季節や節目の行事

日本の行事
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四季は古代から日本人の生活に根付いており、それぞれの季節と調和した生活を送ってきました。その結果、各季節において様々な行事が誕生。さらにそこに海外から入ってきた文化も融合し、日本独自の地方色豊かな行事も生み出してきました。毎年巡ってくる季節行事、また人生の節目で行われる行事である人生儀礼についてご紹介します。

目次

季節行事

季節の行事一覧

月日 行事名 月日 行事名
1月 1日 元日 7月 7日 七夕
7日 七草粥 9・10日 ほおずき市
11日 鏡開き 下旬頃 夏の土用
2月 最初の午
[うま]の日
初午 8月 中旬 お盆
3日 節分 9月 月見
8日 針供養 9日 重陽の節句
14日 バレンタインデー 21日 秋のお彼岸
3月 3日 雛祭り 10月 亥の子
14日 ホワイトデー 31日 ハロウィン
中旬 春のお彼岸 11月 酉の市
4月 1日 エイプリルフール 12月 8日 事始め
お花見 13日 すすはらい
5月 5日 端午の節句 22日頃 冬至
第2日曜日 母の日 25日 クリスマス
6月 第3日曜日 父の日 31日 大晦日
30日 夏越しの祓い

元日(1月1日)

元日に飾る門松

元日に飾る門松

1年の始まりである元日は、1948年(昭和23年)に新たな祝日として制定されました。それまでは「四方節」と呼ばれる祝日で、平安時代初期から国家・国民の安泰や豊作を願う重要な宮中行事が行われていました。

この元日には、年神様がそれぞれの家に訪れると考えられていたので、新しい年が健康で幸せな年になるよう、年神様を祀り(まつり)お祝いをしていたのです。

今でも、年神様のためにしめ飾りや門松を飾り、鏡餅を置く風習は続いています。

七草粥(1月7日)

七草粥

七草粥

七草粥の起源は、中国で唐の時代に「七種菜羹」(ななしゅさいのかん)と呼ばれる7種類の若菜を入れた汁を食べ、無病息災を祈ったことに始まります。

日本には奈良時代に伝わり、「若菜摘み」や「七種粥」という風習と結び付き、七草粥に発展しました。その後、江戸時代に五節句の「人日の節句」(じんじつのせっく)として定着。

松の内の最終日にあたるこの日は、お正月の御馳走で膨らんだ胃袋を休ませるという意味も込められおり、現在まで脈々と受け継がれています。

鏡開き(1月11日)

鏡開き

鏡開き

鏡開きはもともとは武家の行事で、お餅を「切る」、「割る」などの言葉を避け、末広がりという意味の縁起の良い言葉である「開く」を使うようになりました。

江戸時代以降、松の内が明けたあと(1月8日)、年神様の依り代(よりしろ=居場所)であったお供えの鏡餅を食べる風習が庶民にも波及。食べることによって年神様の力を頂き、1年の無病息災を願いました。

地域によっては日にちに違いもありますが、お雑煮やお汁粉にする食べ方は現代においても定番です。

初午(2月の最初の午[うま]の日)

初午に食べるいなり寿司

初午に食べるいなり寿司

711年(和銅4年)、稲荷大明神(いなりだいみょうじん)が、京都の稲荷山に鎮座した日が初午(はつうま)です。

この稲荷山のふもとにある伏見稲荷は、全国の稲荷神社の総本宮。毎年この日に穀物の神様が降りてくると考えられ、五穀豊穣を願いました。

現在でも初午祭が全国の稲荷社で催され、五穀豊穣の他に、商売繁盛や家内安全、交通安全、芸能上達の祈願をします。

また、稲荷神の使いであるキツネの好物のいなり寿司や、「初午団子」を食べる習慣も受け継がれてきました。

節分(2月3日)

節分の豆まき

節分の豆まき

節分は、文字通り「季節を分ける」日で、立春の前日、冬の終わりの日を指します。この日には邪気や厄が入り込みやすいと考えられていました。そんな厄を祓うために行われてきたのが、節分の代名詞とも言える豆まき。

「豆」は「魔目」(まめ)と「魔滅」(まめつ)に通じ、鬼を追い払う力があると信じられてきました。これはもともと中国の習俗で、日本の南北朝時代に伝来しましたが、すでにこの頃から「鬼は外、福は内」と唱えられていたと言われています。

また、この時期に厄除けのために飾るのが「柊鰯」(ひいらぎいわし)の頭。焼くときのにおいで鬼や悪霊が寄り付かなくなると言われており、豆まき同様現代まで受け継がれている風習でもあります。

針供養(2月8日)

針供養

針供養

針供養は、折れる、錆びるなどして使わなくなった縫い針を供養する行事です。事始め、事納め両日の事八日に、普段使っている道具を片付け、感謝する習わしがあります。針供養はそのひとつです。

平安時代には中国の風習が伝来し、江戸時代に、いつも使う針に感謝し、裁縫の上達を願う行事として定着しました。

それまで硬い生地などを相手にしてきた針を、つぎはやわらかい場所で休んで下さいというねぎらいの意を込めて、豆腐、こんにゃくなどに刺して神社に奉納します。

バレンタインデー(2月14月)

バレンタインデー

バレンタインデー

バレンタインデーは諸説ありますが、「禁止されていた兵士の結婚を内緒で認めていた、キリスト教司祭ウァレンティヌスに由来する日である」という説が広く知られています。

現在のように恋人達の日となったのは、14世紀以降。日本にお目見えしたのは1956年(昭和31年)で、それまでのバレンタインデーとは違い、販売促進を目的とした独自路線が築かれていきました。女性から男性にチョコレートを贈る日本独自の文化は、昭和40年代に定着。

今ではチョコレートの年間消費量のうち20%が、この日に消費されるとも言われます。近年は、義理チョコ、友チョコ、自分へのご褒美チョコなどの形も加わってきました。

雛祭り(3月3日)

雛人形

雛人形

雛祭りは「桃の節句」とも呼ばれ、女の子の健やかな成長を願うお祭りです。平安貴族の子ども達の間で遊ばれた「ひいな遊び」を由来とし、江戸時代に全国に広まりました。

桃の花を飾り、男雛と女雛を中心とした人形に、ひなあられや菱餅をお供えします。この日は「ちらし寿司」や「はまぐり」のお吸い物を食べるのが定番です。

また、雛人形は二十四節気の雨水(うすい)に飾り、啓蟄(けいちつ:3月6日頃)までに片付けるのが良いとされています。

ホワイトデー(3月14日)

ホワイトデー

ホワイトデー

ホワイトデーは、バレンタインデーにチョコレートなどをもらった男性が女性にお返しをする日。1970年代後半に日本で生まれた行事です。

白(ホワイト)は若者の純真な恋愛のイメージに合っているとのことで、こう呼ばれるようになりました。

当初はキャンディやマシュマロなどがお返しの主流でしたが、現在はお菓子に限らず小物などを贈るケースも増えました。

また、キャンディには「あなたが好き」といったように、返すお菓子に意味が込められているという考え方も浸透しつつあります。

春のお彼岸(3月中旬)

牡丹餅

牡丹餅

春のお彼岸は、春分の日を中心とする前後3日間を合わせた7日間に行われる、故人を供養する日本独自の法事です。

多くの人がお墓参りに行き、先祖に感謝をするこの日は、秋分の日と同じく太陽が真東から上がり、真西に沈みます。仏教用語である「彼岸」とは、「岸の向こう」。つまり「悟り」の世界、「極楽浄土」という意味です。

また、この時期には季節の花である牡丹の名前を用いた牡丹餅(ぼたもち)をお供えし、食べる習慣があります。

エイプリルフール(4月1日)

エイプリルフール

エイプリルフール

エイプリルフールの発祥には諸説ありますが、この日だけは「罪のない嘘をついたり、いたずらしたりしても良い日」となっています。日本では大正時代に欧米から伝わり、認識されるようになりました。

一般的に、嘘をついて良いのは正午までで、午後はそのネタ晴らしをする時間となっているようです。実存しない商品の広告を出す企業や、エイプリルフール記事を掲載する新聞社もあり、人々は騙されることも楽しんでいます。

お花見(4月)

お花見

お花見

お花見は、桜の花が満開の時期に合わせて行われる、桜の花を見るための宴会です。奈良時代に貴族の「梅見」から始まり、江戸時代になってからは庶民も楽しめる行事となりました。

桜の満開時期は1週間程度しかないので、桜の名所に大勢の人が詰め掛けます。そのため、気象庁による桜の開花日発表を聞き、入念な計画を立てる人も多いです。

桜の木の下にシートを敷き、飲んだり食べたり歌ったりと、「花より団子」のグループも多く見受けられます。

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端午の節句(5月5日)

こいのぼりと柏餅

こいのぼりと柏餅

「こどもの日」としても知られる端午の節句は、日本では奈良時代から伝わる行事です。端午の端は「はじまり」の意味、午は「五」と同じ発音であることから、5月5日を端午の節句と呼ぶようになりました。

こいのぼりを空にたなびかせたり、鎧や兜を飾ったりして男児の健やかな成長を願う日です。別名は「菖蒲の節句」。香りが強い菖蒲を入れた湯船に浸かり、邪気を払います。

また、子孫繁栄を象徴する柏の葉を巻いた柏餅を食べる習慣は、江戸時代に広まりました。

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母の日(5月第2日曜日)

母の日に贈るカーネーション

母の日に贈るカーネーション

母の日は、米国を発祥とした、日頃の母親の苦労をいたわり、感謝を表す日です。日本には明治末期から大正時代にかけて伝わりました。はじめてのお祝い行事は、大正初期に教会で行われたとされています。

もともとは、亡くなった母親に対して白いカーネーションを飾っていましたが、そこから健在な母親には赤いカーネーションを贈るという習慣が広まりました。

現在は、花言葉や好みに合わせて、様々な色やタイプのカーネーションから贈る花を選ぶ楽しみがあります。

父の日(6月第3日曜日)

父の日に贈る黄色のバラ

父の日に贈る黄色のバラ

父の日は、「母の日はあるのに、どうして父の日はないのだろう」というひとりの米国人女性の疑問から、母の日に50年以上遅れて制定されました。

日本では1950年代頃に伝わり、一般に広まったのは、1980年代。デパートなどの商業施設が、販売戦略として父の日をイベント化したことがきっかけと言われています。

幸せの象徴の色である「黄色」が父の日のイメージカラーとなった日本では、黄色のバラなどを贈り感謝の気持ちを伝えてきました。

夏越しの祓い(6月30日)

茅の輪

茅の輪

夏越しの祓いの時期に神社に行くと、「茅の輪」というチガヤ(イネ科の植物)でできた大きな輪が見られます。

これは心身の穢れや罪、過ちを祓い清める「茅の輪くぐり」という神事に使われる物です。日本の神話に登場する「蘇民将来」(そみんしょうらい)が、スサノオノミコトとされる神様から災いを祓う茅の輪を授かったことに由来しています。

祈願の内容は、1年の前半を無事に過ごせたことに対する感謝。また、こののちの半年の健康と厄除けを願います。この輪を8の字を書くように3度くぐり抜けると、病気や災いを免れると伝えられてきました。

七夕(7月7日)

七夕

七夕

天の川を隔てて自由に会えなくなってしまった織姫(おりひめ)と彦星(ひこぼし)が、年に一度だけ会えると言われる七夕は、中国の故事と日本の伝説などが混ざり合い、今に至ります。願い事や夢を書いた色とりどりの短冊を、思いが届くよう竹の枝に付けて飾るのが習わしです。

このような笹飾りは、寺子屋が増えた江戸時代に、習字や習いごとの上達を願い広まっていきました。

なお七夕と書いて「たなばた」と読むのは、尊い布を織ることをこう呼んだためです。

現代でもこれらの伝承や風習は残っており、七夕祭りは自治体のイベントから家庭でのイベントまで、様々な規模で開催され、庶民に親しまれ続けています。

ほおずき市(7月9・10日)

ほおずき市のほおずき

ほおずき市のほおずき

観音様をご本尊とする東京の浅草寺では、この両日にお参りすると、観音様の功徳(くどく)が46,000日分得られると言われています。

この日にほおずき市が立ったのは、江戸時代の中期。東京都港区愛宕神社(あたごじんじゃ)で売られていたのが最初でしたが、神仏習合の信仰により浅草寺にも伝わり、「ほおずき市と言えば浅草寺」と言われるほど有名に。

丸呑みすると、持病を持つ大人や腹痛に悩む子どもはそれらが治ると信じられ、この日にほおずきを求める人があとを絶ちませんでした。

今は観光の側面も強くなっており、夏の風物詩、江戸情緒を求めに多くの人が足を運びます。

夏の土用(7月下旬頃)

土用の丑の日に食べるうなぎ

土用の丑の日に食べるうなぎ

古代中国からの五行(ごぎょう)の暦に由来し、季節の節目を教えてくれる「土用」(どよう)。各季節に設けられており、期間は18~19日間です。

昔の人は、じめじめした梅雨を越えたこの時期、着物の虫干しをする風習もありました。

現在では、立秋の前の18日間、夏の土用が一番有名。梅雨が明けてからの暑さで体調を崩しやすくなるこの時期に「う」が頭に付く物を食べると夏バテしないとされており、土用の丑の日に鰻を食べる習慣が根付いています。

お盆(8月中旬)

お盆のお供えもの

お盆のお供えもの

お盆は、先祖の霊をお迎えし供養する期間を指す、日本独特の風習です。正式には「盂蘭盆会」(うらぼんえ)と言い、盂蘭盆経というお経が由来と伝えられています。

ご先祖様が戻ってくる盆の入りは8月13日。ご先祖様が迷わないよう、迎え火を焚いたり提灯を灯したりしてお迎えします。

また、地方によってはキュウリやナスで作った牛馬を飾ることも。これらに乗って、ご先祖様が移動すると考えられています。そして、無事にお帰りになるようにと願い送り火を焚くのは16日です。なお、新暦を採用し7月中旬にお盆を迎える地方もあります。

月見(9月)

月見団子とすすき

月見団子とすすき

文字通り月を眺めて鑑賞するこの行事は、中国から伝わった月見が、平安貴族の間で宴という形で楽しまれるようになったのが由来です。

庶民に伝わるようになった江戸時代には、食物の収穫を感謝する行事となりました。

現在では、毎年一定の日ではなく、9月の十五夜、別名「中秋の名月」(ちゅうしゅうのめいげつ)にあたる日にお月見をするのが通例です。魔除けや翌年の豊作を祈るススキ、月に見立てたお団子、収穫されたばかりの芋などをお供えし、遠い月に思いを馳せます。

重陽の節句(9月9日)

重陽の節句

重陽の節句

重陽の節句は、もとは中国から伝来し、平安時代に貴族の宮中行事として行われていました。江戸時代には五節句のうちのひとつに定められ、民間にも広がります。

別名は「菊の節句」、または「栗の節句」。菊の花の見頃であり、栗の収穫時期でもあったことからそう呼ばれました。

旧暦と実際の季節とのずれが広がっていき、現在ではなじみが薄くなってしまった節句ですが、「後(のち)の雛」として雛人形を飾ったり、栗ご飯を食べたりといった風習が残っています。

秋のお彼岸(9月21日)

おはぎ

おはぎ

秋のお彼岸は、故人を供養する日本独自の法事で、秋分の日を中心とする前後3日を合わせた7日間に行われます。

春分の日と同じく太陽が真東から上がり、真西に沈むこの日は、多くの人がお墓参りに行き、先祖に感謝をする日です。

春と秋のお彼岸で違うのは、お供えする食べ物。春は牡丹の季節であることから牡丹餅を、秋は萩の季節であることから「おはぎ」を供えました。

この牡丹餅とおはぎにも「同じ食べ物である」、「大きさやあんこの種類が違う」などの諸説がありますが、いずれにせよ両方のお彼岸に本質的な違いはありません。

亥の子(10月)

藁鉄砲と亥の子餅

藁鉄砲と亥の子餅

亥の子は、亥の月(現在の11月)の最初の亥の日に行われる、主に西日本で伝承されてきた行事です。古代中国から、無病息災を願う「亥子祝」(いのこいわい)として日本に伝わり、平安時代に宮中行事として広まりました。また、稲刈りの時期と同じであったため、収穫祭として農民達の間でも浸透していったのです。

地域によっては、子だくさんのイノシシにあやかり、子どもの成長や子孫繫栄を祈願することも。この日に行われる「亥の子祭り」では、子ども達が「亥の子歌」を歌いながら町を練り歩く様子が見られます。

地区の子供達が歌を歌いながら石に繋いだ縄を引き、石を上下させて地面をついていきます。その際に「亥の子餅」という餅をふるまうのです。なお、石の他に藁鉄砲を使用する地域もあるようです。

ハロウィン(10月31日)

ハロウィン

ハロウィン

ハロウィンの歴史は古く、発端は紀元前5世紀ほど。現在のヨーロッパの一部であるケルト人の生活圏で行われていた、悪魔祓いをするお祭りまでさかのぼります。

近代のハロウィンのはじまりは、19世紀後半頃にアメリカにおいて、仮面を付けて身を守ったり、悪霊に仲間と思わせるよう魔女と同じ格好をしたりしたことからです。今でも欧米では悪霊を寄せ付けないために、くり抜いて作るカボチャのランタンを窓辺や玄関先に飾ります。

日本では、欧米のように子ども達が「トリック・オア・トリート」と近所を回ってお菓子をもらう習慣はありませんが、1990年後半に仮装しパレードを楽しむイベントがはじまり、多くの人に認知されるようになりました。

酉の市(11月)

酉の市

酉の市

酉の市は、江戸時代から鷲や鳥にゆかりのある神社やお寺で11月の酉の日に催されるお祭りです。酉の日は一の酉から数え通常2日ありますが、まれに三の酉まである年もあります。

神道・仏教ともに起源は諸説ありますが、神道ではいずれも鷲(大鳥)神社(おおとりじんじゃ)の祭神である、日本武尊(やまとたけるのみこと)が関係しています。

現在では1年の報告をし、今後の商売繁盛や開運、家内安全などを祈願する他、福や運をかきこめる縁起物の熊手を購入するなどして、翌年に備えます。

事始め(12月[2月])

事始め

事始め

事始めとは、物事を始める日のこと。12月8日は物事を始めるのに良いとされており、この日に物事を始めることを「事始め」と呼びます。

逆に2月8日は物事を納めるのに良いとされていることから「事納め」と呼ばれ、この2日をあわせて「事八日」(ことようか)とも呼ばれてきました。

また「正月事始め」は、12月、お正月に各家にやってきて福や豊作をもたらすと言われる「年神様」(としがみさま)をお迎えする準備を始める日(正月の準備を始める日)のことで、12月13日を指します。

なお、事始め・事納めには2通りの使い方があり、農作業を指す場合には、年神様のものとは逆になり、2月が事始め、12月が事納めとなります。

すすはらい(12月13日)

すすはらい

すすはらい

新しい年の年神様をお迎えするにあたって、この日から大掃除を始めます。日本では、平安時代からこの習わしがありました。

古代中国ではこの日をおめでたい日としており、この日から新年に向けての掃除に取り掛かるのが良いとされ、寺院では仏像を清める行事を行います。「すす」とは囲炉裏(いろり)などを燃やすと出てくるほこりのことです。現在では、家のすすはらいは、まず神棚から始めると良いとされています。

冬至(12月22日頃)

冬至に入るゆず湯

冬至に入るゆず湯

1年で一番昼の時間が短く、夜の時間が長い冬至。6世紀に中国の「二十四節気」(にじゅうしせっき)と呼ばれる暦が伝来すると、この日は特別な日となります。

冬至を過ぎると運気が上がっていくと考えられていたため、春を迎えるにあたって邪気払いをする習慣が生まれました。

春の到来まで元気に過ごすため、栄養のあるカボチャを食べ、香りの強い柚子湯(ゆずゆ)に浸かって邪気払いをするなど、今でも様々な風習が残っています。

クリスマス(12月25日)

クリスマス

クリスマス

イエス・キリストの降誕祭で知られるクリスマスですが、その起源は古代ローマで冬至の日に行われていた、太陽神の誕生祭と農耕神への収穫祭が融合したとも考えられています。

日本では、1552年(天文21年)、宣教師のフランシスコ・ザビエルが行ったミサを最初とする説が有力です。

江戸時代の禁教令で一旦はなくなるものの、明治時代に入ってからは商業施設がクリスマスツリーを飾ったり、洋菓子店がクリスマスケーキを販売したりするなど、日本中に広まっていきました。日本では、宗教行事というよりも商業的なイベントとして定着しています。

大晦日(12月31日)

年越しそば

年越しそば

旧暦では月の最終日を「晦日」(みそか)と言い、大晦日は1年の最後の日のことを言います。

奈良時代には宮中で、穢れや過ちを祓い(はらい)清める神事「大祓」(おおはらえ)を大晦日に行っていました。また、元日に家に訪れる年神様を一晩中起きてお迎えする日でもあります。

現在でも、新しい年を迎えるための風習は数多く存在。深夜0時にまたがって鳴らされる除夜の鐘を聞きながら、細く長い年越しそばを食べて長寿を祈願し、初詣の列に並ぶなど、大晦日から元日にかけての特有の行動は多数残っています。

子どものお祝い(帯祝い、お宮参り、七五三詣など)

帯祝い(妊娠5ヵ月目)

帯祝いは、妊娠してから5ヵ月目の安定期に入って最初の戌の日に、胎児の成長と安産を祈願する行事。「古事記」の記述にも見られるほど、古くからある儀式です。

犬は多産なうえお産が軽いので、戌の日に行うようになりました。

妊婦は、この帯祝いの日から「岩田帯」と呼ばれる腹帯を着用。これは儀式的な側面だけではなく、お腹を温かくし、胎児の位置を定着させ保護するなど、実用的な役割を果たしてきました。今でも、多くの家族が水天宮や子安神社などへ安産祈願の参拝に訪れます。

お七夜(誕生してから7日目の夜)

お七夜

お七夜

赤ちゃんが誕生してから、初めてのお祝いがお七夜です。

平安時代の貴族が行う「産立ちの祝い」(うぶたちのいわい)を起源としますが、当時は出生後に亡くなる赤ちゃんが多く、無事に7日目を迎えられたという思いからお祝いの行事となりました。また、この日は出産のため休んでいた女性が「床上げ」をする日でもありました。

現代では命名式と、近しい人達へのお披露目、食事などを行います。生後間もない赤ちゃんの生存率の上昇や、この時期に母子の退院があたるなどの事情から、現在ではお祝いの会はせず、命名式だけを行うケースも見られるようになりました。

お宮参り(生後1ヵ月)

お宮参り

お宮参り

お宮参りは、赤ちゃんが無事誕生したことを、生まれた土地の神様である産土神(うぶすながみ)に報告し、感謝とともに健やかな成長を祈願する行事です。古くは「産土詣で」(うぶすなもうで)と呼ばれていました。

室町時代には現在のお参りの源流となるような形式になったと言われており、江戸時代には庶民にも定着することになります。

現在でも、お宮参りの際には、父方の祖母が赤ちゃんを抱く習わしがありますが、これはお産が「穢れ」(けがれ)とされ、出産した母親は参加できなかったことの名残です。

喰初祝/お食い初め(誕生してから100~200日目)

お食い初め膳

お食い初め膳

喰初祝/お食い初めは、平安時代に中国から伝わり、宮廷行事として定着したのち、次第に民間に広まりました。平安時代には「百日」(ももか)というお餅を食べさせる行事があり、これがお食い初めの始まりとなります。

お祝い膳は、一汁三菜。お赤飯、はまぐりの汁物、尾頭付きの鯛、煮物、梅干しなどの香の物、それに小石がひとつ用意されます。お祝い膳を用意し赤ちゃんに食べさせる真似をし、一生食べ物に困らないように、丈夫な子に育つようにと祈願するのが通例です。

また、小石は歯がちゃんと生えて固くなるように行う「歯固め」の儀式で使います。

初誕生/初誕生日祝い(誕生してから満1年目の誕生日)

一升餅

一升餅

かつての日本には、誕生日を祝う習慣がありませんでしたが、満1歳は特別でした。昔は早逝してしまう赤ちゃんも少なくなかったので、1年間無事に育ってくれたお祝いをしていたのです。

初誕生で知られている「一升餅」の儀式は、一生食べ物に困らず、健康で過ごせるようにと始まりました。お餅を背負わせてわざと転ばせて、家から離れて危険な目に遭わないようにという意味もあります。

誕生日祝いがなじんだ現在は、毎年の誕生日と同じようにお祝いをするのが一般的です。

初節句(生後初めての節句)[女子は3月3日・男子は5月5日]

子どもが生まれて初めて迎えるお節句を、初節句と呼びます。女子は3月の桃の節句、男子は5月の端午の節句が該当し、生まれて間もない場合は、翌年に繰越す場合も。

男子には武者人形に兜やこいのぼり、女子には雛人形を事前に準備します。この初節句に欠かせない飾り物は、かつては母方の両親が購入する風習がありました。

また、男子には陣羽織、女子には着物や被布の衣装を用意する家庭もあります。お飾りやお祝いを頂いたお礼もかねて、食事会をするのが一般的です。

七五三詣(男の子は3歳と5歳・女の子は3歳と7歳)

七五三の千歳飴

七五三の千歳飴

もともとは公家や武家で行われていた別々の儀式が、明治時代に一体化され、七五三詣と呼ばれるようになりました。

七五三の日は通常11月15日と言われていますが、これは江戸幕府5代将軍徳川綱吉が、息子の徳松の健康祈願を縁起の良いこの日に行ったことからとされています。

7、5、3歳の年齢は、奇数を吉数とする陰陽道(おんみょうどう)に由来。医療が発達していなかった時代は子どもの死亡率が高く、7歳までは神様の子とされていたため、成長の区切りに儀式を行い、子どもの成長に対する感謝と祈願をする意味があります。

現代でも女の子は7歳と3歳、男の子は5歳になった際、神社へ参拝するのが一般的。七五三に欠かせない千歳飴も、長寿を連想させる縁起物となっています。

十三参り(13歳)

数え年13年の男女が、旧暦の3月13日前後に虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を参拝し、無限の知恵と慈悲を授かり、厄除けをする儀礼が十三参りです。

13歳は、干支が一回りして初めて厄年を迎える年であるなど、十三参りの由来は諸説あります。空海が「虚空蔵求聞持法」(こくうぞうぐもんじほう)を修めると、記憶力が急激に増したと言われていることから、虚空蔵菩薩をお参りするようになりました。

主に関西地方で行われる行事で、参拝者の好む漢字一字を書き、奉納するところもあります。

成人式(20歳)

奈良時代に発祥した、男子の「元服」に由来する通過儀礼です。かつては小正月の1月15日に元服が行われていたため、この日に成人式が催されていました。

成人式の歴史は浅く、第二次世界大戦終戦直後の1946年に、埼玉県蕨市で催行された「青年祭」が最初です。将来を担う若者達を励ますために企画されたものが、全国に広まりました。

現在では、一般的に1月の第2月曜日に行われる成人式。テーマパークや水族館内で開催するなど、趣向を凝らした内容で話題を呼ぶ自治体もあります。また、一部豪雪地帯などでは、成人式を8月に開催する場合も。それぞれの自治体が参加してもらうための工夫を行っています。

婚礼(結婚、銀婚式、金婚式)

結婚

結婚

結婚

日本では古代から制度としての結婚はあったものの、当時は男性が女性の家に通う「妻問婚」(つまどいこん)という、いわゆる別居婚でした。

結婚式が行われるようになったのは、奈良時代。女性の家に通って3日目に「三日餅」(みかのもちひ)と呼ばれるお餅を振る舞われることで、男性が家族の一員と認識されるようになりました。

現在行われているような神前式の結婚式は、明治時代に皇族が初めて執り行いました。神との契約という概念がある、キリスト教の影響で日本に伝わったという説があります。

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銀婚式(夫婦が結婚して25年目)

結婚から15年目までは1年ごと、それ以降は5年単位にお祝いをするという、英国から伝わった習慣のうちのひとつが銀婚式です。

1年目の「紙婚式」(かみこんしき)から始まり、結婚25年目にあたる銀婚式は、「華やかさに隠れた、いぶし銀のような美しさ」を表現していると言われます。

これを日本で最初に行ったのは、明治天皇ご夫妻。1894年(明治27年)に「大婚二十五年祝典」として執り行ったものが、民間にも広まりました。現在は、銀にちなんでシルバーの品物を贈り合うこともあります。

金婚式(夫婦が結婚して50年目)

もともと日本では「家」同志のつながりを重んじていたので、夫婦の記念日はなく、節目を祝う習慣は英国から伝わったとされています。

1894年(明治27年)に、明治天皇が大婚二十五年祝典としてご結婚25周年を祝う儀式をしたことで、銀婚式に続いて50年を祝う金婚式も同様に庶民に広まっていきました。

金を使った品物のプレゼントを贈ると良いとされていますが、一般的には家族で食事会などをして記念日を祝います。金婚式のあとには5年ごとに名前の付いた記念日があり、最長は結婚85年目のワイン婚式です。

長寿のお祝い(還暦、喜寿、白寿など)

還暦(60歳)

還暦(かんれき)は、60歳を迎えた誕生日のお祝いを指し、中国で発祥したものが奈良時代に日本へ伝来しました。

60歳である理由は、「十二支」と「十干」(じっかん:甲・乙・丙・丁・戌・己・庚・辛・壬・癸)と組み合わせたものがもとになっています。この十二支と十干の組み合わせが60種類あり、60年経つと一回りすることから、「赤ちゃんに還る」(かえる)として、還暦と呼ばれるようになりました。

現代でも知られる赤いちゃんちゃんこを贈る習慣も、赤色が魔除けの力があるとされ赤ちゃんに着せていたという当時の風習からきています。

古希(70歳)

古希

古希

中国の唐時代の詩人、杜甫(とほ)の「曲江」(きょっこう)という漢詩で、「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」と詠まれている一節があります。

これは「酒代のつけはどこに行ってもあるが、70歳以上生きる人間はめずらしい」という意味で、古希(こき)と呼ばれるようになった理由です。

還暦の色は「赤」ですが、古希の色は紫・濃紫・紺とされており、それらの色を使った贈り物をする場合もあります。食事会の場を設ける家族が一般的です。

喜寿(77歳)

喜寿(きじゅ)は、数え年77歳を迎える年にするお祝いを言います。由来は「草書体」で「喜」と書くと「七」、「十」、「七」と読めることから。

還暦や古希と異なり、喜寿のお祝いは室町時代を起源とする、日本発祥の行事とされています。古くから特別の意味合いを持つ、気品や風格を備えた紫でお祝いです。

喜という漢字に加え「ラッキーセブン」や「ゾロ目」と、縁起の良い要素が多いことから、盛大にお祝いをします。また、還暦以降のお祝いは基本的には数え年でしますが、現在は満年齢ですることが多くなっています。

傘寿(80歳)

傘寿(さんじゅ)、別名「八十寿」(やそじゅ)とも呼ばれるこの長寿のお祝いは、「傘」の字の略字が「八」と「十」と分解し表記することから、この名が付きました。開いた傘のように見える八が、末広がりだとして縁起が良いことに由来しています。

傘寿のお祝いの色は、喜寿と同じ紫。今後も長生きしてもらえるよう、贈り物を贈ったり食事会を開いたりします。他の長寿祝いと同様、数え年でも満年齢でも良く、お祝いの時期は特に決まってはいません。敬老の日にお祝いすることもあります。

米寿(88歳)

米寿(べいじゅ)は、「米」の字を分解すると「八十八」になることからこう呼ばれ、末広がりで縁起の良い数字の八が重ねられるため、非常におめでたい年祝いとされています。

また、日本人とかかわりの深い米と表記するので、「米の祝い」(よねのいわい)と呼ばれることも。かつては米寿を迎える人がお客様を招いて、米を量るときに使う「斗掻」(とかき)と米を炊くときに使う「火吹竹」(ひふきだけ)を贈ったと言われています。

現在ではお祝いに稲穂をイメージさせる、金色・黄色・金茶色の物が贈られます。

卒寿(90歳)

「九十」と縦書きにすると「卆」となり、これが「卒」の略字であることから、卒寿(そつじゅ)と呼ばれます。また、「鳩」の中に「九」の字、音読みも「きゅう」であることから「鳩寿」(きゅうじゅ)と呼ばれることもありました。

卒寿が定着した時期は明らかではありませんが、古希のお祝いが始まったのは室町時代とされているので、それ以降と考えられます。

お祝いの色は、高貴な紫か白。お祝いされる側も高齢なため、食事会などを行う場合は体調に配慮して、過ごしやすいシーズンに開催すると良いとされます。

白寿(99歳)

中国が発祥とされる還暦・古希と異なり、白寿(はくじゅ)は喜寿以降と同様に日本を由来とする長寿のお祝いです。

「百」の字から「一」を引くと「白」になることから、99歳を白寿と呼ぶようになりました。また、白髪のひげを蓄えた、仙人のイメージからきているという説もあります。

お祝いの色は、白寿にちなみ白となります。お祝い品は還暦に赤い物を贈るのと同様に、白いちゃんちゃんこや座布団を贈ることも。また、白装束を身に着けてお祝いする地域もあります。

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