日本刀鑑賞のポイント
日本刀の種類②
日本刀鑑賞のポイント
日本刀の種類②

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「日本刀」(刀剣)とは、狭義では「鎬(しのぎ)があり、反りを持った湾刀」のことですが、広義では「日本国内で作られた刀剣類の総称」で、長柄武器や両刃の剣なども含まれます。

薙刀

薙刀

薙刀

長柄武器の中でも、平安時代に登場、南北朝時代に大流行し、合戦の主役となったのが「薙刀」(なぎなた)でした。

もとは「長刀」と書きましたが、のちに「短刀」に対して「打刀」(うちがたな)を長刀と呼ぶようになり、区別するために薙刀の字が当てられるようになりました。

薙刀の特徴

先の方の反りが大きく、「鋒/切先」(きっさき)が鋭く尖った刃を長柄の先に装着して用いた武具です。同じ長柄武器の「槍」(やり)が突くことを主な攻撃方法としているのに対し、薙刀は振り回して薙ぎ切って使います。

刃長1尺3、4寸(約39.4~42.4cm)から2尺(60.6cm)を超える物もあります。「柄」(つか)の長さは、通常3尺から6尺(約90~180cm)程度。柄の断面は、正円形でなく楕円形とされています。刃の反対側に装着された金具である「石突」(いしづき)が半月形状になっており、こちら側でも斬ることができる物が多いのも特徴です。

薙刀には、小さな「鍔」(つば)が付いている物が主流で、鍔のない物や日本刀(刀剣)に付いているような大きな鍔が付いている物もまれにあります。

大薙刀(おおなぎなた)
柄が7尺(約210cm)を超えるような物は「大薙刀」(おおなぎなた)と呼び、全長2間(約3.6m)に迫る物も存在したと言われています。「大太刀」(おおたち)など、長大な武器が大流行した南北朝時代には多く作られました。

小薙刀(こなぎなた・しょうなぎなた)
大薙刀に対して、3尺(約90cm)ほどという従来と同じ長さの柄を持つ物を小薙刀(こなぎなた・しょうなぎなた)と呼びます。大薙刀・小薙刀の分類は、全長や刃長ではなく、柄の長さで決まるため、大薙刀より刃長の長い小薙刀も存在します。

薙刀の誕生と衰退

薙刀の誕生の経緯については、はっきりとしたことが分かっておらず、以下のような説があります。

  • 上古(じょうこ:大化の改新頃まで)主武器だった「鉾」(ほこ)を前身とする説。鉾は、「刺突」(しとつ)と「斬る」の両方を目的とした刃を持ちますが、これが斬るに特化して薙刀に進化したとする説です。刺突に特化した物は、のちに槍になったと言われています。
  • 薙刀は、「柄の長い日本刀」(刀剣)と定義することもできるので、単純に大太刀をさらに遠くから攻撃できるようにした結果、自然に柄が長くなったとする説。

また、南北朝時代には一世を風靡した薙刀ですが、戦国時代になり集団戦で部隊が密集すると、振り回して使用する薙刀は、その長さから味方を攻撃する結果となってしまい、危険だとされて急速に衰退。使われなくなった薙刀を打刀や「脇差」(わきざし)などに作り直して再利用する「薙刀直し」(なぎなたなおし)が流行しました。なお、最初から薙刀ではなく、薙刀直しのような形式を持つ日本刀(刀剣)として制作された物が「薙刀直し造り」です。

薙刀直しの代表例としては、小薙刀を「磨上げ」(すりあげ)て脇差にした「鯰尾藤四郎」(なまずおとうしろう)が挙げられます。「ふくら」(鋒/切先がカーブしている部分)が、ふっくらとしている様子が鯰を連想させることから、このように呼ばれる1振。「豊臣秀吉」や「徳川家康」などの天下人の手を経て、家康の遺品として「尾張徳川家」に伝来。

元々の小薙刀の作者は、鎌倉時代中期に活動していた「粟田口吉光」(あわたぐちよしみつ)で、相州伝の「正宗」(まさむね)、越中の「郷義弘」(ごうのよしひろ)と共に「天下三作」(てんがさんさく)の名工と称されました。薙刀には反りの深さや形状などから、いくつかの種類があります。

薙刀の種類

静形薙刀(しずかがたなぎなた)
静形薙刀(しずかがたなぎなた)は、長さや形状などに特にはっきりとした定義はありませんが、身幅が狭く、反りの少ない伸びやかな姿をした薙刀。源義経(みなもとのよしつね)の愛妾・静御前(しずかごぜん)にちなんでいます。別名・男薙刀。
巴形薙刀(ともえがたなぎなた)
巴形薙刀(ともえがたなぎなた)は、長さや形状などに特にはっきりとした定義はありませんが、身幅が広く、反りの大きな張りのある姿をした薙刀。木曾義仲(きそよしなか)の愛妾・巴御前(ともえごぜん)にちなんでいます。別名・女薙刀。
長巻(ながまき)
「長巻」(ながまき)を薙刀に含めるかどうかは、研究者により見解の分かれるところですが、その形状から薙刀と区別の付けづらい長巻も存在します。

大太刀から発展し、振るいやすくするために柄を長くした日本刀(刀剣)であるという見方と、薙刀の中でも反りが少なく、刃長が長い物を、補強のために柄を紐で巻き締め、長刀(薙刀のもとの表記)に対して長巻としたとするなど、諸説あり、定まっていません。

武蔵坊弁慶愛用の薙刀・岩融

武蔵坊弁慶

武蔵坊弁慶

薙刀と言えば、「武蔵坊弁慶」(むさしぼうべんけい)が振り回して戦うイメージが鮮明に浮かびます。

その弁慶が愛用したと言われるのが、「三条小鍛冶宗近」(さんじょうこかじむねちか)の作と伝わる「岩融」(いわとおし)です。刃の部分だけで3尺5寸(約106cm)ある大薙刀だったと言われています。

もっとも、弁慶が振るうのは大薙刀ではなく「太刀」(たち)である「岩透」(いわとおし)だったとする説もあります。4尺2寸(約127.2cm)あったと言いますから大太刀です。

弁慶の存在自体は確実ではなく、伝説上の人物と見るのが有力で、岩融も岩透も、現在はその所在が不明であるため、伝説の日本刀(刀剣)という位置付けです。もっとも、愛媛県にある「大山祇神社」(おおやまづみじんじゃ)では、弁慶が奉納したという大薙刀を所蔵。この大薙刀は、国の重要文化財に指定されています。

槍

日本刀(刀剣)とは、広義では「日本国内で作られた刀剣類の総称」ですので、武士が腰に差す日本刀(刀剣)だけでなく、長い柄の先端に刃物(穂)を装着し、突き刺して攻撃する槍についても、広い意味では日本刀(刀剣)です。

日本における槍

槍は、刺突を主な目的とした武器で、人類の歴史上最も古い武器のひとつとされています。銃剣に取って代わられるまで、長く使われましたが、日本の歴史において槍が登場するのは、鎌倉時代中期以降です。日本では古来より鉾が使用され、平安時代から南北朝時代までは薙刀が主力武器となっていました。

戦国時代の徒歩(かち)での集団戦には、それまでの薙刀のように振り回して薙ぎ切る武器は不向きでした。そこで、突き刺して攻撃する槍の方が実戦向きとされ、槍が合戦の主役に躍り出たのです。

江戸時代の大名行列の先頭は槍で、武士の象徴でもありましたが、明治維新後は日本軍が武器として採用せず、その後は実戦で使われていません。

槍の特徴

刃長1尺(約30.3cm)から2尺(約60.6cm)ほどが通常の槍です。まれに2尺を超える物があり、「大身槍」(おおみやり)と呼ばれました。

槍の穂(槍の刃の部分)の断面の形状は、「正三角形」・「平三角形」・「刀身形」・「両鎬」(りょうしのぎ)の4種類があり、両鎬の槍は突く以外に斬る機能もかね備えています。実戦に応じて多彩な発展を遂げたため、様々な形態の物があるのが特徴です。

日本刀(刀剣)を鑑賞する場合、日本刀(刀剣)に関しては反りの大きさ等で、ある程度制作年代が推測できますが、槍の場合もある場所を見れば、制作年代が分かります。

それが槍の穂と柄が接する部分で、「けら首」と言います。研ぎに手間がかかる場所で、ここが見事に研がれた槍には、なかなかお目にかかれません。このけら首の長さは、制作年代によって変わります。槍が合戦に登場してまもなくの鎌倉から室町期頃の「けら首」は長く、逆に江戸慶長期以降の新刀期では短い物が主流となっていくのです。

槍の種類

刃や柄の長さ、穂先の形状などから、様々な種類があります。

大身槍(おおみやり)
大身槍(おおみやり)は、刃長が2尺(約60.6cm)前後の大型の穂を持つ槍。なかには4尺(約120cm)を超える物もあります。

両刃で殺傷能力が高く、刺すだけでなく斬る攻撃が可能ですが、長さと重量があるため扱いが難しく、技術が必要でした。

直槍・素槍(すぐやり・すやり)/長柄槍(ながえやり)
直槍・素槍
直槍・素槍(すぐやり・すやり)は、長い柄に枝刃のない直線的な両刃の穂先を付けた槍の総称。

長柄槍
長柄槍(ながえやり)は、足軽が用いた柄の長い槍。柄は450~640cmほどもあったと言われます。突く・たたく両方の攻撃が可能でした。槍を立てて、敵の進撃を食い止める用途にも用いられました。
菊池槍(きくちやり)
菊池槍(きくちやり)は、肥後国(ひごのくに:現在の熊本県)の豪族・菊池氏が使用した物で、槍の起源とされています。

穂先は片刃で短刀の形をしており、現場で得た竹や堅木に装着して即席の槍を作り出すことができる便利な物でした。

鎌槍(かまやり)
鎌槍(かまやり)は、直槍のような両刃の穂の途中に鎌と呼ばれる枝刃が張り出している物で、敵の脚を斬るため、深く貫きすぎないためなどの用途で付けられたと言われています。

片鎌槍
片鎌槍(かたかまやり)は、鎌槍の中で、枝刃が片側のみに張り出している物。
両鎌槍・十文字槍・十字槍
両鎌槍(りょうかまやり)・十文字槍(じゅうもんじやり)・十字槍(じゅうじやり)は、鎌槍の中で、枝刃が両側に十字架状に張り出している物。

左右の枝刃の長さが違う「片鎌十文字槍」、鳥が飛び立つ様子に似た「千鳥十文字槍」、枝刃を取り外して直槍のようにも使用できる「掛け外し十文字槍」、左右の鎌が上下向きになっている「上下鎌槍」(卍鎌槍:まんじかまやり)などがあります。制作にコストがかかるので、主に大将クラスが使用しました。

十文字槍の使い手として、思い浮かぶのが「真田幸村」(真田信繁:さなだのぶしげ)。「大坂夏の陣」では、朱色の十文字槍を手に馬に乗って家康の本陣に突撃し、「馬印」を倒すほどの活躍を見せ「日本一の兵」(ひのもといちのつわもの)と呼ばれたことは良く知られています。

十文字槍は、三方向に刃が向いているため、扱いが難しく、熟達した腕を持つ武将のみが手にすることができる武器。信繁が手にしていた朱槍は、武功を挙げた者が手にできる物であったため、その腕前は確かな物であったと言えるのです。

袋槍(ふくろやり)
通常の槍は、穂に付いた茎(なかご)を柄に差し込みますが、「袋槍」(ふくろやり)は、逆に鉾のように「袋穂」(ふくろほ)と呼ばれる空洞部分を柄の先端にかぶせて使います。

菊池槍と同じく、長い柄を用意しなくても、現場で得た竹や堅木を利用できるという利点があります。

笹穂槍(ささほやり)
笹穂槍(ささほやり)は、穂が笹の葉のような形をした槍。

天下三名槍

特に名槍(めいそう)と誉れの高い3本を「天下三名槍」(てんがさんめいそう)、もしくは「天下三槍」(てんがさんそう)と言います。

江戸時代にはすでに西の「日本号」(にほんごう/ひのもとごう)、東の「御手杵」(おてぎね)と並び称されていましたが、そこに「蜻蛉切」(とんぼぎり)が入って、明治時代から天下三名槍と呼ばれるようになりました。

槍 無銘(名物:日本号)

槍 無銘(名物:日本号)

槍 無銘(名物:日本号)

制作年代 刀鍛冶
室町時代後期 不明(大和国金房派と伝えられる)
所蔵 刃長
福岡市博物館 2尺6寸1分半(約79cm)
主な所有者・伝来
足利義昭 → 織田信長 → 豊臣秀吉
福島正則 → 母里友信

槍 無銘(名物:日本号[にほんごう/ひのもとごう])は、数々の逸話に彩られた名槍中の名槍です。もともとは朝廷の御物(ぎょぶつ)で、正三位(しょうさんみ)の位を賜ったと言う伝承があります。正親町天皇(おおぎまちてんのう)から室町幕府15代将軍・足利義昭(あしかがよしあき)が拝領し、織田信長、豊臣秀吉の手を経て福島正則(ふくしままさのり)へ。

福岡藩主黒田家の家臣・母里友信(もりとものぶ)が、正則の屋敷で酒を勧められたものの、勤務中であるため固辞します。ところが、正則は「何でも好きな褒美(ほうび)を取らす」としつこく絡んで勧めた上、それでも断ると「黒田武士は腰抜けだ」と侮辱。酒豪であった友信は大盃に並々と注がれた酒を3杯一気に飲み干すと、福島家秘蔵の「日本号」を所望し、見事手に入れました。

このことから「呑み取りの槍」とも呼ばれます。この逸話は「黒田節」に歌われ、黒田武士の心意気を伝える酒宴の席での定番歌となっています。

槍 銘 義助作(号:御手杵)

槍 銘 義助作(号:御手杵)

槍 銘 義助作(号:御手杵)

制作年代 刀鍛冶
室町時代末期 駿河国 島田義助
所蔵 刃長
焼失 4尺6寸(約139cm)
主な所有者・伝来
結城晴朝 → 結城秀康 → 上州前橋藩主松平家

槍 銘 義助作(号:御手杵[おてぎね])は、鞘におさめた形が、手杵(てぎね:餅つきで臼の餅米をつく杵)に似ていることから、こう呼ばれます。

刃長2尺(約60cm)前後の長い穂を持つ槍を大身槍と呼びますが、この御手杵は、刃長4尺6寸(約139cm)という非常に大きな大身槍。柄を加えると1丈1尺(約333.3cm)もの長大な槍だったと伝えられています。惜しまれることに、1945年(昭和20年)5月25日の東京大空襲で焼失してしまいました。

槍 銘 藤原正真作(号:蜻蛉切)

槍 銘 藤原正真作(号:蜻蛉切)

槍 銘 藤原正真作(号:蜻蛉切)

制作年代 刀鍛冶
室町時代後期 三河文殊派 藤原正真
所蔵 刃長
個人蔵
佐野美術館へ寄託)
1尺4寸4分5厘(43.8cm)
主な所有者・伝来
本多忠勝 → 三河国岡崎藩主・本多家伝来

槍 銘 藤原正真作(号:蜻蛉切[とんぼぎり])は、徳川家康の家臣で徳川四天王のひとり「本多忠勝」(ほんだただかつ)愛用の槍です。穂の先に蜻蛉が止まった途端、真っ二つに切れてしまった逸話にちなんで、こう呼ばれました。

この蜻蛉切の特徴は、何といってもその長大さです。4~5mの槍が主流の時代に、柄を含めると、2丈(約6m)もの長さを誇っていたと言われています。青貝螺鈿細工(あおがいらでんざいく)の見事な装飾を施した柄は、残念ながら現在では失われてしまいました。

剣

日本刀(刀剣)と剣の一番大きな違いは、「片刃」の日本刀(刀剣)に対して、剣は「両刃」(もろは:両側に刃が付いていること)だということ。日本刀(刀剣)は、広義では「日本国内で作られた刀剣類の総称」ですので、両刃の剣も日本刀(刀剣)に含まれるのです。

また、中国古来の漢字の意味するところでは、反りを持った片刃(かたば:片方の側だけに刃が付いていること)の刀剣は刀、両刃の刀剣は剣と明確に区別しますが、日本においては、「剣」という言葉は広く刀剣を意味し、その中には日本刀(刀剣)も含まれるのですが、ここでは両刃の剣について述べます。

剣と刀の違い

剣は、上古期においては武器として使用されていましたが、そののちの日本では主に仏教の儀式の道具として使われることなどが多く、実際の戦闘では使用されることは稀(まれ)です。

また、太刀や打刀などの「湾刀」は、「断ち切る」・「切り裂く」物です。「切る」ことが目的なので、刃の部分が薄く、カミソリのようにとがって、よく切れることが大切。切りたい物に刃を当てて引いて使ったため、ほとんどの日本刀(刀剣)は片刃で、片側だけ切れるようになっています。

それに対して、剣は、「たたき切る」ことと「突く」ことを目的としています。刃の部分を分厚く重くした物を、振り下ろしてたたき切ったり、突き刺したりして使いました。たたいて衝撃を与えたり、力で突き刺したりするので、よく切れることよりは、重さが大切です。また、両刃の物がほとんどですが、片刃の物もたくさん作られています。

刀と剣の大きな違いは「突く」という点です。西洋の剣術をもとにしたと言われるスポーツ競技の「フェンシング」には3つの種目がありますが、そのうちの2つの種目で、攻撃が突きのみであることは、西洋の剣の特徴をよく表しています。

神代三剣

刀剣を神聖な物とする信仰は、古代から世界中にあり、日本にも、神話時代から伝わるとされる神剣があります。その中で最も重要な3つの剣である「天十握剣」(あめのとつかのつるぎ)・「布都御魂」(ふつのみたま)・「天叢雲剣」(あまのむらくものつるぎ)が神代三剣(かみよさんけん)。「日本三霊剣」(にほんさんれいけん)とも呼ばれます。

日本では、神話に登場する刀剣は、形状が片刃の刀でも「剣」と名付けられた物が多く、神代三剣のうち、唯一現存して公開されている布都御魂も、実際には片刃の直刀(大刀:たち=日本刀が出現する前に日本で発見された長尺の刀剣)で、「上古刀」(じょうことう)と呼ばれる物です。

他の2つは、現存していないか、御神体として神宮の奥深くに祀られており、その形が大刀なのか剣なのか、正確には分かっていません。

天十握剣(あめのとつかのつるぎ)
天十握剣

天十握剣

天十握剣(あめのとつかのつるぎ)は、「古事記」(こじき:奈良時代に成立した日本最古の歴史書)に登場する剣で、すべての刀剣の祖と言われている日本刀(刀剣)。「天之尾羽張」(あめのおはばり)、「十握剣」(とつかのつるぎ)など、数多くの別名を持ちます。

この国の創世神で、たくさんの神々を生み出した「イザナギ」(伊邪那岐・伊弉諾)と「イザナミ」(伊耶那美・伊弉冉)の間に、火の神「カグツチ」(軻遇突智)が生まれたときに、イザナミはやけどをして死んでしまいます。怒ったイザナギは、罪も無いカグツチを天十握剣で斬り殺してしまいます。

そのとき天十握剣についた血から生まれたのが、「ミカハヤヒ」(甕速日神)、「ヒハヤヒ」(樋速日神)、そして「タケノミカヅチ」(建御雷之男神)だと言われます。

名前の由来は、柄が10人で握れるほど長いことから。そこからも非常に長大な刀剣だったことが推測されます。

布都御魂(ふつのみたま)
鹿島神宮

鹿島神宮

布都御魂(ふつのみたま)は、イザナギが天十握剣でカグツチを斬った血から生まれたタケノミカヅチが、葦原中津国(あしはらのなかつくに)を平定した際に使用した剣。「布都御魂剣」、「ふつ霊剣」(ふつみたまのつるぎ)とも呼ばれます。

布都御魂は、タケノミカヅチより「神武天皇」(じんむてんのう)に下賜され、「石上神宮」(いそのかみじんぐう:奈良県天理市)に御神体として祀られました。全長85cmほどの内反り(通常の日本刀とは逆に、刃を内側に湾曲)の片刃の太刀。

タケノミカヅチを祀る「鹿島神宮」(かしまじんぐう:茨城県)には、布都御魂剣(ふつ霊剣)という名の大刀が伝わります。

奈良時代から平安時代の作とされる、刃長2mを超える長大な直刀で、1度の機会で打てなかったためか、4ヵ所でつなぎ合わせて作刀されていることが判明。別名を「平国剣」(くにむけのつるぎ)と言い、国宝に指定されています。

布都御魂と伝わる剣は数本あり、諸説ありますが、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮にある物は、タケノミカヅチのもとへ石上神宮から戻った物とする説、石上神宮から戻らなかったので、新たに作られた2代目とする説などがあり、真偽は分かっていません。

天叢雲剣/草薙剣(あまのむらくものつるぎ)
天叢雲剣

天叢雲剣

天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は、「日本書紀」(にほんしょき:奈良時代成立の日本最古の正史)に登場する剣。熱田神宮愛知県名古屋市)の御神体・「草薙剣」(くさなぎのつるぎ:草那芸之大刀[くさなぎのたち]とも)と同一であるとするのが、現在の定説ですが、別の剣だとする説もあります。「三種の神器」(みくさのかむだから・さんしゅのしんき[じんぎ、しんぎ]:日本の歴代天皇に受け継がれてきた3つの宝物)のひとつです。

イザナギ・イザナミの子である「スサノオノミコト」(素戔男尊・須佐之男命)が、出雲国(いずものくに:現在の島根県東部)で「ヤマタノオロチ」(八岐大蛇)を退治した際に、大蛇の尾から出てきたとされる神剣で、スサノオはこの剣を姉の「アマテラスオオミカミ」(天照大神)に献上。

その後地上に降りた天叢雲剣は、伊勢神宮に安置されます。そして、「ヤマトタケルノミコト」(日本武尊・倭建命)が東国征討を行なう際に、伊勢神宮の「ヤマトヒメノミコト」(倭姫命)より天叢雲剣を託されます。東国征伐の途中、ヤマトタケルノミコトは、敵の罠にはまってしまい、草原に放火されて四方を炎に囲まれる窮地に立たされました。このときに剣で草を薙ぎ払い、叔母にもらった火打石で火を付けて向火をすることで難を逃れることに成功。このことから、剣の名前が「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)に改められたのです。

ヤマトタケルの死後、妻の「ミヤズヒメ」(宮簀媛)がこの剣を尾張国(おわりのくに:現在の愛知県西部)で祀ったのが熱田神宮の起源です。現在は熱田神宮の奥深くに安置されて、宮司でさえ観ることはできません。見た者やその縁者まで神罰で亡くなるとされていたからでした。

現在生きている人は誰も見たことが無いため、草薙剣がどんな形をしているのかは謎のまま。江戸時代から大正時代にかけての刀工・羽山円真(はやまえんしん)が、草薙剣の模造品を制作したと言われています。その際に円真が見た草薙剣は、刃長51~54cmほどの両刃の剣だったという記録も残されていますが、真偽は不明です。

  • 日本刀(刀剣)写真
    日本刀(刀剣)の種類、鑑定区分など、様々な検索方法で、日本刀(刀剣)が検索できます。
  • 槍・薙刀写真集
    日本の長柄武器である槍・薙刀を画像にて細部までご覧頂ける写真集です。

日本刀の種類②

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「日本刀鑑賞のポイント」の記事を読む


日本刀の種類①

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日本刀の姿①

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日本刀を鑑賞するポイントは、日本刀の美しさを構成している要素をよく観ること。ズバリ、日本刀の「姿」(すがた)・「刃文」(はもん)・「地鉄」(じがね)です。まずは、日本刀の姿に注目。日本刀の姿を司る、「鋒」(きっさき)・「反り」(そり)・「造込み」(つくりこみ)・「長さ」を良く見て全体的にとらえることができれば、作刀された時代や個性を読み取れるようになれます。そこで、日本刀の姿について詳しくご紹介していきます。

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日本刀の姿②

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「茎」(なかご)とは、通常は「柄」(つか)に収められている、日本刀のグリップ部位。茎には、「銘」(めい)という刀工名や制作年などの情報が記されているので、日本刀を鑑賞する上で、とても重要な部分です。室町時代後期になると、この茎の「磨上げ」(すりあげ)が頻繁に行なわれるようになります。その理由はなぜでしょうか。茎には、どんな形状や種類があるのか、詳しくご紹介します。

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日本刀の刃文

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日本刀(刀剣)を鑑賞する最大の魅力と言えば、「刃文」(はもん)の美しさでしょう。「刃文」とは、「焼刃」(やきば)に入った「刃先」(はさき)の模様のこと。「帽子」(ぼうし)もまた「鋒/切先」(きっさき)に入った刃文です。刃文は「姿」(すがた)や「地鉄」(じがね)と共に、その日本刀(刀剣)が作られた時代や流派を見分ける決め手となり、刀工の個性を楽しむことができる物。ここでは、日本刀(刀剣)の刃文について詳しくご紹介します。

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日本刀の地鉄

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「地鉄」(じがね)の美しさに気付くことは、日本刀(刀剣)を鑑賞する上で、とても重要なポイントです。地鉄とは、「折り返し鍛錬」によって生じた、「鍛え肌」(きたえはだ)・「地肌」(じはだ)の模様のこと。「姿」(すがた)や「刃文」(はもん)とともに、その日本刀(刀剣)が作られた時代や流派を見分ける決め手となり、刀工の個性を楽しむことができる見どころです。ここでは、日本刀(刀剣)の地鉄の見方について、詳しくご紹介しましょう。

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日本刀の細部

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「日本刀」(刀剣)には様々な見所があります。それは、刀工によって細部までこだわりぬかれた結果です。ここでは、日本刀(刀剣)鑑賞における細かなポイントをご紹介します。

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五箇伝(五ヵ伝、五ヶ伝)

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五箇伝とは、「大和伝」(奈良県)、「山城伝」(京都府)、「備前伝」(岡山県)、「相州伝」(神奈川県)、「美濃伝」(岐阜県)のこと。この5つの地域に伝わる日本刀(刀剣)作りの伝法は、独特であると同時に、優れた技術を互いに共有し、発展したのです。以下、五箇伝と呼ばれる、伝法の歴史と特徴をご紹介します。(※なお「五箇伝」は、「五ヵ伝」「五ヶ伝」と表記する場合もあります。)

五箇伝(五ヵ伝、五ヶ伝)

日本刀鑑賞ポイント①

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日本刀(刀剣)を鑑賞する際には、いくつかのポイントを知っておくと、より日本刀(刀剣)を楽しむことができます。観るポイントを押さえ、日本刀(刀剣)の美しさを体感しながら鑑賞することで、その深い魅力に気付くことができるのではないでしょうか。ここでは、そんな日本刀(刀剣)の鑑賞ポイントをご紹介します。

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日本刀鑑賞ポイント②

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日本刀(刀剣)は1種類だけではなく硬さの違う金属が、いくつも組み合わされて構成されています。その中でも、日本刀(刀剣)の本体部を構成しているのが「地鉄」(じがね)なのです。それぞれ特徴や模様が違っているので、よく注目してひとつひとつの模様を楽しむことも日本刀(刀剣)鑑賞の醍醐味でもあります。また、日本刀(刀剣)が実際に使用されると、どれほどの実力があるのでしょうか。そのような、あまり知られていない日本刀(刀剣)の深い見どころ、ポイントをご紹介します。

日本刀鑑賞ポイント②

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