日本刀の価値を判断するには、その姿が持つ美しさや制作当時の時代背景など、様々な物がありますが、その基準となるルールも多く存在します。そのひとつが、飛鳥時代末から奈良時代中期頃にかけて用いられた法律である「大宝律令」(たいほうりつりょう)。大宝律令は、日本で初めて行政法と民法、そして刑法の3つがそろえられた本格的な法律として施行された物ですが、日本刀とはどのようなかかわりがあったのでしょうか。
銘
いわゆる「日本刀」と呼ばれる武具は、日本では古墳時代(3世紀中頃~7世紀頃)以前から制作されていたと考えられていますが、日本刀と聞いて一般的にイメージされるような片刃で反りのついた刀が出現したのは、平安時代末期からです。
日本刀は時代や刀工(とうこう:刀を作る職人)などによって特徴が異なりますが、それらを知る手がかりのひとつに「銘」(めい)があります。
銘とは、日本刀が制作された年月や刀工の名前などが刀身の茎(なかご)に彫られている物。普段は、この茎が柄(つか:握る部分)の中に収められているため、銘も見逃されがちになりますが、流派や個人を特定できる重要な物です。
そのため、日本では701年(大宝元年)に制定された「大宝律令」(たいほうりつりょう)の中で、日本刀の茎に銘を切ることを義務付けました。この時代にはすでに日本刀の制作が広く行なわれていましたが、それらの仕上がりは刀工によって優劣の差がありました。そこで粗悪品が売られるなどの混乱を避けるため、銘によって見分けが付くようにしたのです。
藤原仲麻呂
大宝律令の原文については散逸してしまっており、直接確認することは不可能ですが、大宝律令が施行後も撰修が継続されました。
757年(天平宝字元年)の孝謙(こうけん)天皇の時代に藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)の主導によって施行された「養老律令」(ようろうりつりょう)の中に、下記のような条文が確認されています。
大宝律令によって銘を切ることが義務付けられていた日本刀でしたが、下記のような場合にはその限りではありませんでした。