやまたいかん)を筆頭に美術家団体「日本美術院」(にほんびじゅついん)が再興され、展示会の「院展」を開催。近代絵画としての新しいスタイルが確立されていったのです。

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