漆工
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てっせんまきえたらい くにのみやあさあきらおうでんかしよう 鉄線蒔絵盥 久邇宮朝融王殿下使用/ホームメイト

本盥(たらい)は、久邇宮朝融王(くにのみやあさあきらおう)が使ったと伝わる物で、付属の箱に久邇宮朝融王の使用品である旨が記されています。総体は黒漆塗。鉄線(てっせん)の花が蒔絵で施されています。
久邇宮朝融王は、久邇宮家第3代で、昭和天皇の皇后(香淳皇后:こうじゅんこうごう)の兄。1901年(明治34年)、久邇宮家2代の「久邇宮邦彦」(くにのみやくによし)王と、「島津忠義」(しまづただよし)の娘「俔子」(ちかこ)王女の第一王子として誕生しました。
1921年(大正10年)海軍兵学校を卒業し、海軍軍人としてのキャリアを歩み始め、1925年(大正14年)に結婚。父である久邇宮邦彦王が亡くなり久邇宮家を継ぎますが、1947年(昭和22年)に皇籍を離脱、「久邇」の姓を賜り、「久邇朝融」(くにあさあきら)となりました。
第二次世界大戦後は複数の事業を手掛けますが、そのうちのひとつが「久邇香水」(くにこうすい)の製造販売。映画女優や宝塚歌劇団の人々が愛用し、「宮家の香水」として一世を風靡しました。