徳川十五代将軍

徳川家の日本刀

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武具として、また権威を象徴するものとして古くから扱われてきた日本刀は、その技術的な価値や美術的な価値から、権力者のもとに多くの名刀が集められてきました。江戸幕府265年の歴史を作った徳川家には、殊更多くの名だたる日本刀が集められ、長い間宝物として大切に保管されてきたのです。ここでは、徳川家、及び徳川御三家が所蔵した名刀を紹介します。

徳川家が所蔵した日本刀

妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリ

妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリ」(みょうじゅんでんじそはやのつるぎうつすなり)は、「徳川家康」の差料であった太刀で、平安時代末期に筑後国(現在の福岡県北部)の刀工「三池典太光世」(みいけてんたみつよ)によって作刀されました。

本太刀は初代征夷大将軍である「坂上田村麻呂」の佩刀であった「ソハヤの剣」(そはやのつるぎ:楚葉矢の剣/騒速の剣とも)の号を頂いた本歌取り(ほんかどり:歌学用語で、有名な古歌[本歌]の句や趣を取り入れて作歌すること。転じて有名な名刀の趣や作風を取り入れて作刀すること)による写しだとされています。

表に「ウツスナリ」、裏に「妙純傳持 ソハヤノツルキ」という切付銘があり、「妙純傳持」とは室町時代に美濃国(現在の岐阜県)守護代を務めていた「斎藤妙純」(さいとうみょうじゅん)が所持していたことに因んだもの。その後「織田信長」の次男「織田信雄」(おだのぶかつ)から徳川家康の手にわたり、幾度か陣中で扱われたり、枕刀(まくらがたな:魔除けや護身のために日本刀を枕もとに置くこと)としてそばに置かれたりするなど、愛用されていたのです。

本太刀の有名なエピソードとして、徳川家康が遺言において「西国大名が謀反を起こすことがないよう、本太刀の剣威によって徳川家の子孫を鎮護するために、本太刀の鋒/切先を西に向けて久能山東照宮に安置せよ」という言葉を残しました。

この遺言に従い、妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリは久能山東照宮(静岡県静岡市)に納められ、260年以上続いた江戸幕府と、現在まで続く徳川家を鎮護し続けたのです。現在も同宮に重要文化財として所蔵されています。本太刀の刃長は太刀としては短めの67.7cm。

これは、本歌となったソハヤの剣が磨上げられていたことに由来しているとされます。また、太刀として登録されているものの、打刀拵に収められているのも特徴。板目肌のよく詰んだ鍛えに地斑(じふ)が細かに交じった地鉄です。

中直刃の刃文には喰違刃(くいちがいば)や二重刃(にじゅうば)が交じり、小沸がよく付き匂口が冴えています。棒樋添樋が茎の真ん中位まで掻き流されており、磨上げ風にが作られているのも本太刀の特徴とされます。

ソハヤノツルキ
ソハヤノツルキ
妙純伝持 ソハヤノツルキ/ウツスナリ
鑑定区分
重要文化財
刃長
69.6
所蔵・伝来
徳川家康 →
久能山東照宮

本庄正宗

「本庄正宗」(ほんじょうまさむね)は、江戸幕府4代将軍「徳川家綱」(とくがわいえつな)より徳川将軍家に代々伝わる宝刀です。新しい将軍が着任する際に前任より託されるお譲り道具のひとつで、黒書院では正月の床飾りに本刀が用いられていました。

作者は鎌倉時代後期に相模国(現在の神奈川県)で活躍した名工「正宗」。正宗は「折れず・曲がらず・よく切れる」日本刀を鍛造する伝法「相州伝」を確立させたことにより、「日本刀中興の祖」とも言われる、最も有名な刀工のひとりです。号の由来は、上杉家の武将「本庄繁長」(ほんじょうしげなが)が所持していたことに因んでいます。

江戸幕府が終焉を迎えてからも、最後の将軍である「徳川慶喜」から徳川家を継いだ「徳川家達」(とくがわいえさと)に贈られ、徳川宗家に代々伝来。しかし、「第二次世界大戦」終了後、日本が「GHQ」の占領下に置かれると、数多の日本刀と同様に本庄正宗も接収され、現在でも行方不明となっている幻の名刀です。

8代将軍「徳川吉宗」(とくがわよしむね)が作刀させた名刀リストである「享保名物帳」にも本刀が記載。姿は反りが浅く、鎬造りで鋒/切先が延びており、磨上げられたことから、刃長が65.3cmであったと伝わります。また、詰んだ小板目肌地景が交じり、地沸が付いた正宗らしい地鉄に、互の目乱れの刃文が焼かれていました。

徳川御三家が所蔵した日本刀

尾張徳川家の日本刀「五月雨江」

徳川将軍家の支系である「徳川御三家」の筆頭格と言われた「尾張徳川家」は、江戸時代に300藩のなかでも随一の家格を誇っていた家柄です。そのため、尾張徳川家には、徳川家康の形見分けである「駿府御分物」の他にも、数々の名刀を含む美術品が伝来しています。

正宗、「粟田口吉光」と共に「天下三作」に数えられる名工「郷義弘/江義弘」(ごうのよしひろ)によって作刀された打刀「五月雨江」(さみだれごう)も、尾張徳川家に代々伝わる名刀のひとつ。陰暦5月頃に降る長雨を表す「五月雨」(さみだれ)の号は、本刀の霧が立ったような美しい刃文から名付けられたとされます。

天才軍師と呼ばれた「黒田官兵衛」(くろだかんべえ:黒田孝高[くろだよしたか]・黒田如水[くろだじょすい]とも)の形見分けにより江戸幕府2代将軍「徳川秀忠」に献上。徳川秀忠から前田家に下賜されましたが、3代将軍「徳川家光」の時代に再び徳川家に戻ります。

徳川家光の娘「千代姫」の輿入れに際し、五月雨江は嫁入り道具として国宝の短刀「後藤藤四郎」と共に尾張徳川家へ下賜されました。そのあとは尾張徳川家と徳川将軍家を行き来していましたが、現在は尾張徳川家ゆかりの品として、尾張徳川家伝来の宝物を展示する「徳川美術館」(愛知県名古屋市)に所蔵されています。

本刀は大磨上で反りが浅く、中鋒/中切先はふくら枯れる。小板目肌のよく詰んだ鍛えには郷義弘/江義弘らしく地沸が細かにつき、地景が入っています。湾れに小乱れの交じった刃文は、縁が細かに沸え、匂深く明るく冴えたもの。や打ちのけ、砂流し(すながし)などの働きが盛んに入り、変化に富んだ美しい1振です。

五月雨江
五月雨江
-
鑑定区分
重要文化財
刃長
71.5
所蔵・伝来
黒田長政 →
徳川秀忠 →
尾張徳川家 →
徳川美術館

紀州徳川家の日本刀「江雪左文字」

紀州徳川家」は、紀伊国(現在の和歌山県三重県南部)を領有した徳川御三家のひとつで、尾張徳川家に次ぐ家格を持った家柄。時代劇「暴れん坊将軍」で名高い8代将軍・徳川吉宗や、13代将軍「徳川家茂」(とくがわいえもち)の2人を将軍として輩出しました。

筑前国(現在の福岡県北西部)の刀工「左文字」(さもんじ)の手による、唯一現存する在銘の太刀として知られている「江雪左文字」(こうせつさもんじ)は、紀州徳川家初代当主「徳川頼宜」(とくがわよりのぶ)に渡って以降、紀州徳川家に代々伝わった日本刀です。号の由来は北条氏の家臣「板部岡江雪斎」(いたべおかこうせっさい)の佩刀であったことに因んでいます。

本太刀は板部岡江雪斎から徳川家康に献上されると、徳川家康は佩刀として愛用していました。その後徳川頼宜に渡ると、「和歌山城」(和歌山県和歌山市)の天守閣に保管され、毎日交代で小姓衆の見張りが付けられるほど大切にされていたと言われています。

腰反りが強く踏ん張りのある姿をした本太刀の地鉄は、板目肌に杢目が交じった鍛えに地沸が厚く付き、地景が入り、強く冴えたもの。浅い湾れに互の目の交じった刃文には、沸がよく付き匂深く、湯走りや飛焼が交じるなど、華やかな印象を与えます。

江雪左文字
江雪左文字
筑州住 左
鑑定区分
国宝
刃長
78.2
所蔵・伝来
板部岡江雪斎 →
徳川家康 →
紀州徳川家

水戸徳川家の日本刀「児手柏包永」

常陸国水戸(現在の茨城県水戸市)を拠点とした「水戸徳川家」は、徳川御三家のなかでも尾張徳川家、紀州徳川家に次ぐ家格を持った家柄で、江戸時代を通して「水戸学」を成立させた、学問侵振興攻に大きな功績を残した大名家。時代劇「水戸黄門」の主人公のモデルとなった2代藩主「徳川光圀」(とくがわみつくに)や、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜を輩出しました。

そんな水戸徳川家に伝わる日本刀には「児手柏包永」(このてがしわかねなが)という太刀が存在。「児手柏」という号は、元所持者であった戦国時代の大名「細川幽斎」(ほそかわゆうさい:細川藤孝とも)が万葉集の和歌に因んで命名しました。刃文が表裏で異なり、表が乱れ刃、裏が直刃になっている珍しい焼刃が特徴的。

本太刀は、鎌倉時代末期に「大和伝」の「手掻派」(てがいは)初代「包永」(かねなが)によって作刀されたと鑑せられており、一説によると徳川家康が細川家より譲り受けたとされています。徳川家康から初代水戸徳川家当主「徳川頼房」(とくがわよりふさ)へ下賜されると、水戸徳川家が所有している刀剣408振のなかで最も重要な宝物のひとつとして代々伝来しました。

1923年(大正12年)に起こった「関東大震災」により本太刀も罹災し、長年消失したと長年考えられていましたが、2015年(平成27年)に焼身となっているものの水戸徳川家が本太刀を保管し続けていたことが判明。現在児手柏包永は水戸徳川家伝来の宝物を展示する「徳川ミュージアム」(茨城県水戸市)に所蔵されています。

児手柏包永
児手柏包永
包永
鑑定区分
未鑑定
刃長
69
所蔵・伝来
細川家 →
徳川将軍家 →
水戸徳川家

名古屋刀剣博物館「名古屋刀剣ワールド博物館」が所蔵する徳川家に伝わる 日本刀

徳川将軍家の日本刀

太刀 銘 備州長船住景光
太刀 銘 備州長船住景光
備州長船住景光
正和五年十月日
鑑定区分
重要文化財
刃長
75.8
所蔵・伝来
徳川家康 →
徳川家 →
徳川家達 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
短刀 無銘 名物上部当麻(當麻)
短刀 無銘 名物上部当麻(當麻)
無銘
鑑定区分
重要美術品
刃長
25.3
所蔵・伝来
桑山元晴→
徳川将軍家伝来→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
太刀  貞真
太刀 貞真
貞真
鑑定区分
重要美術品
刃長
74.5
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
刀 無銘 伝兼光(金象嵌)本多平八郎忠為所持之
刀 無銘 伝兼光(金象嵌)本多平八郎忠為所持之
(金象嵌)
本多平八郎
忠為所持之
鑑定区分
重要美術品
刃長
71.5
所蔵・伝来
本多忠刻(忠為) →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
太刀 銘 常遠
太刀 銘 常遠
常遠
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
73.9
所蔵・伝来
松平上野介康英 →
徳川家定
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
太刀 銘 吉弘
太刀 銘 吉弘
吉弘
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
73.9
所蔵・伝来
備前池田家伝来→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
太刀 銘 包永(金象嵌)本多平八郎忠為所持之
太刀 銘 包永(金象嵌)本多平八郎忠為所持之
包永(金象嵌)
本多平八郎忠為
所持之
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
71.8
所蔵・伝来
本多忠刻→
千姫→徳川家光→
徳川綱吉→
松平忠周→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
刀 (金象嵌銘) 来国真
刀 (金象嵌銘) 来国真
(金象嵌銘)
来国真
鑑定区分
重要刀剣
刃長
70.4
所蔵・伝来
徳川吉宗→
雅楽頭酒井家 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
長巻 銘 備前長船住重真
長巻 銘 備前長船住重真
備前長船住重真
鑑定区分
重要刀剣
刃長
63.7
所蔵・伝来
徳川慶喜 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
太刀 銘 光則
太刀 銘 光則
光則
鑑定区分
重要刀剣
刃長
72.4
所蔵・伝来
徳川家治 →
酒井家 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
短刀 銘 金重
短刀 銘 金重
金重
鑑定区分
重要刀剣
刃長
28.5
所蔵・伝来
曽我仲祐 →
徳川家
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
脇差 銘 繁慶
脇差 銘 繁慶
繁慶
鑑定区分
重要刀剣
刃長
53
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
刀 銘 以南蛮鉄於武州江戸康継(二代)
刀 銘 以南蛮鉄於武州江戸康継(二代)
以南蛮鉄於武州江戸康継
鑑定区分
特別保存刀剣
刃長
72
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
短刀 銘 太阿月山源貞一作(花押)昭和五十一年十二月日
短刀 銘 太阿月山源貞一作(花押)昭和五十一年十二月日
太阿月山源
貞一作(花押)
昭和五十一年
十二月日(棟に)
畑喜与一所持
鑑定区分
保存刀剣
刃長
28.8
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

徳川御三家・御三卿の日本刀

刀 無銘 貞宗
刀 無銘 貞宗
無銘
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
68.5
所蔵・伝来
尾張徳川家伝来→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
刀 折返銘 備前国住吉次
刀 折返銘 備前国住吉次
備前国住吉次
鑑定区分
重要美術品
刃長
67.6
所蔵・伝来
徳川宗直→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
太刀 銘 豊後国行平作
太刀 銘 豊後国行平作
豊後国行平作
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
77.3
所蔵・伝来
一橋徳川家伝来→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
刀  無銘  伝長義
刀 無銘 伝長義
無銘
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
69.8
所蔵・伝来
尾張徳川家家老
竹腰家→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
刀 金象嵌銘 兼光
刀 金象嵌銘 兼光
(金象嵌銘)兼光
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
73.8
所蔵・伝来
尾張徳川家伝来
黒田家 黒田長好→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
短刀 銘 吉貞
短刀 銘 吉貞
吉貞
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
27
所蔵・伝来
水戸徳川家→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
刀 無銘 伝長義(水戸徳川家伝来)
刀 無銘 伝長義(水戸徳川家伝来)
無銘
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
72.4
所蔵・伝来
水戸徳川家伝来 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
刀 銘 和泉守兼定作(金象嵌)二ツ胴 三浦将監所持
刀 銘 和泉守兼定作(金象嵌)二ツ胴 三浦将監所持
和泉守兼定作
(金象嵌)
二ツ胴
三浦将監所持
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
65.2
所蔵・伝来
紀州徳川家の家老→
三浦将監→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
太刀 無銘 豊後国行平
太刀 無銘 豊後国行平
無銘
鑑定区分
重要刀剣
刃長
71.5
所蔵・伝来
紀州徳川家→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
薙刀 銘 陸奥守藤原歳長
薙刀 銘 陸奥守藤原歳長
陸奥守藤原歳長
鑑定区分
特別保存刀剣
刃長
39.6
所蔵・伝来
尾張徳川家 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
刀 銘 葵紋崩(烈公)
刀 銘 葵紋崩(烈公)
葵紋崩
鑑定区分
特別保存刀剣
刃長
70.9
所蔵・伝来
徳川斉昭 →
青木家 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
薙刀 銘 宗重
薙刀 銘 宗重
宗重
鑑定区分
未鑑定
刃長
45.8
所蔵・伝来
水戸徳川家 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
短刀 銘 太阿月山源貞一作(花押)昭和五十一年十二月日
短刀 銘 太阿月山源貞一作(花押)昭和五十一年十二月日
太阿月山源
貞一作(花押)
昭和五十一年
十二月日(棟に)
畑喜与一所持
鑑定区分
保存刀剣
刃長
28.8
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

徳川家の日本刀

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「徳川十五代将軍」の記事を読む


初代将軍/徳川家康

初代将軍/徳川家康
戦国乱世に終止符を打ち、江戸幕府を開いた「徳川家康」。天下人として名高い家康ですが、幼い頃は「織田家」と「今川家」の人質として扱われ、家臣共々不遇な生活を送っていました。しかし、そののちは三河平定、そして天下分け目の「関ヶ原の戦い」を経て征夷大将軍となったのです。その生涯と共に、「徳川紋」と言われる徳川家の家紋、そして徳川家康が残した名言をご紹介します。

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第2代将軍/徳川秀忠

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江戸幕府2代将軍「徳川秀忠」(とくがわひでただ)と言えば、「関ヶ原の戦い」に遅参したことで有名な人物。初代将軍「徳川家康」、3代将軍「徳川家光」に比べると地味なイメージがあるでしょうが、徳川秀忠は決して凡庸な人物ではありませんでした。今回は、知られざる徳川秀忠の生涯や、後世に繫がる幕府の支配体制を確立させた徳川秀忠の大きな功績についてご紹介していきます。

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「我は生まれながらの将軍である」と言ったのは、江戸幕府3代将軍「徳川家光」(とくがわいえみつ)。様々な政策を行ない、幕藩体制や幕府機構の確立に尽力しました。徳川家光が幕府の基礎を築かなければ、江戸幕府が約260年続くことはなかったと言われています。 徳川家光が行なった政策とは何か。徳川家光の幼少期や両親・弟・乳母「福」との関係、功績や人物像についてご紹介します。

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第4代将軍/徳川家綱

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江戸幕府5代将軍「徳川綱吉」(とくがわつなよし)は、徳川15代将軍のなかでも「生類憐れみの令」(しょうるいあわれみのれい)を発していることから、特に知名度が高い将軍です。しかし、徳川綱吉の名前に「家」の1文字がありません。それは徳川綱吉が、将軍候補から外れていたことを意味します。 徳川綱吉が、悪法と名高い生類憐れみの令を発した背景には何があったのか。また、将軍候補ではなかった徳川綱吉が、なぜ5代将軍に就任したのか、その理由を掘り下げます。

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江戸幕府を治めていた徳川家15代将軍のなかで人気があるのは、「暴れん坊将軍」で有名な8代将軍「徳川吉宗」(とくがわよしむね)。時代劇などの主役と言うだけでなく、大胆な財政改革「享保の改革」(きょうほうのかいかく)を行なった将軍として、現代でも抜群の知名度を誇りますが、徳川吉宗はどのような人物だったのか。また、手腕を発揮した享保の改革とは、どのような内容と成果があったのかを、徳川吉宗の生涯と共にご紹介します。

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