アジア・アフリカ 剣・刀剣・甲冑 (鎧兜)編
アフリカの刀剣
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アフリカの刀剣

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中国やアメリカの約3倍もの面積を誇る巨大な大陸、アフリカ。その雄大な土地は、54カ国の独立国と、多種多様な民族・言語・文化によって形成されています。そのため、刀剣の種類も実に豊富で、地域によってデザインや慣習は全く異なります。ここでは、アフリカの特徴的な刀剣について見ていきましょう。

アラブ文化に影響を受けた北アフリカの刀剣

600年以降、北アフリカではイスラム帝国による侵攻が頻発し、一部の地域がイスラム帝国の支配下に置かれることとなりました。

この時代、北アフリカの地域にはイスラム教とともに新しい武器が持ち込まれ、直剣や湾曲した刀剣など多様な武器が集まってきたのです。

その影響から北アフリカの地域で作られる刀剣には、イスラム圏の武器とアラブ文化が色濃く反映されるようになりました。

鋭い切先で突き刺す「フリッサ」

フリッサ

フリッサ

モロッコ、アルジェリアなどの北アフリカ北西部に住むベルベル人の伝統的な刀剣「フリッサ」。

この剣は、片刃の剣身の中央部分が少し膨らんだような形状で、ヒルト(柄)は彫刻や真鍮象眼(しんちゅうぞうがん=銅と亜鉛の合金素材に異質の素材をはめる)による装飾が施されており、ポンメル(柄頭)には動物の頭を象った物が付けられています。

しかし、グリップ(握り)には、ほとんどの剣に見られるガード(鍔)がありません。真っ直ぐに伸びた切先は、針のように非常に鋭く尖っており、鎖帷子(くさりかたびら)の鎧を貫く程の威力を持った刀剣でした。

アラブと西洋の融合「ニムシャ」

ニムシャ

ニムシャ

モロッコで制作された「ニムシャ」という剣は、鉤状のポンメルが付いた独特なヒルトが特徴の片手剣で、アラブの代表的な刀剣「シャムシール」(西洋ではシミター)の一種だと言われています。

また、剣身にはヨーロッパで17世紀に誕生したブロードソードが再利用されており、その生産地はドイツやイタリアのヴェネツィア、ジェノヴァといった地域の物がほとんどでした。地中海に面した北アフリカでは、このように古くからヨーロッパの製品が海を渡って流通していたのです。

タコーバ

タコーバ

タコーバ

サハラ砂漠をラクダで闊歩する遊牧民族トゥアレグ。青いターバンと衣服をまとっていることから「青い民」と称される彼らは、肩から「タコーバ」という剣をぶら下げています。

タコーバの剣身は約1mと大きく、幅広の両刃にフラー(軽量化するための樋)が3本以上刻まれており、シンプルな十字架形のヒルトが主流となっています。

16世紀に登場したタコーバは、なんと現在もトゥアレグ族向けに制作されており、イナダーンと呼ばれる身分階級に属する伝統的な鍛冶職人が鍛えています。

西アフリカの王国を象徴した刀剣

アダ

アダ

西アフリカでは、紀元前900年頃から土偶と製鉄技術のノク文化(=鉄器を使った文化)が巻き起こり、この時代に鉄器を使った造形品が数多く制作されています。

こうした時代のなかで、ナイジェリア南西部に居住する、西アフリカ最大の民族「ヨルバ人」は、鉄鉱石の製錬技術を身に付けており、刀剣制作に携わっていました。

競い合うヨルバ人とエド人の鍛冶職人

12世紀から18世紀にかけて、ヨルバ人の王国イフェは、東に隣接するエド人の王国ベニンとともに工芸技術力を高め合いながら互いの発展を遂げていました。この両国の文化交流が作用して、ある刀剣が作られていたのです。

ヨルバ人とエド人の技術がつまった刀剣

両国の技術をかけ合わせた刀剣「アダ」は、鉄だけで作られたロングソードで、両手用、片手用を制作していました。両刃の剣身は、先端へ向かって大きく広がった木の葉形で、たたき斬ったり、斬り裂くことに向いていました。主な用途は儀礼用につくられた刀剣で、ベニン王国を支えた初期の王たちに贈られたそうです。

15~16世紀には、ヨルバ人とエド人の一般的な兵士は「オピア」と言うショートソード(短剣)を武器としていました。オピアは両刃の剣で、アダを小型化した物でした。

また、ベニンの権力者たちは「エベン」と言う特別な剣を携えており、これは権威の象徴とされていました。エベンが他の剣よりも優れていたのは、透かし細工や真鍮の象眼で装飾が施されている点で、シンボル的な剣として機能していました。このようなベニンの鍛冶職人の金属細工は、隣国からも非常に高く評価されていたのです。そのため、もし戦争が始まってベニンの鍛冶職人が敵国に捕まったとしても、処刑されずに武器を作る仕事を任されるだろうと言われていました。

アシャンティ王国の宝剣

アフェナ

アフェナ

17世紀、現在のガーナに位置する場所にアシャンティ王国が建国されました。18世紀半ばになると、奴隷貿易によりベニン王国をしのぐ勢いで繁栄し、アシャンティの王に「アフェナ」という宝剣が授けられます。

アフェナは鉄製の湾曲した剣身で、木製のヒルト(柄)には円柱形のグリップ(握り)に特徴的な球体のポンメル(柄頭)が付けられており、ヒルトにも鞘にも「アボソディー」と呼ばれる金の装飾が施されていました。

このアボソディーには、国の王権を主張する役割があり、例えば、人間の頭部、結び目、貝殻、戦士、空想上の生き物などの王家を象徴するシンボルが使われていました。

王の権力を示す数々の剣

宝剣・アフェナから派生した剣に「アソンフォフェナ」と言う剣があります。これは、王の使者が携えていた宝剣で、アシャンティの人々は、この剣を持つ王の使者にも敬意を払っていたと言います。このようなアシャンティに用いられた宝剣の数々を総称して「ケテアノフェナ」と呼びます。なかでも「ムポンポンソ」という剣は、国の宝剣のうち最大の剣で、国王へ忠誠を誓うときに使われました。

また、儀礼用の刀剣として「アフェナテネ」と言う非常に珍しい形状の剣があり、3つの剣身が外向きに広がるように束ねられた剣で、剣身には雷文の透かし彫りや、動物のモチーフが刻まれており、ヒルトが蛇の体になっている物も。この宝剣は、首都クマシの宮殿でアシャンティの国王が正装して座っている背後に置かれていたと言います。

スーダンの西洋的刀剣と鍛冶職人

北東アフリカに位置するスーダンでは、中世にかけて発達した騎馬隊の力で、中央アフリカから象牙などの大量の物資を調達していました。その報酬として、ヨーロッパの商人から剣や槍などの武器を受け取っていたため、スーダンで西洋の武器が広まっていきました。

アフリカらしくない刀剣「カスカラ」とは?

カスカラ

カスカラ

アフリカで最も異色な刀剣と言えば、中世ヨーロッパの騎士が持つブロードソードにそっくりな「カスカラ」と言う剣でしょう。カスカラは、両刃の直剣で、剣身の中央に太いフラー(樋)が走り、ヒルト(柄)には鉄製か真鍮製の十字架形のクロスガード(鍔)と円盤状のポンメル(柄頭)が付いています。このように西洋のスタイルと酷似したカスカラは、中世に十字軍によって持ち込まれた武器なのではないか?という説も流れる程です。

しかし、この西洋的な刀剣がスーダンの代表的な武器と言われるようになったのは、恐らく、中世から近世の時代にスーダンにたくさんの西洋武器が集まっていたことが影響しているのだと思われます。

カスカラに刻まれた刻印

カスカラには興味深い点があります。それは、ヨーロッパの制作者のマークを偽造して剣身に刻印してある物が多いところです。17~18世紀のカスカラには、ヨーロッパから輸入した剣身が使用されていましたが、現存しているカスカラのほとんどが19世紀に製造された物であり、制作者のマークはスーダンの鍛冶職人が価値を高くするために後で付け加えた物だと考えられています。

また、19世紀のダルスール(スーダン西部に位置する地域)の君主であるアリ・ディナールのカスカラには、剣身にイスラム教の聖典であるコーランの祈りの言葉が刻まれています。

アフリカにおける鍛冶職人

アフリカでは、鍛冶職人に対するイメージは古代から大きく変化していませんが、現代でも鍛冶職人は魔術師のような存在とされている地域もあるようです。また、アフリカには鍛冶職人は伝説的な特別な存在だと考えている人たちもいました。その理由は、定かではありませんが、後世の歴史学者の見解では、数多くのミステリーに包まれる古代エジプトから伝わった製錬技術を、サハラ砂漠の鍛冶職人が身に付けたことに由来しています。

そうしたことから鍛冶職人が村にやってきて鍛冶場を作りだすと、それだけで人々はパニック状態になっていたそうです。しかし、鍛冶場から様々な武器が作られていく様子を見ているうちに、村人たちは鍛冶職人を崇拝する対象として認めはじめました。

アフリカの鍛冶職人たちは日本と同様に、武器の需要が低い時期は、畑を耕す農具や狩猟用の道具などをつくって農民と同じような暮らしをしていたと言われています。

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