『蝉しぐれ』で知られる藤沢周平(ふじさわしゅうへい)。故郷・東北を舞台に繰り広げられる藤沢の時代小説では、日本刀は女性にかかわる物として描かれ、初期の作品から重要な要素となっています。
暗殺の年輪
藤沢周平は、山形県鶴岡市で生まれ育ちます。東京で業界新聞の記者として働きながら小説の投稿を続け、葛飾北斎の苦悩を描いた短編「溟い海」(1971年『オール讀物』初出)で第38回オール讀物新人賞を受賞します。
直木三十五賞の対象作ともなった同作以降、4度目の対象作となった短編「暗殺の年輪」(1973年『オール讀物』初出)で第69回直木賞を受賞しました。
受賞作では、藤沢の故郷にあった庄内藩がモデルともされる架空の小藩・海坂藩を舞台に、剣の腕の立つ下級武士の青年の数奇な運命が描かれました。藩内抗争による重臣の暗殺に失敗し横死した父を持つ青年は、青年の命を守るためにその重臣と密通した美しい母の秘密を知って苦悩します。
用心棒日月抄
直木賞受賞を機に記者を辞めて作家を専業とした藤沢は、長編『用心棒日月抄』(1976~1978年『小説新潮』連載)を発表します。主人公は、東北の下級武士で国元の梶派一刀流の道場で師範代を務めた腕前を持つ青江又八郎です。
又八郎は、藩内の権力争いに巻き込まれたことで許婚の父を斬り捨て脱藩し、江戸で用心棒をしながら暮らすことになります。江戸では、仕事の窓口・相模屋吉蔵、用心棒仲間・細谷源太夫、短刀使いの女刺客・佐知らと交流し、赤穂事件(忠臣蔵)など様々な事件にかかわる中で、国元からの追っ手・大富派と相対します。
孤剣
『用心棒日月抄』は、『孤剣』(1978~1980年『別冊小説新潮』『小説新潮』断続連載)、『刺客』(1981~1983年『小説新潮』断続連載)、『凶刃』(1989~1991年『小説新潮』断続連載)とシリーズ化されます。『孤剣』連載終了時、『用心棒日月抄』は古谷一行主演でテレビドラマ化されました。
『用心棒日月抄』シリーズは、又八郎と佐知との長きに亘る恋の物語でもあります。又八郎は、故郷で役職に就き許婚と祝言を挙げることが叶うも、江戸では剣客・佐知と隠密活動に従事する中で愛し合い続けます。
佐知ははじめ、又八郎に敵対する刺客として立ち現われた女だった。驚嘆すべき短刀術の手錬を駆使して、帰国途中の又八郎の前に立ちふさがり、その死闘の間に重傷を負った。又八郎が佐知の一命を救うことになったのは、行きがかりに過ぎない。それだけの縁だと思っていたのである。
だが江戸に来て再会すると、佐知は又八郎にとって、ただひとり信頼すべき探索の協力者となったのであった。
『孤剣 用心棒日月抄』より
隠し剣 孤影抄
藤沢は『用心棒日月抄』を発表した同じ年、連作短編「隠し剣」シリーズを執筆します。単行本時、『隠し剣孤影抄』(1976~1978年『オール讀物』『別冊文藝春秋』断続連載)と『隠し剣秋風抄』(1978~1980年『オール讀物』断続連載)としてまとめられました。
毎回主人公が、藤沢が創作した剣の秘義を披露せざるを得ない状況が描かれる同シリーズでは、「必死剣鳥刺し」、「隠し剣鬼ノ爪」、「孤立剣残月」、「盲目剣谺返し」など多くの短編で、海坂藩や海坂藩に流れる五間川が登場します。また、妻、姉妹、許婚、女性剣客など女性が隠し剣の披露に重要な役割を果たします。シリーズ連載終了時、「宿命剣鬼走り」が萬屋錦之介主演でテレビドラマ化されました。
蝉しぐれ
藤沢は庄内藩と同じ出羽国の米沢藩の戦国武将・直江兼続を描いた『密謀』などを経て、歌人・長塚節を描いた『白き瓶』で第20回吉川英治文学賞を受賞。同年、故郷の山形新聞で『蝉しぐれ』(1986~1987 年『山形新聞』他連載)を連載します。
養父が藩内の権力争いに負けた海坂藩普請組の不遇の武士・牧文四郎を主人公に、剣術道場で切磋琢磨した親友との友情、江戸に出て藩主の側室となってしまう幼馴染の娘との悲恋、敵討などと同時に、秘剣村雨の継承を描きました。
文四郎は秘剣を伝授される際、母を想います。
――伝授される秘剣は……。
といまは文四郎は思っていた。それは魂をささえ、いつかは来る災厄から母を守り、実名を守るものになるかも知れない。
『蝉しぐれ』より
その後、山田洋次などの手で映画化されたことでさらに広く知られていく藤沢作品。その故郷・山形を背景にした刀剣世界には、女性が大きくかかわる刀剣観が流れています。