西洋 剣・刀剣・甲冑(鎧兜)編
中世ヨーロッパにおける剣
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中世ヨーロッパにおける剣

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4世紀末から6世紀に及ぶ「ゲルマン民族」の大移動によって、中世ヨーロッパ世界が形成されます。イングランドを侵略した「アングロ・サクソン人」が特に有名。また、9世紀になると、「ノルマン人」(通称:ヴァイキング)が西ヨーロッパ沿海部を侵略します。彼らがどんな剣を持って、どのように建国に成功できたのか、詳しくご紹介します。

サクソン人にとって剣は自由の象徴だった?

西洋では、4世紀末頃になると、いくつもの地域で歴史的変化が見られるようになります。「ローマ帝国」は、ドイツ北部に居住していたゲルマン民族の侵入によって衰退。ローマの制圧を受けてヨーロッパ各地に散らばっていた「ケルト人」も、ゲルマン民族に支配されるようになります。特に西洋で勢力を拡大したゲルマン民族は、7世紀末になるとヨーロッパ各地の部族を吸収し、さらに大きな民族へと成長。中でも注目したいのが、「ゲルマン系民族」の中でイングランドへ渡った「サクソン人」とその剣です。

アングロ・サクソン人にとっての剣

ヨーロッパ大陸から北海を渡って、イングランドへ進出したゲルマン系民族がサクソン人。現代のイングランドの建国に繋がる基盤を築いた彼らはアングロ・サクソン人と呼ばれ、新しい部族集団を形成するにあたって、いくつかの共通項を大切にするようになりました。髪型や服装、武器などの装備品もそのひとつ。中でも短刀サクスは、サクソン人という名の由来にもなった剣で、多くのサクソン人が所持していた武器だと言われています。このサクスを常備しながら、一般的な兵士は槍と斧で武装していたのです。

また、サクソン人は「貴族」、「自由民」、「解放奴隷」といった階級が決められていた部族で、「奴隷」階級の者には武器の所持が禁じられていました。そのため、剣を所持するということは自由民であることの証明であり、さらに貴族などの上流階級は長い「両刃」の「直剣」などを携えていましたが、その剣は美しい装飾が施された物だったようです。また、歴史研究家による調査で、イングランド各地にあるアングロ・サクソン人の墳墓(ふんぼ)から、このような剣や甲冑(鎧兜)が副葬品として出土したことが判明。アングロ・サクソン人にとって剣などの装備品は、名誉を象徴するための物だったと考えられるようになりました。

サクソン人の象徴的な刀剣「サクス」

サクス

サクス

サクスは、古高ドイツ語(ここうどいつご:最古のドイツ語)で「ナイフ」を意味する言葉。サクソン人の代表的な刀剣として、武器を所持できるほとんどのサクソン人が携えていました。全長40cmほどの短刀で、扱いやすさから中世では武器としてだけではなく、道具として日常的にも使用されていたようです。

サクスは、「片刃」で「直刀」という決まりのみだったため、時代ごとに多種多様に作られているのが特徴。短刀だったサクスですが、7世紀頃には最も長いスクラマ・サクスと呼ばれるタイプが誕生し、徐々に重く幅広で剣身は分厚くなっていきました。スクラマ・サクスは、ヨーロッパ中のゲルマン系民族にとって、身分や戦士としての誇りを示す武器だったと言われています。

1857年には、イギリス南部のテムズ川で、10世紀頃に作られた全長72.1cmのスクラマ・サクスが発掘されました。これには精巧な象嵌(ぞうがん)装飾に、28文字の「アングロ・サクソン文字」が刻まれており、歴史的に貴重な発見となったのです。

ヴァイキングに代々受け継がれる剣

ヴァイキングの刀剣

ヴァイキングの刀剣

9世紀の幕開けと共に、西洋に「ヴァイキング時代」が到来しました。およそ250年間続いたこの時代の主役は、西ヨーロッパ沿海部を侵略したノルマン人(北方系ゲルマン人)、通称ヴァイキングです。

ヴァイキングと言うと、現代の映画作品などによって描かれてきた「海賊」というイメージが強いと思いますが、彼らは海を渡りながら様々な国と交易を行ない、勢力を付けた民族。もともとはヨーロッパ北部のスカンディナビア半島に住んでいた農民だと言われています。

海賊という一面を持ちながら、中世西洋の礎を築いたヴァイキングの剣に注目してみましょう。

ヴァイキングの剣にかける思い

スカンディナビア半島からバルト海を渡りヨーロッパ大陸へと侵略していったヴァイキング。槍や戦斧を主要武器として戦う中で、彼らにとって腰に携えていた剣は、それらの武器とは異なる価値を持った特別な物。ヴァイキングには剣崇拝の信念が強く、「家宝」として代々、父から子へと授ける慣習が行なわれていました。

美的センスやクオリティーを求めた剣

ヴァイキングが使用していた一般的な剣は、全長70~80cmほど。幅広な両刃の剣身に浅いフラー(軽量化するための樋)が刻まれている物でした。これらの剣身の品質は高く、ヴァイキングの剣を作っていた鍛冶職人達は「模様溶接」の技術も修得していたと言います。彼らは職人としてのプライドを持っていたため、当時の剣には制作者の「銘」(めい)が刻まれている物が多かったそうです。

ヴァイキングの剣の特筆すべき点と言えば、やはり「ポンメル」(柄頭)でしょう。ポンメルの材質は、高品質で重厚な剣身とのバランスを取るために「鉄塊」が主流でしたが、青銅製や銀を象嵌した「鉄製」の物も見られました。

9世紀初期のポンメルの形は、ピラミッド型が主流でしたが、その後、時代と共に変化し、複数の三角形を組み合わせた複雑な形状の物が作られるようになっていったのです。そこでの最大の特徴は、芸術的な金属細工が施されていること。高度な技術が必要とされる金属による「組紐模様」や「幾何学模様」がヴァイキングのポンメルに施されていたのです。このことから、鍛冶職人と同様にヴァイキングの時代には、優秀な金工職人が増えていたのではないかと考えられています。

さらに、これらの剣はポンメルだけでなく、「クロス・ガード」(十字型の鍔)や毛皮で覆われた鞘の鐺(こじり:鞘の末端部分の飾り)も金具で装飾されていることから、彼らが美しく華やかな剣を欲していたことがよく分かるのです。

日本の「武士」が名刀に呼び名を付けていたように、地位の高いヴァイキング達も所有する剣に強さをアピールするような名前を付けていました。このように、ヴァイキングは自らの名誉を剣に託し、子孫へと継承したのです。

ヴァイキングの決闘と剣

「北欧の海賊」と呼ばれたヴァイキングの登場によって、動き始めた中世の「西洋剣史」。彼らは、先祖であるゲルマン人の信仰をもとに独自の信念を貫いてきた民族で、西洋において数々の歴史物語を残しながら、「西洋剣」に大きな影響を与えてきました。彼らの文化でもあった「決闘」を中心に、ヴァイキングと剣の関係を探っていきましょう。

様々な文化の影響を受け変化してきた兜

兵士が描かれたルーン石碑

兵士が描かれたルーン石碑

ヴァイキングは、小競り合いや闘争が起こった際の解決方法として、剣による決闘で決着を付けていました。

彼らはこの決闘を「holmgang」(ホルムギャング)と呼んでおり、これは「島へ行く」といった意味の言葉で、相手と真っ向勝負をするために小さな島で決闘が行なわれていたことに由来。ヴァイキングが支配していたバルト海周辺で最大の島「ゴットランド島」には、ヴァイキングの戦士が剣を武器に一騎打ちをしている様子が描かれた石碑が残っています。

これは9世紀頃に作られた絵画石碑で、「スウェーデン」や「デンマーク」などの北欧ではヴァイキング時代(800~1050年)にこのような石碑が多数作られていました。

また、「ルーン石碑」と呼ばれるゲルマン系民族の古い文字で歴史が刻まれた石碑にも、このようなヴァイキングと決闘にまつわる記録が残されています。

ヴァイキングの決闘方法

ヴァイキングの決闘には、いくつかのルールがありました。まず、決闘者はそれぞれひとりずつ「介添人」を選びます。介添人は、盾を持って決闘者を攻撃から護るという役割があり、決闘において重要な存在。そして、決闘の場には、獣の皮などで作られた四角い布が広げられており、周囲にロープを張ってリングの範囲を定めました。

決闘は両者が同時に攻撃を行なう物ではなく、「先攻」、「後攻」を決めて交互に攻撃する「ターン制」となっており、その際先攻となるのは、「決闘を申込まれた相手」と決められていたようです。基本的に勝敗は「申告制」となっていたようで、剣による攻撃で血を流し、どちらかが「戦闘不能」となった場合は負けを認め、勝者に対して敗者から「賞金」が渡されたと言われています。

また、自分のターンであとずさりして足が布の外へ出てしまった場合は「逃げた」と見なされ、その場合は強制的に負けを認めなければいけませんでした。

剣と共に語り継がれる北欧物語

このようなヴァイキングの決闘は伝統文化となり、「サガ」(物語)として後世に語り継がれたのです。「ヴァイキング・サガ」には、やはり剣を特別視しているような記述が多く見られ、彼らが剣を神聖化していたことが分かります。

また、ヴァイキングが愛用していた「ヴィーキング・ソード」は、魔力を持つ剣と伝えられており、鉄製の剣身には強化のために模様溶接が施されていましたが、この模様が蛇に見えることから剣から蛇が這い出てくる名剣伝説としてサガに記されていました。

このように、剣と共に歴史を歩んできたヴァイキングの戦士達は、剣による戦いで命を落とすのは誇らしいことだという共通認識を持っていたのです。そんな彼らは、死後の世界でも戦の神に導かれ、永遠に戦い続けることができると信じていたほど。ヴァイキングは、野蛮な海賊ではなく、「誇り高き戦士」という一面を持っていたのです。

騎士の誕生とノルマン人の剣

日本刀(刀剣)が武士の魂を象徴する物であるように、西洋において「騎士」という存在は剣と深く結び付けられてきました。これはもちろん、使用していた武器という単純なかかわりではありません。「武士道」と同様に「騎士道」という言葉があることから、剣が騎士の品格や精神性をあらわす「シンボル」として機能していたことを示しています。戦場で騎士が活躍するようになったこの時代に、西洋剣史は大きな転換期を迎えました。

重装騎兵による騎兵隊の活躍

西洋で騎士という称号が誕生したのは、9世紀から10世紀にかけて。古代から続く民族移動時代に多様な騎馬民族が西洋へ侵入し、彼らの騎兵戦術がじわじわと広がっていく中で、馬具が発達したことが大きく関係していると考えられます。

例えば、軍馬に金属製の「蹄鉄」(ていてつ:馬の蹄に着ける保護具)が広く使用されるようになったことや、古代から使用されていた「鐙」(あぶみ:騎乗時に足を掛ける部分)が改良されたことで安定して騎乗できるようになりました。こうして11世紀になると、西洋では騎士による騎兵隊が主力部隊として戦うようになったのです。

ノルマン人の「ブロードソード」

ブロードソード

ブロードソード

9世紀に西洋各地を侵略したヴァイキングは、911年、現在のフランス北西部に「ノルマンディー公国」を建国。ノルマンディー公国に住むヴァイキング達をノルマン人と呼ぶようになり、1066年に彼らはゲルマン系民族であるアングロ・サクソン人が支配していたイングランドの征服に成功します。

イングランド南東部に位置するバトルの丘で繰り広げられたこの会戦は「ヘイスティングズの戦い」と命名され、重装騎兵で軍を固めたノルマンディー公「ギョーム2世」が、歩兵中心の軍隊を組んでいたイングランド王「ハロルド2世」を圧倒的に追い込むような戦いを繰り広げました。

このとき活躍したノルマン人の騎兵隊が装備していた武器は、鋭い両刃の剣身のブロードソードという剣で、全長およそ75cm。騎兵達が片手で素早く振り下ろして斬り付けられるように、細身の剣身全体にフラー(樋)を入れて軽量化するなど、騎兵が扱いやすいように改良されています。ノルマン人は、このブロードソードと「ランス」と呼ばれる騎兵槍を用いて突撃し、勝利をつかみ取ったのです。

ロングソードの原型となった剣

ノルマン人が使用していたブロードソードの進化系である「アーミング・ソード」と呼ばれる騎兵用の剣が登場すると、じわじわと中世ヨーロッパの騎士達の間で広まり、12世紀から13世紀にかけて彼らの主流武器として採用されるようになりました。

アーミング・ソードは、重装騎兵達が密集して戦う際に扱いやすいように作られた剣で、ブロードソードと同様に軽量であることが求められたため、剣身にフラーが2本入っていることが大きな特徴。また、大きなクロス・ガード(十字型の鍔)が付いたシンプルなヒルト(柄)など、その他の部分においては、ヴァイキング時代の剣からほとんど変化した点がなかったようです。

当時の西洋騎士達は、この剣を腰に携えることで騎士の自覚を持つようになり、逆に、剣を持ち歩いていない者は嘲笑の的になりました。騎士のステータスシンボルでもあったアーミング・ソードはその後、中世騎士を代表する剣ロングソードへと発展していくのです。

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