こんにちは!刀剣ワールドライター・こだちです。2023年(令和5年)5月7日(日曜日)放送のNHK大河ドラマ「どうする家康」の第17話「三方ヶ原合戦」はご覧になりましたか。 この合戦は、徳川家康が生涯で遭遇した「三大危機」に数えられる大ピンチのひとつですから、「どうする家康」前半のクライマックスになるはず。「どうする家康」では、この第17話と次回第18話の2回に分けて、たっぷり描くようです。今回は、第17話で印象的だった、戦いを前にした徳川家康や家臣、その家族らの表情や言葉を振り返り、第18話「真・三方ヶ原合戦」への期待を綴ります。
徳川家康
2023年(令和5年)5月7日(日曜日)に放映された大河ドラマ「どうする家康」第17話「三方ヶ原合戦」は、合戦場面がほとんどなく、この「三方ヶ原の戦い」(みかたがはらのたたかい)が、時代のゆくえを決すると予感している徳川家康や、周囲の人々の高揚と怯えを丁寧に描きました。
徳川家臣団のリーダー、「酒井忠次」(さかいただつぐ)の妻「登与」(とよ)は気丈で陽気な女性ですが、今回は悲痛な面持ちで夫に持たせる握り飯を作っています。
その登与を、夫の酒井忠次は「髪に何かついている」と、とぼけたふりをして抱き寄せるのです。いつも、ふざけ合っていた夫婦の、これまでにない神妙なシーンから、今回の戦いは厳しく、勝ち目が薄いのだと伝わってきました。
いつもと様子が違うと言えば、織田信長も同様です。「どうする家康」での織田信長は、幼い徳川家康を武芸で打ちのめして恐怖心を植え付けて以来、心理的に支配し続けています。
ときには徳川家康に「俺の白うさぎ」とささやいたり、耳を噛んでからかったりして、手なずけてきました。その織田信長が、第17話ではめずらしく真顔で「必ず援軍を送る」と約束しています。もっとも、徳川家康が求めた5,000の援軍を3,000に値切るあたりは、いつもの冷酷で傲慢な織田信長なのですが。
武田信玄
このように、徳川家康や家臣団、織田信長も、これまで以上の覚悟を持って三方ヶ原の戦いに臨んだのに、なんと武田軍は徳川家康の居城「浜松城」(静岡県浜松市)を素通りしていきました。
これにプライドを傷つけられた徳川家康は、武田軍を追いかけ、三方ヶ原台地(現在の静岡県浜松市中央区三方原町)で背後から急襲すると決断します。この追撃命令に徳川家臣団も奮起し、馬を駆って武田軍に追いつきますが、そのとき徳川軍から先ほどまでの戦意が消え、一同、愕然としていました。
このシーン、なぜ徳川軍があれほど激変したのか、筆者には分かりづらかったのですが、みなさんはどう感じられたでしょうか。武田軍が30,000の大軍だったことは徳川方も承知していましたから、兵の多さに驚いたのではないはず。
しかも、この場面の武田軍は、そこまでの大軍に見えず、もう少しCG(コンピュータグラフィックス)で描き足してほしかったと思ってしまいました。このとき徳川軍にとって想定外だったのは、武田軍が追撃をお見通しで、待ち構えていたこと。
それも「魚鱗の陣」(ぎょりんのじん)と呼ばれる、魚の鱗のような三角形の陣形を構え、一気に攻撃を仕掛けられる臨戦態勢だったことです。しかし、この陣形も画面を見ただけではよく分からず、台詞もしくはテロップで説明してくれたらと感じました。
さて、三方ヶ原での激闘は第18話に持ち越されるのか、第17話のラストシーンは戦いが終わった死屍累々の無残な戦場でした。そして、武田軍の兵士が歓喜しながら掲げるのは、徳川家康のトレードマーク・金陀美具足(きんだみぐそく)の兜を付けた首級です。
これが徳川家康の首でないことは予測できますよね。では、金陀美具足を付けた亡骸(なきがら)は誰なのか、これも歴史ファンなら、ご存知でしょう。それよりも筆者が気になるのは、これを目撃していた「井伊直政」(いいなおまさ/井伊虎松とも)の表情です。
この井伊直政は、徳川家康の功臣「徳川四天王」のひとりですが、「どうする家康」では通説と異なり、井伊家の主君・今川家を追放した徳川家康を憎み、「武田に滅ぼされてしまえ!」と罵る少年として登場しました。
その井伊直政が、望んだはずの徳川家康の死を知って、驚きと落胆が入り交じる目で見つめていたのが印象的だったのです。これは、今後の井伊直政の動向を暗示しているのでしょうか。三方ヶ原の戦闘シーンと共に、第18話「真・三方ヶ原合戦」が楽しみです。