「堀川国広」(ほりかわくにひろ)は、桃山時代を代表する刀工。優れた技術を誇っただけではなく、多くの弟子を育てたことでも有名です。
本名を「田中金太郎」と言い、父とともに日向国飫肥(ひゅうがのくにおび:現在の宮崎県日南市)の城主・伊東義祐の家臣であったと言われています。
堀川国広は、1599年(慶長4年)から亡くなる1614年(慶長19年)まで、京一条堀川に定住。ここで多くの弟子を育てます。
門人には、出羽大掾国路、国安、大隅掾正弘、越後守国儔、和泉守国貞、河内守国助、山城守国清等の名工が多数。彼らは「堀川一門」で、一門の作は「堀川物」と呼ばれています。