うめただみょうじゅ
埋忠明寿(うめただみょうじゅ)は、埋忠重隆(うめただしげたか)の次男として山城国(やましろのくに:現在の京都府)に生まれ、長男の早世により家督を相続しました。
最初、室町幕府将軍「足利義昭」に仕え、次いで「豊臣秀吉」に召し抱えられ、京都室町に屋敷を拝領して居住。「三条宗近」(さんじょうむねちか)25世を自称していました。
古来、新刀の祖と喧伝されますが、刀装が本業であり、新刀期随一の刀装家として、刀装具や刀装彫刻に多くの名作を残しています。
作刀は本業の合間に行ったとみられ、作例は多くありません。地鉄(じがね)は板目(いため)、刃文は浅い湾(のた)れに互(ぐ)の目が交じり、地・刃ともに細く沸(にえ)ていて、相州伝を意識した作風となっています。作例に自身で彫刻を施すのが特徴です。