ほうきのかみのぶたか
「伯耆守信高」(ほうきのかみのぶたか)は、尾張国(現在の愛知県西部)の著名な3名工「尾張三作」(おわりさんさく)のひとりに数えられる名工です。美濃国(現在の岐阜県南部)で作刀技術を磨いたあと、1610年(慶長15年)、「名古屋城」(愛知県名古屋市)の完成と共にその城下へ移住。この時期、美濃国から尾張国へ流れた刀工は数多く、この一派は「尾張関」(おわりせき)と呼ばれています。
伯耆守信高は、尾張関の総代を務め、以降尾張藩の藩工として、代々「尾張徳川家」に仕えました。5代にわたり「伯耆守」を受領していることからも、信任のほどが窺えます。
作風は総体的に大人しいところが最大の特長。刃文は「沸本位」(にえほんい)ながら、同じく尾張関の代表的刀工「相模守政常」(さがみのかみまさつね)らよりも沸が少なく、「互の目乱」(ぐのめみだれ)が多く見られます。