アジア・アフリカ 剣・刀剣・甲冑 (鎧兜)編
アジア・アフリカの防具
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アジア・アフリカの防具

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人類は、その文化史の誕生とともに武器を生み出し、使い続けてきました。あるとき、武器による攻撃から身を守るためにはどうしたら良いのか、と立ち止まって考えるようになります。このとき初めて「防具」という概念が生まれたのです。「防具」も刀剣同様に地域と時代に応じて様々な種類が生まれてきました。アジア・アフリカにおける防具について紹介します。

古代文明のなかで進化する防具

人類史に武器が誕生してから何万年もあとのこと、多くの武器が発祥した最古の文明の地・メソポタミアで初めて青銅製の防具が誕生しました。世界初の組織化された軍隊を持つメソポタミアの兵士たちは、この青銅製の防具の他に一体どのような装備で戦いを繰り広げていたのでしょうか。

メソポタミア兵士の装備とは?

「ウルのスタンダード」に描かれている兵士

「ウルのスタンダード」に描かれている兵士

メソポタミアの兵士は、ベルトの付いた膝丈のキルトをはき、フェルトか皮で作られた全身を覆う程大きなマントを羽織っていました。キルトは厚手の羊皮を素材に作られていたようです。

また、頭には帽子をかぶっており、ぴったりとした細長の帽子には顎の下に固定するための紐が付いていました。この帽子が兜の原型となったと言われていることから、このような装備品は、当時の戦いにおいて、ある程度の防御力を発揮していたのではないかと考えられています。

この兵士の姿は、初期のメソポタミア文明を築いた、シュメールの都市ウルの遺跡で発見された「ウルのスタンダード」と呼ばれる美術品にも描かれていました。

金属製の甲冑もすでに発明されていた!

メスカラムドゥグ王の黄金の兜

メスカラムドゥグ王の黄金の兜

さらに驚くべきことに、首長や軍隊の司令官などの階級の人々のなかでは、すでに貴重な銅や青銅を使った金属製の甲冑が作られていたのです。この歴史的事実を証明したのが、先程の美術品も発見されたシュメールの都市・ウルの王墓の中から出土した「メスカラムドゥグ王の黄金の兜」で、紀元前2500年頃に作られた琥珀金(金銀合金)製の兜です。

しかし、これは戦闘用ではなく、あくまでも権力を象徴するための物だったと言われており、兵士たちは、木製の盾で攻撃を防いでいました。

腰布から鎧へ変化した古代エジプト兵士

「小札鎧」を着た兵士

「小札鎧」を着た兵士

古代エジプトは、中王国時代(紀元前2040〜1640年頃)までは実にシンプルな装備でした。高温な地域のため、兵士の衣服は腰布1枚だけで、防具と言える物は木製か皮革製の盾のみでした。半裸の状態で戦っていたエジプト兵たちですが、数々の異民族との戦いを経て徐々に衣服や装備に変化が見られるようになります。

エジプト新王国時代(紀元前1570〜1070年頃)には、兵士の装備は大きく進化を遂げました。皮革や綿の詰め物で強化した衣類を着用し、中央アジアから伝来した鱗状の金属片が連なる小札(こざね)鎧を身に付けるようになりました。ファラオはこれに加えて兜のような王冠をかぶっていましたが、一般の兵士たちはカツラや頭巾で頭部を保護していたようです。

古代文明における兵士たちは、日常的に戦いを繰り返していく中で、試行錯誤しながら防具を作っていたのでしょう。人類にとって防具の発明は、もしかしたら武器が与える以上に文化の発展と大きく関係していたのかもしれません。

古代オリエントの巨大軍隊の防具

文明発祥の地・メソポタミアの北部に、かつて紀元前2500年に建国したアッシリアという古代王国がありました。紀元前10世紀から紀元前7世紀にかけて新アッシリア時代を築いたアッシリア王国は、全オリエントを征服する程強大な世界帝国へと発展します。

しかし、強制的な支配は長くは続かず、巨大帝国はすぐに滅びてしまいます。その後、このアッシリア帝国に替わって再度オリエントを統一したのがアケメネス朝ペルシア帝国です。

個性的なアッシリアの歩兵

「キトン」を着用した歩兵

「キトン」を着用した歩兵

軍事力の向上を図ってオリエントの支配を成功させたアッシリア王国。彼らは徹底的に装備や防具を研究し、アッシリア独自の戦法を作っていたのです。アッシリア軍の主要部隊は槍兵と弓兵からなる歩兵部隊で、軽装歩兵と装甲歩兵に分かれていました。

この歩兵たちはみな「キトン」と呼ばれる物を身に付けており、これは毛織物や亜麻布で作った半袖の衣服で、なかには足の甲にかかるマキシ丈のキトンを着た兵士もいました。

さらに重装歩兵はキトンの上に胴着のような鎧や、金属片が連なる小札鎧を着用していました。頭部にかぶっていた兜は個性的な物で、円錐形の縁を金属で補強した皮革製で、耳当てが付いていた物もありました。

巨大軍隊と呼ばれるオリエントの兵士たち

紀元前609年アッシリア王国が滅亡し、オリエントは4つの国に分かれます。オリエントの中央に位置する新バビロニア帝国、そして東に広がるメディア王国、北西に小さなリディア王国、そしてエジプトです。

この4ヵ国の統一に成功したアケメネス朝ペルシア帝国(紀元前550〜330年)は、アッシリアのように圧迫的な支配をしなかったこともあり、各国諸民族が所属する世界一多種多様な巨大軍隊を作り上げたのです。

カラフルな「不死隊」

ペルシア帝国「不死隊」の歩兵

ペルシア帝国「不死隊」の歩兵

人口約5000万人にも及ぶ巨大国家に作られたペルシア軍は、支配下にある各国の諸民族が集まって作られ、それぞれの民族がそれぞれの伝統的な衣装・武器・戦法で戦う規格外の巨大軍隊だったのです。

そんなペルシア軍の中心にいた部隊は槍を武器とする歩兵でした。総勢1万人からなるこの部隊は「不死隊」と呼ばれ、世界的にその名を轟かせました。この名前は倒しても、倒しても、どこからともなく新しい歩兵が補充されることに由来しています。

不死隊の兵士たちの自由な装いは軍隊を彩っていて、例えばペルシアの歩兵たちは、ゆったりしたズボンに革靴、マキシ丈のカラフルなキトンを着用し、円錐形の兜をかぶり、司令官になると金属片に金メッキが施されている鎧を着ていました。

ところがメディア人の兵士は、兜の代わりにフェルトで作られた半球形の縁なし帽をかぶり、その中には羽根飾りが付いている兵士もいました。また外套をまとったアラブ人や、麻のジュポンを身に付けたアッシリア人、毛皮や皮革をまとった様々な民族の兵士、ターバンやキツネの帽子をかぶる兵士まで。こんなに色とりどりで個性豊かな軍隊は、世界中を見渡しても、二度と現れることはありませんでした。

モンゴル兵士を護っていた防具とは?

1206年「テムジン」と言う、あるひとりの男によって、モンゴルの遊牧諸部族は統一されました。モンゴル帝国を一代で作り上げたこの男は「チンギス・カン」として、世界の歴史にその名を刻むこととなります。モンゴル軍はアジアを中心に次々と周辺諸国を征服していき、13世紀末には朝鮮から東ヨーロッパの広範囲に一大帝国を築き上げたのです。

圧倒的な強さを誇るモンゴル軍の実態

みるみるうちに勢力を拡大していったモンゴル人。彼らは一体なぜそんなにも強かったのでしょう。モンゴル軍は何か特別な装備を用いていたのでしょうか?モンゴル帝国の軍隊と防具の秘密に迫ります。

モンゴル軍の掟

モンゴル兵士の装備

モンゴル兵士の装備

モンゴルの男性は、幼少期から日常的に馬に乗り、弓を射る訓練を積みます。成長とともに鍛え上げられた彼らは、成年になる頃には一人前の戦士へと変貌を遂げます。特別な訓練をしなくても、十分に兵士としての技量を持った人間が集まって組織化されることで、最強のモンゴル軍が形成されていたのです。

これに加え、厳しい服従規則や綿密に練られた作戦の立案能力もモンゴル軍の強さに欠かせない要素となっています。

騎兵に特化した装備

ラメラーアーマー

ラメラーアーマー

モンゴル軍と言えば、もうひとつ高度な技術を持った騎兵が特徴ですが、主要部隊である軽装騎兵の装備はまさにモンゴル特有の物でした。彼らは鎧を身に付けず、厚い革製のフロックコートだけで防御していました。また、中国産のシルクで織った上着や、詰め物をした上着を羽織ることで、矢の攻撃によるダメージを最小限に留めていたと言います。

一方、精鋭部隊である重装騎兵は、西洋の有名な鎧「ラメラーアーマー」のように金属甲片を綴った薄片鎧を着用し、円形の盾で防御していました。15〜17世紀のモンゴル軍には独特な形状の兜が採用されており、細長い鉄の甲片を革紐で何枚も綴り合わせた鉢型の兜で、高さは21.6cmもある物でした。また、モンゴルの族長と呼ばれる指導者たちは、浅い鉢に大きな毛皮の飾りが左右についた兜をかぶっていました。

さらに中国を征服し元王朝(1271〜1368年)を建てたときには「ブリガンディン」と呼ばれる胸部や胴体を護る鎧が新しい防具として使われていました。この鎧は、金属の甲片が裏地(革や布地)に縫い付けられている物で、表面には鋲で装飾が施されています。モンゴル軍の様子が描かれたイラストなどで、度々見かける鋲がついたベストのような物がこのブリガンディンです。

モンゴル軍の装備を見てみると、甲冑や防具に関しては、ことさら頑丈さを追求していたわけではないことが分かります。モンゴル兵士を護っていた物、それは子どもの頃から鍛えられた強靭な肉体と精神力を持つ彼らに芽生えた戦士としてのプライドではないでしょうか。

象とともに戦っていたインド兵士の防具

鎧をまとったインドの「戦象」

鎧をまとったインドの「戦象」

インドの軍隊では古代から18世紀まで、象が戦闘の手段として使われてきました。この軍事用の象を「戦象」(せんぞう)と言い、象を護るための防具として戦象用の鎧も作られていました。この鎧は、様々な金属のプレートを甲片で繋ぎ合わせた物で、象の長い鼻を覆うように顔全体にもかけられていました。

また、インドでは賓客をもてなすときにも象が用いられていたため、象専用の様々な装備が用意されていました。これらの装備品は、いずれも兵士の武器や防具であるのと同様に、インド特有の芸術的な装飾が施された物でした。

やっぱりインドは防具も芸術的だった!

インドでは刀剣(日本刀)と同じように、防具もペルシア(イラン)から伝わった物が広く普及しており、この防具類は16~19世紀のペルシアの独特な要素を持つ甲冑で構成されていました。

まず、兜は半球型で鉢が浅く、先端が尖っている物や、顔を可動式の鼻当てで覆う物、兜の前面や両脇に羽飾り用の金属の差し込み口がついている物などが用いられてきました。また、これらの兜には肩まで覆う鎖帷子(くさりかたびら)の垂れや、プレートで作られた頬当てや首当てが取り付けられていることも。

そして胴体は、大腿部まで届く長さの「ホーバーク」という鎖帷子式(くさりかたびらしき)の物です。特徴的なのが、小さな鎖の環が、鉄・銅・青銅などの異なる素材を組み合わせて作られているところで、視覚的に美しい陰影を作り出します。最後に、鋼鉄製の円形盾は、ダマスカス(シリア)発祥の金工象嵌による装飾が見事な「シパル」(インドでは「ダール」と呼ばれる盾)と言う物で、このようにインドでは芸術的なイスラム文化を感じられる防具が多く揃えられていました。

甲冑を強化する「チャール・アイナ」

「チャールアイナ」がついた鎧

「チャールアイナ」がついた鎧

インドの甲冑には鏡のように磨かれたプレートがよく用いられています。これはペルシアの代表的な補強用防具で「4枚の鏡」を意味する「チャール・アイナ」という物。

胸当て・背当て・両脇用のプレートの4枚を革紐で繋ぎ合わせた作りになっていて、プレートには金メッキや銀メッキで繊細な装飾が施されている物もあります。ホーバークの上からこのチャール・アイナで補強する方法がよく使われていました。

地域的特性とインドの防具

インドの兵士たちは、表面を鋲で装飾的に施して補強をしたキルティング式フロックや、布素材の裏に金属の甲片を裏打ちしたブリガンディンなどの鎧もよく使用していました。これらは、インドの伝統や特色に基づいて発達してきた防具で、とにかく暑い気候に悩まされていたインドでは重宝されていたようです。なぜなら、布素材で覆われた鎧のほうが、本体が熱くなりにくく、鉄や金属の鎧に比べて快適に装着できたからです。

しかし、インドのように暑い地域においても、やはり世界の国々と同様に甲片とプレートを組み合わせた堅強な鎧は非常に人気があったようです。

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