歌舞伎の名立師をご紹介
名歌舞伎役者の立師②
歌舞伎の名立師をご紹介
名歌舞伎役者の立師②

文字サイズ

歌舞伎で立廻り(たちまわり:日本刀での斬り合いや格闘場面)の振付師を「立師」(たてし)と言います。その中から、坂東八重之助(ばんどうやえのすけ:1909~1987年)、四代目尾上菊十郎(おのえきくじゅうろう:1942年~)、二代目尾上松太郎(おのえまつたろう:1939年~)をご紹介します。

立廻りの神様と言われた坂東八重之助

屋号 音羽屋(おとわや)
本名 秋元安雄(旧姓 近沢安雄)

坂東八重之助は、現在立廻りが見どころのひとつとなっている歌舞伎演目の多くに、名立師としてその名を残しています。1964年には、「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」(選択無形文化財)に指定された他、1958年毎日演劇賞、1973年紫綬褒章、1982年勲四等瑞宝章など受賞歴も多数あります。

六代目尾上菊五郎に師事

坂東八重之助

坂東八重之助

坂東八重之助は兵庫県神戸市で育ち、1920年に四代目中村福助(なかむらふくすけ)・三代目梅玉(ばいぎょく)に入門し、「吉田屋」の禿(かむろ)で初舞台。

歌舞伎役者としてのスタートは上方での女形からでしたが、1924年に上京し、六代目尾上菊五郎(おのえきくごろう:1885‐1949年)の一座に入門後、小柄で体が軽かったことから、立廻りの修行を始めます。

六代目菊五郎は、初代中村吉右衛門(なかむらきちえもん)とともに「菊吉時代」と呼ばれる一時代を築き、演劇の神様とまで言われた歌舞伎役者で、自身も若い頃からとんぼを返ったという人物。その六代目菊五郎のもと、菊五郎劇団の立師として数々の立廻りを考案し、今に伝わる型を創っていきました。

壮年期まで舞台上で熟練の技を披露

八重之助の立廻りは、迫真的でかつ絵画的な魅力を放つ物で、晩年は立師の後進を育てることに専念しましたが、若くして「とんぼ(宙返り)の名人」とうたわれた才能を生かし、壮年期まで舞台の上で熟練の技を披露し続けました。

中でも、1953年9月の明治座での「蘭平物狂」(らんぺいものぐるい)において、蘭平役の二代目尾上松緑(おのえしょうろく)とともに綿密な手順でダイナミックな立廻りを創り上げ、舞台で八重之助自身が見事な返り落ちを演じたことは、今も熱く語り継がれています。

また、50代半ば、1963年7月歌舞伎座における七代目尾上梅幸(おのえばいこう)の「有松染相撲浴衣」(ありまつぞめすもうゆかた)通称「有馬の猫」では、化猫に翻弄される局の吹き替えを見事に演じ、屏風の上で逆立する超人的な芸は「影の名優」というテレビ番組にまでなりました。

有馬の猫は戦後初めての公演で、自ら考案した危険な大立廻りの吹き替えを誰にやらせるかを悩みに悩んだ末、おそらく自身の最後の舞台となるであろうことを決意しての挑戦だったようです。

舞台への細心の心配りと後世への思い

こんな話も残っています。テレビのドキュメンタリーで八重之助が取り上げられた際、取材クルーは、立廻りのない演目の際にも楽屋で熱心に竹光(たけみつ:竹を削った物を刀身にして日本刀のように見せかけた物)に磨きをかけ、最後におしろいで刃を付ける坂東八重之助の姿に目を留めました。「抜きもしない日本刀をなぜ磨くのか?」という問いに彼は、「たとえ抜かなくても、日本刀は武士の魂です」と答えています。

こうした八重之助の細心の心配りは、立師として後進を育てることにも大いに生かされたようです。演目によっては立廻りの様式がほとんど伝わっていない物も数多くあり、自身が師匠や先輩から学んだ古い型や、彼自身が立師として考案した物を書き残すことにも力を注ぎました。

世界無形遺産に登録され、「ザ・日本の伝統!」と言える歌舞伎が今も生きた芸能として愛されているのは、このようなひとりの立師がいたことも非常に大きいのではないでしょうか。

立師・坂東八重之助の代表的な演目

坂東八重之助考案の立廻りが見られる代表的な演目には、次のような物があります(演目名は通称もあり)。

鈴ヶ森 権八と雲助(街道で暮らす住所不定の人々)達との立廻り
白浪五人男 極楽寺大屋根での弁天小僧と捕り手との大立廻り
蘭平物狂 奥庭の井戸館での蘭平と捕り手との大立廻り
野晒悟助
(のざらしごすけ)
大詰めの八幡鐘の立廻り
義経千本桜 小金吾討死場面での捕り縄を使った立ち廻り
南総里見八犬伝 芳流閣での大立廻り

「演劇の神様」と「立師の神様」から薫陶を受けた四代目尾上菊十郎

屋号 音羽屋

四代目尾上菊十郎は、演劇の神様とまで呼ばれた六代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)の最後の内弟子であるとともに、立師としては立廻りの神様・坂東八重之助から直々に教えを受けた歌舞伎役者です。

国立劇場優秀賞、歌舞伎座賞、松竹会長賞の他、第1回日本俳優協会賞(1995年)、松尾芸能賞優秀賞(2006年)、文化庁長官表彰(2011年)、第20回日本俳優協会賞特別賞など受賞歴も多彩です。

小気味良い小悪党の演技が秀逸

六代目尾上菊五郎に入門し、1948年に尾上幸一として新橋演舞場で「助六曲輪菊」(すけろくくるわのももよぐさ)の廓(くるわ:遊郭)の若い者で初舞台。1958年に同じく新橋演舞場で尾上梅五郎と改名。1968年、歌舞伎座での「乗合船」の箱廻り栄吉で四代目尾上菊十郎を襲名し、名題に昇進。六代目菊五郎仕込みの名脇役であり、江戸の空気を漂わせることに長けた貴重な存在として「菊五郎劇団」を支えてきた人物です。

特に、「髪結新三」(かみゆいしんざ)の鰹売りや「暗闇の丑松」(くらやみのうしまつ)の湯屋番など、気っ風(きっぷ)の良い江戸っ子ははまり役。また、世話物の小気味の良い小悪党の演技にも定評があります。当たり役とされるのは、「青砥稿花紅彩画」(あおとぞうしはなのにしきえ)通称「白浪五人男」の、「雪ノ下浜松屋の場」での五人男の手先である「狼の悪次郎」。白浪とは盗賊のことで、その盗賊を主人公にした作品を歌舞伎では「白浪物」(しらなみもの)と呼び、盗賊ではありますが、人間的な魅力のある人物であることが多く、手先の狼の悪次郎もそんなひとりです。

菊五郎劇団の若手の指導者として活躍

四代目菊十郎は、こういった役者としての顔とともに、昭和の名立師・坂東八重之助が直々に育てた立師のひとりとしても大いに活躍し、2011年にはその両面での活躍が認められ、我が国の文化の振興に貢献した人物に送られる「文化庁長官表彰」を授与されています。

坂東八重之助の没後、役者としてはもちろん、立師としても菊五郎劇団になくてはならない存在として後進の指導にあたっています。

菊五郎劇団とは

菊五郎劇団とは何か、についても少し触れておきましょう。現在、歌舞伎において一門ではなく劇団という名で呼ばれているのは、菊五郎劇団だけです。

1949年に不世出の名優として知られた六代目菊五郎が病死したあとに、六代目の存在感があまりに大きかったため、残された人達が心を決して菊五郎劇団として結束し、今に至っています。

現在、歌舞伎の役者の分布図が大きく変わってきた中においても、菊五郎という大きな旗じるしのもと、劇団としての存在感をしっかりと保ち、役者の育成はもちろん立師の育成にも力を注いでいます。

立廻りの講師としても活躍した尾上松太郎

屋号 音羽屋

二代目尾上松太郎は、四代目尾上菊十郎と同じく、「菊五郎劇団」において立廻りの神様と言われた坂東八重之助から直々に立師としての指導を受けたひとりで、現在は国立劇場歌舞伎俳優研修で立廻りの講師も務めています。国立劇場奨励賞、同特別賞、歌舞伎座賞、第13回日本俳優協会賞(2007年)など、多数の受賞歴があります。

子役時代から立廻りの名手として

二代目尾上松緑(おのえしょうろく)に入門し、1948年、東京劇場「寺子屋」の寺子で初舞台。1950年尾上みどり、1959年尾上松太郎と改名し、1984年に歌舞伎座で名題に昇進。

菊五郎劇団で子役時代から立廻りの名手として知られていた役者です。「こいつぁ春から縁起がいいわえ」の七五調の名セリフで知られる「三人吉三巴白浪」(さんにんきちさもえのしらなみ)の釜屋武兵衛(かまやぶへい)、「雪暮夜入谷畦道」(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)の手先など、脇役ながら江戸の闇にうごめく一癖ある人物を二代目尾上松太郎が演じると、舞台に深みが出ます。

師の代表作のひとつ蘭平物狂の立師も

蘭平物狂

蘭平物狂

子役時代からの立廻りの名手として数々の立廻りで活躍する一方、立師としては、2007年2月の博多座で蘭平物狂の立師を務めるなど、坂東八重之助亡きあとの歌舞伎界の立師のひとりとしてその重責を担い、現在は国立劇場の歌舞伎俳優研修で立廻りの講師としても活躍しています。

歌舞伎俳優の養成事業

二代目松太郎が講師を務める「歌舞伎俳優研修」について、簡単にご紹介しましょう。東京の国立劇場では、伝統芸能の保存及び振興に寄与する若く優秀な技芸者を育成するために、歌舞伎俳優研修という養成事業を行なっています。

歴史は意外と古く、もうすぐ半世紀を迎える1970年にスタート。一般家庭に生まれても、この研修を修了すると歌舞伎役者になる道が開けるのです。2年に1度募集され、応募資格は中学生以上で原則として23歳以下の男子。

募集人数は若干名となっており、例えば2013年では10名が合格。研修期間は2年間で、研修科目は歌舞伎実技・立廻り・とんぼ・日本舞踊・義太夫・長唄・鳴物・箏曲・化粧・衣裳・体操・講義(歌舞伎史・作品解説など)・舞台実習・公演見学などがあり、いわゆる歌舞伎俳優になるための基礎教育を行ないます。つまり、歌舞伎役者になるための専門学校のような物ですが、気になるのはその費用ではないでしょうか。

実は、国立劇場の研修制度は、入学金も研修費も一切かかりません。ただし、研修開始後8ヵ月以内に適正が再び審査され、正式合格はそのあと。先の2013年の例では、10名中7名が本合格を勝ち得ています。

そして、本合格すると月に10万円の奨励金が支給されます。2年間の研修を無事に終えると「歌舞伎俳優研修修了生」となり、全歌舞伎役者が所属する日本俳優協会に自動的に登録され、そこから幹部役者に弟子入り。これは希望制のようです。

このような手順を踏み、歌舞伎俳優としてスタートラインに立つことができます。ここから、未来の名立師が生まれていくのかもしれません。

名歌舞伎役者の立師②

名歌舞伎役者の立師②をSNSでシェアする

このエントリーをはてなブックマークに追加
このエントリーをはてなブックマークに追加

「歌舞伎の名立師をご紹介」の記事を読む


名歌舞伎役者の立師①

名歌舞伎役者の立師①
歌舞伎で立廻り(たちまわり:日本刀での斬り合いや格闘場面)の振付師を「立師」(たてし)と言います。その中から、市川市十郎(いちかわいちじゅうろう:1905~1983年)、二代目市川猿四郎(いちかわえんしろう:1966年~)、市村橘太郎(いちむらきつたろう:1961年~)をご紹介します。

名歌舞伎役者の立師①

注目ワード

ページトップへ戻る