「武家造り」(ぶけづくり)は鎌倉時代に誕生し、武士文化の発展とともに広まった建築様式です。もともと平安時代の「寝殿造」(しんでんづくり)を起源とし、それが武士の登場により、建物も華美な物から実用的な形へと変化していきました。しかし、建築史において寝殿造と武家造りは同系列に扱われ、はっきりとした定義はありません。さらに、「武家屋敷」(ぶけやしき)とも混同されることが多いのです。武家造りとは何か、また寝殿造や「書院造」(しょいんづくり)との違いについて、その特徴と歴史を紐解いてみましょう。
寝殿造
日本の中世期における建築様式は、その時代背景を大いに反映していました。
武家造りの基礎となった寝殿造は、貴族文化が栄華を極めた平安時代を象徴する建築様式。平安時代は、貴族である藤原氏一族が政治の実権を掌握した時代です。同時に、それまでの中央集権型から地方分権型へと政治体制も移行し、それに伴い貴族層のすそ野が広がりました。
そのような社会環境の変化を背景に貴族の住まいの様式が確立され、寝殿(母屋)を中心とした寝殿造が誕生したのです。
時代が進み、武士の世になると豪勢な寝殿造から、より実用的な武家造りへと変貌。そして室町時代には、武家による芸術・芸能の文化も発展し、書院造が登場します。寝殿造や武家造りでは「主の住まい」という側面が強かった一方、書院造では折衝・接客の場としての「公的空間」が重視されました。書院造の核である「書院」は、応接間として機能したのです。
また、安土桃山時代以降、戦乱が収まるにつれて、より質素で素朴な「数寄屋造り」(すきやづくり)へと住居の形が変わっていきました。
残念ながら、鎌倉時代に建てられた武家造りの建物で現存している物はありません。そのため、武家造りの全容ははっきりとしておらず、「寝殿造よりも実用的である」という抽象的な解釈にとどまります。しかし、鎌倉時代に描かれた絵巻物のなかには、武士の屋敷が描かれている物が少なくありません。
具体的には、「男衾三郎絵詞」(おぶすまさぶろうえことば)や「西行物語絵巻」(さいぎょうものがたりえまき)が代表的。それらの作品では、当時の武士がどのような暮らしをしていたのか、武家造りの一端を垣間見ることができます。