室町幕府の初代将軍(在位:1338~1358年)である「足利尊氏」(あしかがたかうじ)。 この足利将軍家の重宝として伝わった日本刀として、「二つ銘則宗」(ふたつめいのりむね)や「鬼丸国綱」(おにまるくにつな)などが挙げられます。 ここでは、尊氏の歴史とともに愛刀をご紹介します。
足利尊氏
足利尊氏は、北条高時から1字を得て初めは「高氏」と名乗っていましたが、後醍醐天皇の諱(いみな:貴人の実名)である「尊治」(たかはる)の1字を賜って「尊氏」に改名します。
1333年(元弘3年)、鎌倉幕府より後醍醐天皇討伐の命を受けた足利尊氏ですが、反旗を揚げ鎌倉幕府の役所・六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻め落としたのです。その後、関東の御家人「新田義貞」(にったよしさだ)も鎌倉を攻め、北条高時らを滅ぼし、鎌倉幕府は滅亡しました。
のちに尊氏は後醍醐天皇と対立し1336年(建武3年)、京で光明天皇を立てて朝廷(北朝)を開かせ、京から逃げた後醍醐天皇は吉野(現在の奈良県)で朝廷(南朝)を開きます。このように、朝廷(天皇)は2つに分かれ、約60年間に亘る争いが続きました。この時代を「南北朝時代」と呼びます。
その後、1338年(延元3年/暦応元年)、尊氏は光明天皇から征夷大将軍に任命され「室町幕府」を開いたのです。
鬼丸国綱は、「三日月宗近」(みかづきむねちか)・「童子切安綱」(どうじぎりやすつな)・「大典太光世」・「数珠丸恒次」(じゅずまるつねつぐ)とあわせて「天下五剣」と呼ばれる名刀のひとつ。鎌倉幕府の「北条時頼」(ほうじょうときより)の命により山城国(現在の京都府)粟田口の国綱が打った物です。
名前の由来ははっきりしていませんが、夢に出てくる鬼に苦しめられていた時頼が、この太刀のサビを拭い去って立て掛けておいたところ、倒れた太刀が火鉢の鬼の頭を切り落としました。これ以後、鬼に悩まされることがなくなったことから鬼丸国綱と呼ばれるようになったそうですが、この話は後世の創作とされています。
そして、鎌倉幕府が滅亡し、鬼丸国綱は北条家から新田義貞、「斯波高経」(しばたかつね)の手に渡り、足利尊氏と対立した高経は鬼丸国綱を尊氏に献上しました。その後は、足利将軍家の重宝として代々伝えられますが、のちに織田信長・豊臣秀吉・徳川家康などの名将を経て、明治維新後、徳川家から明治天皇に献上され、現在は「御物」として宮内庁に収蔵されています。
天下五剣について詳しくご紹介します。
天下五剣 童子切安綱について詳しくご紹介します。
天下五剣 三日月宗近について詳しくご紹介します。
天下五剣 鬼丸国綱について詳しくご紹介します。
天下五剣 大典太光世について詳しくご紹介します。
天下五剣 数珠丸恒次について詳しくご紹介します。