西洋 剣・刀剣・甲冑(鎧兜)編
ヨーロッパ軍における剣
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ヨーロッパ軍における剣

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近世ヨーロッパは、イギリスで産業革命が起こり、フランスで長く続いていた絶対王政が崩壊に向かうという大きな転換期。ヨーロッパ各国で激しい貿易競争・植民地をめぐる戦争が繰り広げられました。この時代、使用された剣にはどのような物があったのでしょうか。

フランス軍の剣「ナポレオン時代のサーベル」

西洋史において最も有名な偉人「ナポレオン・ボナパルト」は、18世紀のフランス革命による乱世を統一し、フランスの国民から絶大な支持を得て英雄となったことで1804年に初代フランス皇帝の座にのぼりつめた人物。

彼が率いたフランス軍は、当時の西洋では圧倒的な強さを誇っており、ヨーロッパを支配するほど強大な力を持っていました。そんなナポレオン時代に活躍したフランス軍の代表的な剣「サーベル」についてご紹介します。

現在も世界中で使われている西洋剣

サーベル

サーベル

サーベルは、日本でも明治時代の軍刀に採用されていた剣で、現在の日本においても自衛隊で儀礼用の剣として使用しているため、日本人にとって馴染みのある西洋剣だと言えます。

中世から近世にかけて西洋全体に広く普及していたサーベルは、全長70~120cmで、湾曲した片刃の刀身を持ち、ヒルト(柄)部分には握る手を護るためのシンプルなナックルガード(護拳)が付いているのが特徴的な片手用剣です。

もともと騎兵用に開発された物でしたが、接近戦に適していることからヨーロッパ各国の軍隊で歩兵用武器としても採用されていました。

「サーベル」の黎明期から最盛期

サーベルの起源は、正確には判明していませんが、ゲルマン系民族のアングロサクソン人が使っていた「サクス」や、サクスをもとに制作されたと考えられるルネサンス期の「ファルシオン」などの中世の刀身が短い剣から影響を受けて誕生したのではないかと考えられています。

西洋において最初にサーベルを用いていたのは、16世紀のスイスの軍隊。当時は片手と両手の両用剣である「バスタードソード」の一種だと認識されていたと言われています。

17世紀になると、ドイツやイギリスの軍隊でも使われ始めたことで一気にヨーロッパ全体へ広がり、主要武器として多くの国で使われるようになりました。その後、火器や銃剣が発達したナポレオン時代のフランスにおいても、廃れることなく20世紀まで使用され続けたのです。

多種多様な「サーベル」の使い方

長い期間、第一線で活躍してきたサーベルには、時代ごとに様々な種類の物が作られてきました。特にナポレオン時代には、数種類のサーベルが登場しており、直刀タイプの物や、両刃の刀身のように長い裏刃が付いた物、指を護るためにバーが付いたヒルトやバスケットヒルト(籠柄)になっているタイプの物も。

湾曲した片刃タイプの最もスタンダードなサーベルは、斬撃に適していたため軽装騎兵や歩兵の武器として使用されていたと言われています。一方、真っ直ぐで細身の直刀タイプは、刺突に適していたことから、近世に登場した火器を扱う胸甲騎兵(きょこうきへい・重装騎兵に分類される兵種)の武器に採用されました。

また、近代になって戦場では火器にその役目を奪われてしまったサーベルですが、実は「スポーツ用の剣」として近代以降も西洋では発展し続けていたのです。そのスポーツとは、オリンピック競技でもある「フェンシング」の3種目ある中のひとつ「サーブル」。他の2種目が「突き」だけなのに対してサーブルでは「斬り」でも競い合います。この競技で使われている剣は、その競技名からお気付きの方も多いとは思いますがサーベルをもとに改良され作られた剣だったのです。

このようにサーベルは形を変え、現代も世界中で使われている剣として西洋剣史に深くその名を刻みました。

フランス軍の剣「19世紀の芸術的な将校用剣」

19世紀になると、西洋だけでなく世界的にフランスの剣デザインに注目が集まり、多くの国がフランス製のヒルトや剣身に影響を受けて軍隊の剣を制作します。この時代のフランスは幾何学模様や流線型の美しいデザインが特徴で、これは19世紀末から20世紀にかけて流行する「アールヌーヴォー」という芸術様式の前兆的な物でした。

アメリカにも影響を与えた歩兵用剣

銃器が発達した近世においても、軍隊の兵士にとって剣は必要不可欠な物だったため、常に新しい剣の開発に取り組んでいました。フランスの将校(少尉以上の階級を持つ武官)が用いる剣は、18世紀と19世紀の物では大きくデザインが異なり、特に1845年型歩兵将校用剣は、アメリカ陸軍でも全く同じデザインを取り入れた剣が採用されるほどの影響力を持った、新型の剣だったのです。

1845年型の特徴としては、花の透かし模様があるナックルボウ(護拳)と真鍮製のツイストワイヤーが巻かれた角製のヒルトが使われていること。鞘は革と金メッキを施した真鍮で表装されています。剣身はわずかに湾曲した物が使われていましたが、19世紀の将校用剣は真っ直ぐな直刀も採用されており、幅の広さなども様々な物が用いられていました。

アールヌーヴォー様式の騎兵用剣

ファルギエールのヒルト

ファルギエールのヒルト

19世紀から20世紀にかけて採用されていた騎兵用剣は、汎用型として軽装騎兵も重装騎兵も扱えるようになっていました。

この将校用剣は、アールヌーヴォー様式を投影した斬新なヒルトが特徴的で、フランス芸術が軍隊においても取り入れられていたことを示しています。

このヒルトのデザインを担当したのは、フランスの彫刻家・画家である「ジャン・アレクサンドル・ファルギエール」で、フランス初の美術学校の教授でありフランス芸術を牽引する人物です。アールヌーヴォー様式のヒルトには、優雅な曲線や植物モチーフが透かし彫り、もしくは浮き彫りで表現されている物が非常に多く作られていました。

メデューサが描かれたヒルト

アールヌーヴォーと同時にフランスでは象徴主義といった芸術運動も起こっており、この時代の剣には象徴主義的な要素も取り入れられていました。

例えば、ギリシャ神話の登場人物であるメデューサの頭部がモチーフとしてガード(鍔)部分に描かれた物などがあります。この剣も前述のファルギエールがデザインした物ですが、彼は神話と武具の関係について関心があったようで、ペルセウスとメデューサの神話をヒントに制作したと言われているのです。この神話物語は、古代ローマの時代から武器や防具に頻繁に取り入れられていた題材で、ちなみに古代にはメデューサの頭が描かれた盾なども多く作られていました。

このように、19世紀末期から20世紀初頭に作られた剣には、1890年代から流行した世紀末芸術の影響も色濃く出ており、耽美的なモチーフも使われていたのです。

ナポレオン戦争後のイギリス軍の剣

18世紀末期に起こったフランス革命を発端に、ヨーロッパ中の国々が参戦することとなったナポレオン戦争。これはフランス最大の敵であったイギリス率いる対仏大同盟(打倒フランスをもくろむ国々で結成された同盟)とナポレオン率いるフランス軍の戦いで、19世紀初頭にフランス軍が敗北し、ナポレオンの失脚によって幕を閉じます。この戦いはヨーロッパ全体に様々な影響を及ぼし、西洋の近代化が大きく進むきっかけとなりました。

試行錯誤を繰り返すイギリスの軽重騎兵用剣

戦いに敗れたフランス軍はもちろん、勝利したイギリス軍も、兵士や武器のあり方に変化が見られるようになります。近代装備への移行が進む中、イギリス軍は剣の見直しのために公式の委員会を設置し、斬撃用剣と刺突用剣のどちらが優れているかの議論を度々行なっていました。試行錯誤の末、イギリス陸軍は斬撃も刺突も可能な騎兵用の剣を開発。そんな中登場した1821年型の軽騎兵用剣には、スピアーポイント型の剣身が採用されています。

スピアー(槍)のポイント(切先)という名の通り、この剣身は槍の穂先のように先端部分のみ両刃になった物。そこに手を護るための3本のバーが付いた鋼鉄製のヒルトが付けられています。

さらに、重騎兵用剣もこのスピアーポイント型の斬撃・刺突両用の剣身となり、ヒルト部分にはボウルガード(椀形の鍔)が付いていたのです。しかし、この1821年型の剣は戦場ではあまり活躍できませんでした。剣身が薄いためすぐに折れてしまい、刺突攻撃がうまくいかなかったのです。こうしてイギリス軍はしばらく剣に対して課題を抱え込むこととなりました。

1853年汎用型剣の登場

1853年になるとイギリス軍の剣はさらに大きな変容を遂げます。それまでは重騎兵用と軽騎兵用の剣は用途に合わせて制作されていましたが、軽量騎兵用の剣は用いず、重軽騎兵汎用型の剣だけを採用。

この1853年型の騎兵用剣は、1821年型の軽騎兵用剣とほぼ形状は同じですが、ヒルト部分に改善が見られました。これは、剣身のタング(茎・剣の柄に入る部分)を幅広のままグリップ(握り)全体に収めることができるヒルトで、従来の細く削られたタングに比べ太くなったことで耐久性が増し、さらに革張りのグリップで「リベット」という部品を使ってタングを固定して、剣全体の補強を実現したのです。

ゴシック様式の歩兵将校用剣

ゴシック様式のヒルト

ゴシック様式のヒルト

イギリス軍の歩兵将校用剣は、ナポレオン時代に制作した1796年型と1803年型が使われていましたが、1822年になると新しいデザインの剣が登場。この1822年型の歩兵将校用剣は「パイプバック型」と呼ばれる剣身の背部分に管を通して強化した物で、この剣身にゴシック様式の真鍮製ハーフバスケットヒルト(籠柄)が取り付けられていました。

当時、イギリスでは中世に誕生したゴシック様式の復興運動が巻き起こっていたため、こういった芸術様式が剣にも投影されるようになり、ヒルトにゴシック建築に見られる窓の形や、紋章や文字を囲む装飾額のカルトゥーシュに王または女王の頭文字がはめ込まれた透かし彫りが施されたのです。

フランス・イギリスの影響を受けた西洋各軍の剣

ナポレオン時代に登場したフランス軍とイギリス軍の剣はヨーロッパ全体に広がり、これらの様式にのっとった剣が各国の軍隊で次々と採用されていました。この二大帝国から強い影響を受けていた18世紀から19世紀のドイツ・オーストリア=ハンガリー帝国・ロシアの歩兵用剣を見ていきましょう。

ドイツの歩兵用剣

ドイツはナポレオン戦争後に国土の改変が行なわれ、1871年にドイツ帝国としてひとつの国に統一されました。それまではドイツ帝国を形成する国々がそれぞれ独自のスタイルで武器を制作していたため、統一後のドイツには多種多様な剣が集まったのです。

これらの多くの剣は、フランスやイギリス軍の剣を模した物が多く、18世紀に作られた剣は、フランスのヒルトのデザインを取り入れた物ばかりでした。

また、ヒルトや剣身には各国の紋章の刻印や彫刻が施されており、これは統一後のドイツでもそのまま使用されていることが非常に多かったと言われています。というのも、ドイツは帝国軍になってからも歩兵用剣はしばらく型式が統一されることはなく、各々の国で作られていた剣がそのまま採用されていたからです。

オーストリア=ハンガリー帝国の歩兵用剣

オーストリアは、その広い領土で多様な文化が誕生し、剣においても様々な種類が作られていました。

19世紀のオーストリアでは、ヨーロッパ全体に広まっていた「スモールソード」のように両刃で真っ直ぐなタイプの剣を主に用いていましたが、歩兵将校達は非公認の剣として「フザール」タイプのサーベルも所持。このフザールとは中世のハンガリーで誕生した騎兵の一種で、その中の兵種が持っていたサーベルのきわめて幅広で片刃の剣身には、宗教的なモチーフや祈りの言葉が刻まれていました。この剣はヨーロッパ中で普及し、もとは軽騎兵用でしたが歩兵用剣として広まっていくのです。

また、オーストリアの剣身の多くは、君主である大貴族・ハプスブルク家の刻印や双頭の鷹の紋章が刻まれていました。

ロシアの歩兵用剣

世界最大の面積を誇るロシアは、アジアからヨーロッパにかけて広がる連邦国家で、西洋とも東洋ともとれる文化を持っていますが、ここでは19世紀以降の西洋化に焦点を当てて紹介します。

1812年にナポレオン率いるフランス軍がロシアのモスクワに侵攻しますが、ロシア軍はこれを撃退しフランス軍を壊滅させました。このナポレオン戦争の戦利品としてフランス製の剣が大量にロシア軍に渡ったことで、ロシア軍の兵士達はこの剣を所持するようになり、兵器の西洋化も急速に進行。さらに、歩兵用(将校用)ロシア製の剣の剣身には優れた物が多く、当時のイギリスの剣身よりも頑丈で高品質な物が作られていたと言われています。

こうしてフランス、イギリスとともに欧州5大国と称されたドイツ・オーストリア・ロシアの3ヵ国も、西洋の流れをくみながら各国の特色を生かしつつ剣を発展させていきました。

西洋の海軍用剣「カットラス」

カットラス

カットラス

西洋の海軍では、もともと陸軍と同型の剣が支給されていましたが、17世紀頃に海上での戦闘が増えはじめると、海軍の軍事力向上のために海軍専用の剣が支給されるようになりました。

さらに18世紀になると、戦艦による大規模な海戦が行なわれるようになり、船上での接近戦に備えてヨーロッパ各国で本格的に海軍用剣が制作され始めたのです。

イギリス海軍の「カットラス」

海軍専用武器として開発された物に「カットラス」という剣があります。これは17世紀頃にイギリスの陸軍が用いていた「カートル」という短い刀身の斧のような剣に由来しており、18世紀になると船上で扱う剣を「カットラシュ」と呼ぶようになったことで、この名称が定着。黎明期のカットラスはイングランドの様々な鍛冶職人が制作にかかわっており、安定した品質が得られず、性能においてもあまり期待できない物でした。そのため、当時の海軍ではカットラスに加えてパイク(槍)や斧などの武器も使われていたと言われています。

その後、品質検査や試験を重ねて、1804年に正式にカットラスの規格が導入されるようになると、次第に安定した供給ができるようになり、海軍の標準装備として多くの兵士達に支給されるようになりました。

一般的なカットラスは、鉄製のヒルトでガード(鍔)部分が8の字形になっています。また、海水で腐食しないように加工された刀身には「GR」の刻印が刻まれており、これは1760~1820年に在位していたイギリス王・ジョージ3世の印で、軍の装備品として認可された物だということを示していました。このカットラスは、フランスと戦ったナポレオン戦争でも武器として使用されていたようです。

20世紀になると、カットラスは次第に戦闘では使われなくなり、イギリス海軍の儀礼用剣として扱われるようになりました。

フランス海軍の「カットラス」

フランスにおいてもカットラスは海軍の武器として導入され、18世紀末期に初めて正式な標準規格が制定され、その後部分的に改良を行ないながら海軍用剣として定着していきました。この時代のカットラスは、3本のバーが付いた真鍮製のヒルトに、凸凹状のグリップ(握り)が付いていたそうです。

その後、19世紀初頭のナポレオン時代に導入された「革命歴11年型カットラス」では、大きく改良されていました。まず、大きなハーフバスケットガード(籠鍔)が付けられ、グリップは表面が平たんな八角形型に。さらに片刃の刀身には太いフラー(樋・軽量化のための溝)が入り、後継モデルの1833年型にはイカリマークが刻まれていました。

フランス海軍では、1880年代以降のカットラスは大きなガードが外されるようになり、これは収納や携帯しやすさを優先した改良だったと考えられています。イギリス海軍と同様に、フランス海軍のカットラスも、20世紀になると次第に船上から姿を消していきました。

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