歌舞伎の名場面・見どころ
伊勢音頭恋寝刃
歌舞伎の名場面・見どころ
伊勢音頭恋寝刃

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立廻りが見どころのひとつになっている歌舞伎演目の中から、「伊勢音頭恋寝刃」(いせおんどこいのねたば)の題材となった出来事と物語の概要、さらに立廻りの見どころをご紹介します。

失われた名刀をめぐる歌舞伎の代表的演目

作者 近松徳三(ちかまつとくぞう)
初演 1796年(寛政8年)7月

「伊勢音頭恋寝刃」は、刀剣類の登場機会が多い「時代物」(江戸時代以前の公家や武家社会を描いたもの)ではなく、「世話物」(せわもの:江戸の町民や庶民の世界を描いたもの)に分類される演目ですが、不思議な力を持つ名刀「青江下坂」(あおえしもさか)を主軸に物語が展開されたものです。

全体は四幕七場ありますが、その中の一部を独立させ、「油屋」(あぶらや)という別外題で上演されることもあります。

世話物とは

歌舞伎の時代物、世話物という内容による大きな分類は、別の見方をすると、「歌舞伎が生まれた江戸時代の庶民にとって近い話か遠い話か」という物になります。

時代物は、当時の庶民から見て古い時代に起こった歴史上の事件を題材に、それにかかわった人物が登場する話。

それと対極にあるのが世話物で、当時の庶民の実生活の中で起こった恋愛や喧嘩、殺人、心中などの出来事を題材にした物です。世話とは「世間話」の略で、中には噂話の範疇を出ない物も題材になったようです。

江戸時代の旅情サスペンスドラマ?

伊勢音頭恋寝刃の題材となったのは、1796年(寛政8年)5月4日に伊勢古市(現三重県伊勢市)の遊郭「油屋」で、地元の医者・孫福斎(まごふくいつき)が酒に酔い、仲居のおまんなど2名を日本刀で殺害し、7名に怪我を負わせた「古市十人斬り」と呼ばれた実際の事件。

これをもとに、観光地・伊勢を舞台に悪事を企てる人物あり、物語のカギとなる失われた名刀探しあり、さらに愛する人のために良かれと思って取った行動が予期せぬ惨劇を呼ぶという、現代の旅情サスペンスドラマさながらのエピソードが加えられ、ハラハラドキドキの展開が魅力の演目です。

物語の概要

伊勢音頭恋寝刃

伊勢音頭恋寝刃

伊勢音頭恋寝刃の物語の大まかな流れをご紹介します。

阿波国(あわのくに=現徳島県)の家老の息子・今田万次郎(いまだまんじろう)が、主君の命を受けて名刀・青江下坂を伊勢にて入手するものの、謀反の企てに加担する徳島岩次(とくしまいわじ)の一味に唆され、何と遊興費の捻出のために質入れしてしまいます。さらに同じ一味の計略で、その折紙(鑑定書)までも偽物にすり替えられてしまうという始末。

これを取り戻すべく奔走するのが、もとは今田家の家来筋で今は伊勢神宮の御師(おんし:下級の神官)を務める福岡貢(ふくおかみつぎ)。貢は何とか所在を突き止め、青江下坂の入手に成功。折紙はまだ入手できぬままですが、まずは日本刀だけでも万次郎に渡そうと、伊勢古市の遊郭油屋で彼を待つことに。この油屋は貢の恋人の遊女・お紺がいるところ。

しかし、仲居の万野が貢を恋仲のお紺に会わせまいと、別の遊女・お鹿を呼んできます。どうやらこのお鹿、貢が自分に気があると思っている様子。貢が困り果てていたところへお紺が現れ、貢はお紺から愛想尽かしをされてしまいます。実は、お鹿の勘違いは万野の策略。

そして、お紺の愛想尽かしも油屋にいた徳島城下の商人、岩次になびくと見せて、貢のために折紙を取り返そうとする考えゆえのこと。さらにそうとは知らない貢は、岩次側に味方する仲居の万野にも侮辱され怒りが増幅する中で、妖しいパワーを秘めた名刀・青江下坂を手に、その妖気に導かれるかのように爆発し万野や岩次一味を次々と斬り捨てていくのです。

最大の見せ場は、立廻りの様式美を存分に盛り込んだ油屋での殺し場のシーンです。

伊勢音頭をバックに繰り広げられる立廻りに注目!

油屋の庭先に現れる福岡貢

油屋の庭先に現れる福岡貢

伊勢音頭恋寝刃は、1796年(寛政8年)5月4日に伊勢の油屋で実際に起こった殺傷事件を題材に、作者の近松徳三が3日で書き上げ、事件のわずか2ヵ月後には初演されています。

題材が殺傷事件であるだけに、物語の最大の見せ場もこの殺しの場に置かれており、芸妓たちが賑やかに伊勢音頭を踊る油屋の奥座敷の庭先に、青江下坂を持った福岡貢(ふくおかみつぎ)が姿を現わし、次々と人々に斬りかかります。この立廻りに大きな花を添えているのがバックで流れる伊勢音頭のリズムです。

歌舞伎において演出効果を高める「下座音楽」(げざおんがく)のひとつで、これがまさに効果を発揮しており、日本刀で人を斬り続ける場面でありながら、目を覆うような生々しさはなく、歌舞伎本来の立廻りの様式美をじっくりと堪能できます。

貢と名刀・青江下坂との因縁

主人公の貢は福岡家の養子で、生まれは青江家という武士の家柄です。物語の鍵を握る青江下坂と何やら因縁がありそうですね。貢がこの名刀探しに奔走したのは、自身のためではなく、青江家の主家であった今田家からの依頼があってのことですが、もともと貢と青江下坂の間には、連続殺人事件への伏線ともいうべき深い縁があったのです。

実は青江下坂は貢の祖父青江刑部が買い求め名付けた物で、この日本刀のために祖父も父も命を落とし、結果青江家は没落。つまり、青江下坂は青江の家に代々不幸をもたらす日本刀だったのです。

このエピソードは、伊勢音頭恋寝刃の中では普段上演されることの少ない「太々講」(だいだいこう)の場で、貢の叔母によって語られます。(2015年国立劇場10月公演「伊勢音頭恋寝刃」では、53年ぶりに太々講を上演)

青江下坂の妖力に魅入られたか否か

殺し場の場面

殺し場の場面

立廻りの様式美とともに注目したいのが、連続殺傷の最初の犠牲者となる油屋の仲居・万野と貢の間。名刀・青江下坂を渡せ、渡さぬの口論になり、弾みでその鞘が割れ、貢は意図せず万野の肩先を日本刀で叩いてしまう場面です。

血が流れ、「人殺しぃー」と悲鳴を上げる万野の姿を見て、もはやこれまでと思い万野を斬り殺し、そこへやってきた岩次や他の人々にも次々と日本刀を振り降ろしていく貢。

貢は、歌舞伎用語で「ぴんとこな」と評されるやわらかな色気を持ちながらも、優男ではないきりっとした強さを持った二枚目の代表格とされる役柄です。

殺し場の場面までは、身に覚えのないことで責め続けられても、恋に破れ(と勘違いし)ても、悪口雑言を並べ立てられても、怒りに身を震わせつつじっと耐えています。その彼が妖刀の魔力に負けたのか、はたまた堪忍袋の緒が切れた人間の弱さゆえの犯行かは謎に包まれています。自分なりのイマジネーションを働かせながら役者の演技を堪能するのも、楽しみ方のひとつです。

青江下坂のモデル「葵下坂」

青江下坂は、越前(福井県)の刀工・越前康継(えちぜんやすつぐ)が作った葵下坂(あおいしもさか)をモデルにしています。越前康継は下坂派の棟梁格で、代々その名を受け継ぎ、幕末まで江戸幕府の御用鍛冶を務めた家系です。

初代康継の出自は明らかではありませんが、一説には近江国(滋賀県)長浜市下坂の生まれで、名は下坂市左衛門であったとあります。慶長年間(1596年~)の初頭に越前へ移り住み、徳川家康の次男で越前藩主・結城秀康のお抱え鍛冶に。この秀康の推挙により家康・秀忠に取り立てられ、家康より「康」の字を賜るとともに、日本刀の茎(なかご=刀身の柄に被われる部分)に葵紋を切ることを許されたことから、康継が作った刀剣類には「葵下坂」あるいは「葵御紋康継」の名が付いています。

余談になりますが、幕末に活躍した新選組の土方歳三の遺刀が、「葵御紋康継」です。

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