ごうよしひろ
「江義弘/郷義弘」は、建武年間(1334~1338年)を中心に、南北朝時代に作刀した刀工です。「五郎入道正宗」(ごろうにゅうどうまさむね)によって「相州伝」(そうしゅうでん)が完成すると、本国の越中国(現在の富山県)から、相模国(現在の神奈川県)の鎌倉に赴き、五郎入道正宗に入門。相州伝を極めたあとに故郷へ戻り、作刀に従事しました。
「正宗十哲」(まさむねじってつ:五郎入道正宗の影響を強く受けた10人の刀工)の筆頭格とも言える名工で、その腕前は門下随一。通常、鎌倉での作例を「鎌倉江」、越中国での作例は、住していた「松倉郷」(現在の富山県魚津市)の地名を取って、「松倉江」と呼んで区別しており、刀工名に「郷」の字を用いた由来にもなっています。
もうひとつの表記として用いられている「江」の字については、本人が「江右馬允」(ごううまのじょう)を称していたことや、本姓の「大江」から一字を取ったことに由来するなど、様々な説があるのです。江義弘/郷義弘の作例は、前期と後期で作風が大きく異なっているのが特徴のひとつ。
身幅、「鋒/切先」(きっさき)が共に尋常なのが前期作、身幅が広く、鋒/切先が延びているのが後期作です。「地鉄」(じがね)には、「小板目」(こいため)が詰む作柄と、「柾目」(まさめ)が交じる作柄があり、地中の働きは「地沸」(じにえ)がよく付いて、「地景」(ちけい)が顕著です。
刃文は「小湾れ」(このたれ)に乱れが入り、刃中の働きは、「匂」(におい)が深くて「小沸」(こにえ)が付き、「ほつれ」や「打除け」(うちのけ)、「砂流し」(すながし)がかかっています。地刃共に明るく冴えて、五郎入道正宗以上に、評価の高い作例が存在するほどです。
また江義弘/郷義弘は、数々の名物を作刀しました。「稲葉重通」(いなばしげみち)の所持刀「稲葉江/稲葉郷」や、同じく桑名藩(現在の三重県桑名市)2代藩主「本多忠政」(ほんだただまさ)の所持刀であった「桑名江/桑名郷」(くわなごう)など、所持者や地名などを冠して、呼ばれている日本刀が多数あります。
江戸時代初期に編纂された「古今銘尽」(ここんめいづくし)によれば、「一代の上手」、「優れたる上手なり」と激賞された江義弘/郷義弘でしたが、その生涯は短命でした。没年齢について、「元亀本刀剣目利書」(げんきぼんとうけんめききしょ)には24~25歳と記されており、「古刀銘尽大全」(ことうめいづくしたいぜん)には、27歳と記されています。若くして作刀の奥義に達していた江義弘/郷義弘は、刀剣史上、稀に見る天才だったことは確かです。
江義弘/郷義弘が作刀していた当初は、有銘作が残されていましたが、時代が下がるに伴って姿を消し、「江と化け物は見たことがない」との言葉まで生まれました。「世間ではあるとされているが、実際に見たことのない物」を例えたことわざです。しかし、在銘作が存在していたことは、古刀銘尽大全などの書物から明らかになっています。多くの謎に包まれた天才刀工・江義弘/郷義弘。現在も、刀剣愛好家の間で一目置かれる存在です。
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