日本刀の名刀

天皇の刀・三の丸尚蔵館
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皇居東御苑内には、皇室に伝来してきた美術品を観覧することができる「三の丸尚蔵館」(東京都千代田区)があります。代々受け継がれた絵画・書・工芸品に加え、皇室の方々の遺愛品などを含め、約9,800点の美術工芸品を収蔵。その中には、希少価値の高い名刀が天皇の刀として収蔵されているのです。三の丸尚蔵館の歴史と、収蔵されている日本刀についてご紹介します。

皇室の意見を汲み取って設立された三の丸尚蔵館

三の丸尚蔵館

三の丸尚蔵館

1989年(昭和64年)1月7日に「昭和天皇」が崩御されると、皇室所有品などの相続関係を明らかにするため、天皇家に伝わる美術品などが区分されることになりました。

宮中行事で用いる屏風や刀剣類などが、皇室の財務・財政について定めた「皇室経済法」第7条に基づき「御物」(ぎょぶつ)として皇室の私有財産となったのです。

その他、約6,000点もの美術品は国に寄付されました。そして1992年(平成4年)に、収蔵物の保存・研究を主目的とした収蔵庫として皇居東御苑内に「三の丸尚蔵館」が設立。

当初は、目的通り研究機関として機能させ、展示については博物館や美術館に貸し出しなどを行う予定にしていました。しかしそのあと、皇室から意見が出されたことにより、三の丸尚蔵館内に展示室が設けられることになったのです。

三の丸尚蔵館に収蔵・展示されている日本刀

三の丸尚蔵館には、絵画や書画、彫刻などの美術品が収蔵されていますが、そのなかには名刀の呼び声高い日本刀も多数伝来。愛刀家として知られる「明治天皇」も、古刀新刀を含めた約300振もの刀剣を収集、いずれも「業物」(わざもの)揃いの優れた刀ばかりです。

明治天皇は、詩歌や絵画など多彩な趣味を持ちましたが、特に日本刀には多くの情熱を傾けていました。ここでは、明治天皇が所有した指折りの刀をはじめ、天皇家に代々受け継がれてきた刀についてご紹介します。

京極正宗

短刀「京極正宗」(きょうごくまさむね)は、戦国武将「京極高次」(きょうごくたかつぐ)が「豊臣秀吉」から拝領したとする刀です。もとは樋口屋という商人が所持したことから「樋口正宗」と呼ばれていましたが、京極高次が所有するにあたり京極正宗と呼ばれるようになります。

以降も京極家に伝来しましたが、徳川将軍家から召し上げられるのを避けるためか、本短刀は所有していること自体が隠されてきました。しかし1919年(大正8年)、華族会館(現在の東京都千代田区にあった華族の集会所)にてようやく本短刀を公開。そのあと、皇室に献上しました。

本短刀を作ったのは鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて活躍した刀工「正宗」です。「五郎入道」と名乗っていたことから、「五郎入道正宗」(ごろうにゅうどうまさむね)とも呼ばれています。

江戸時代に編纂された名刀リスト「享保名物帳」(きょうほうめいぶつちょう)にて「粟田口吉光」(あわたぐちよしみつ)、「郷義弘」(ごうのよしひろ)と共に多くの名刀が記載されたことから、「天下三作」(てんがさんさく)のひとりにも選ばれている名工です。なお、正宗の作品は無銘がほとんどですが、本短刀は数少ない在銘作のひとつとなっています。

京極正宗
京極正宗
正宗
時代
鎌倉時代
鑑定区分
御物
所蔵・伝来
豊臣秀吉→
京極高次→
皇室→
三の丸尚蔵館

宗瑞正宗

短刀「宗瑞正宗」(そうずいまさむね)は、戦国大名「毛利輝元」(もうりてるもと)が豊臣秀吉より拝領したとされる刀です。号の由来は、毛利輝元の法名「宗瑞」(そうずい)にちなんでいると伝わります。

毛利輝元は出家後、本短刀を徳川家へ献上し、以降徳川家内で贈答を繰り返し、本短刀は1887年(明治20年)に明治天皇に献上されました。現在は宮内庁が管理する三の丸尚蔵館に所蔵されています。

本短刀は、差表には守り刀である短刀に多い素剣(すけん)を彫刻。さらに差表は浅い互の目乱れ、差裏には大互の目乱れに、荒沸が付くなど、正宗が得意とした躍動感のある刃文をしています。正宗の在銘物は稀なため、本短刀も無銘作です。

宗瑞正宗
宗瑞正宗
無銘
鑑定区分
御物
刃長
25.1
所蔵・伝来
豊臣秀吉 →
毛利家 →
徳川家 →
天皇家

若狭正宗

打刀若狭正宗」(わかさまさむね)は、豊臣秀吉の正室「ねね」(北政所)の甥「木下勝俊」(きのしたかつとし)が所有した1振。号 若狭正宗の由来は、木下勝俊が「小浜城」(現在の福井県小浜市)の城主だったことから付けられました。

関ヶ原の戦い」で木下勝俊は、「徳川家康」方の東軍に付き「伏見城」(現在の京都府京都市)の守備に任じられましたが、敵方の西軍に甥「小早川秀秋」(こばやかわひであき)がいたことで内通を疑われ、城を退去させられてしまいます。のちに敵前逃亡したことを徳川家康に咎められ、領地を没収。本刀は、このとき徳川家康に献上したと伝えられています。

その後は、姫路藩の初代藩主「池田輝政」(いけだてるまさ)へ下賜され、2代藩主「池田綱政」(いけだつなまさ)より、4代将軍「徳川家綱」(とくがわいえつな)へ献上。再び徳川将軍家の所有となりました。そして1887年(明治20年)に明治天皇へ献上され、現在は三の丸尚蔵館が所蔵しています。

若狭正宗
若狭正宗
無銘
鑑定区分
御物
刃長
69
所蔵・伝来
森家 →
木下勝俊 →
徳川家康 →
池田輝政 →
徳川将軍家 →
明治天皇 →
宮内庁三の丸尚蔵館

浮田志津

短刀「浮田志津」(うきたしず)は、戦国大名「宇喜多秀家」(うきたひでいえ)が所有した短刀です。号は、宇喜多家の名字を別名「浮田」と書くこともあったため「浮田志津」と付けられました。関ヶ原の戦いで、宇喜多秀家が徳川家康率いる東軍に敗れた際、徳川家康のもとへ渡ったと伝わります。

1628年(寛永5年)に、2代将軍「徳川秀忠」の孫「勝姫」と岡山藩初代藩主「池田光政」(いけだみつまさ)との婚約が成立。本短刀は、婚礼祝の品として池田光政に贈られました。こうして池田家に代々伝わりましたが、1891年(明治24年)に明治天皇が行幸の際、池田家を訪れたことを記念して本短刀を「毛利藤四郎」と共に献上。

現在、本短刀は宮内庁の三の丸尚蔵館が所蔵しています。本短刀は、大和国手掻派(現在の奈良県)の出身「兼氏」(かねうじ)が鍛えた作品です。

兼氏は、大和国で大和伝を習得し、その後、正宗に弟子入りし相州伝を学び「正宗十哲」(まさむねじってつ:正宗の影響を受けた相州伝の名工10名)のひとりにも挙げられる名工です。のちに美濃国(現在の三重県)志津村に移住をして「志津三郎兼氏」と名乗るようになり流派を形成、その弟子らが美濃伝を完成させました。

浮田志津
浮田志津
無銘
鑑定区分
未鑑定
刃長
25
所蔵・伝来
宇喜多秀家→
徳川家康→
徳川義直→
徳川秀忠→
池田光政→
明治天皇

三の丸尚蔵館の「国宝」

かつて三の丸尚蔵館に収蔵されている美術品に国宝はありませんでした。それは皇室の御物が慣習的に文化財保護法の対象外とされてきたためです。

この国宝とは、文部科学大臣によって重要文化財に指定されたなかで、国として特に保護するべきだと認定された物を指します。それが御物の場合は、そもそも国(宮内庁)によって保護・管理されている物であるため、文化財保護法の趣旨に合わないと判断されてきました。

しかし2021年(令和3年)7月、文部科学省が開催する文化審議会にて、三の丸尚蔵館が所蔵する5件の美術品を国宝指定するように答申。その結果、宮内庁が保管する収蔵品としては初の国宝指定を受けることが決定しました。

「蒙古襲来絵詞」(もうこしゅうらいえことば)
鎌倉時代中期のモンゴル軍との戦「文禄の役」(別名[元寇])の様子を描いた作品。
「唐獅子図屏風」(からじしずびょうぶ)
安土桃山時代の画家「狩野永徳」(かのうえいとく)の最も著名な作品。六曲一双の屏風に2頭の獅子が描かれており、安土桃山文化を代表する作品のひとつとなっています。
「春日権現験記絵」(かずがごんげんげんき)
「高階隆兼」(たかしなたかかね)作、春日権現の伝説を描いた鎌倉時代の絵巻物。
「動植綵絵」(どうしょくさいえ)
植物、鳥、昆虫、魚貝などを描いた30幅からなる花鳥図の大作。江戸時代中期の画家「伊藤若冲」(いとうじゃくちゅう)の作品です。
「屏風土代」(びょうぶどだい)
平安時代中期の官吏で能書家「小野道風」(おののみちかぜ)の作品。漢詩の下書きとして屏風に書いた物で、やわらかな筆遣いが特徴となっています。

天皇の刀・三の丸尚蔵館

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