鐙(あぶみ)
江戸時代 中期
むめい さびいろぬりすみきりおしきさんもんじもんまきえかたえみあぶみ 無銘 錆色塗隅切折敷三文字紋蒔絵片笑鐙/ホームメイト

錆色が付けられた本鐙の「鳩胸」(はとむね:胴の正面中央の前方へ突き出た部位)には、その片側にのみ「笑み」(えみ:同音で「咲み」とも表記する)と称する窪みが設けられています。これは、「片笑鐙」(かたえみあぶみ)と呼ばれる様式です。
また、胴には蒔絵(まきえ:漆で描いた文様の上に、金や銀などのやすり粉を蒔いて加飾する技法)を用いて、「隅切折敷三文字」(すみきりおしきさんもんじ)紋が配されていますが、「隅切折敷」とは、4隅が切られた8角形になっており、白木などでできた食台の1種。この意匠の中に三文字が添えられた紋は、古来有力豪族であった「越智氏」(おちうじ)の家紋として使われ、江戸時代には、豊後国臼杵藩(ぶんごのくに・うすきはん:現在の大分県臼杵市)5万石を領有していた「稲葉家」(いなばけ)が用いていたことで有名でした。このことから、本鐙についても稲葉家由来として伝えられているのです。
本鐙は無銘ではありますが、「加賀鐙」(かがあぶみ)工による作であると推測され、鳩胸の上部に付けられる「紋板」(もんいた)には、「久留島唐団扇」(くるしまとううちわ)、もしくは「三つ唐団扇」(みつとううちわ)と見られる透かし文様が入れられています。
また、胴には蒔絵(まきえ:漆で描いた文様の上に、金や銀などのやすり粉を蒔いて加飾する技法)を用いて、「隅切折敷三文字」(すみきりおしきさんもんじ)紋が配されていますが、「隅切折敷」とは、4隅が切られた8角形になっており、白木などでできた食台の1種。この意匠の中に三文字が添えられた紋は、古来有力豪族であった「越智氏」(おちうじ)の家紋として使われ、江戸時代には、豊後国臼杵藩(ぶんごのくに・うすきはん:現在の大分県臼杵市)5万石を領有していた「稲葉家」(いなばけ)が用いていたことで有名でした。このことから、本鐙についても稲葉家由来として伝えられているのです。
本鐙は無銘ではありますが、「加賀鐙」(かがあぶみ)工による作であると推測され、鳩胸の上部に付けられる「紋板」(もんいた)には、「久留島唐団扇」(くるしまとううちわ)、もしくは「三つ唐団扇」(みつとううちわ)と見られる透かし文様が入れられています。