武具の基礎知識

采配・軍配とは

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古来、日本の戦争は「野戦」と言い、敵味方が広い野原で斬り合うのが一般的でした。その混乱のなかで兵士ひとりひとりが勝手に判断して行動していては非効率になるため、部隊を組んで戦う意味がありません。戦場でいかに大将の意志を兵士に伝えるかは、とても重要な問題だったのです。そこで生まれたのが、戦う兵士達を鼓舞し部隊に作戦を伝えるための采配(さいはい)や軍配(ぐんばい)、軍扇(ぐんせん)など。合戦の現場を彩った小道具について、それぞれの進化と共に解説します。

書画・美術品写真/画像
軍配をはじめ、装飾が印象的な筒や扇などの合戦武具をご覧頂けます。

采配の基礎知識

采配とは

采配

采配

采配」(さいはい)とは、短冊状に切り裂いた布や紙を棒の先に付け、遠くから見えるようにした道具です。

室町時代の末期頃から使用され始め、采幣・再拝・采と書くこともあり、もともとは飼い慣らした鷹を呼び寄せるときに用いる「旄」(さい)という道具が転じて采配と呼ばれるようになりました。

采配の素材

一般的な物は、紙でできた「紙采」(しさい)と「犛牛」(ヤク:チベット高原で飼育されていた大型牛)の尾の毛を使った采配。紙采には、白い紙をそのまま束ねた物や朱漆を塗った物、さらに金箔や銀箔を押した物などのバリエーションがありました。

采配の作り方

采配を作る際には、長さ1寸(約3cm)の管状の「リウゴ」に、2枚重ねにした紙を7~21枚回し重ね、元結で絡み付けます。したがって、紙は幾重にも重なっているので紙束の端で結んで縛り付けていき、十分に揃ったら上下逆さにし管に通した紐を棒の先端に結び付けて完成です。

采配の作り方

采配の作り方

采配の使い方

実際の合戦では采配を振り回すことで進撃の合図とするなど、采配の振り方で部隊の動きを細かくコントロール。もちろん命令を受ける兵士側も、合図の内容を確実に理解しておく必要がありました。采配による合図は武将によってまちまちで決まったパターンはありません。江戸時代の「伊勢貞丈」(いせさだたけ)が記した軍用記にも、兵士をコントロールするための采配の使い方に関しての記述が残っています。

采配を持つ意味

采配を持つことができたのは、歩兵である足軽隊の隊長(足軽将軍・物頭)以上、あるいは特別な武功のあった者に限られていました。しかし、実際に采配の所持を許されるということは部隊の指揮権を与えられており、采配はきわめて実用的な道具でした。同時に、武将の格や権威を示すという意味合いも強かったのです。

江戸時代の采配

江戸時代の采配

江戸時代の采配

戦国時代、武将は自分の好みで采配を選んでいたと言います。しかし、江戸時代になって合戦がなくなってからは采配はこれまで以上に「権威の象徴」と言う意味が強くなりました。

そして徳川家により、牛の采配は「将軍」または「御三家・御三卿」しか所有することができないと決められていたのです。同様に、金采(きんさい)は「大名」、銀采はこれに準ずる者、朱采・白采は物頭以上が持つと決められました。

船で使用する采配

陸上の合戦だけでなく船戦でも采配を用いており、「船采配」と呼ばれています。それは、柄が長く先端を折り返さずに銀箔押しにした紙を末広がりに結び付けていました。

軍配の基礎知識

軍配とは

軍配

軍配

采配と同じように軍を指揮するときに使用されたのが軍配(ぐんばい)です。

正しくは「軍配団扇」(ぐんばいうちわ)と言い、略して「軍配」または「団扇」(うちわ)などと呼ばれました。

軍配の起源

夏に涼を取るための団扇は、もともとは中国から日本に伝わったとされています。軍陣で部隊を支持するために用いられるようになったのは室町時代頃でした。

後北条家の家臣であった「三浦茂正」(みうらしげまさ)が著した「北条五代記」に北条氏康が軍配を用いて陣を指揮したことが記されており、すでに室町時代末期には戦場で使用されていたことが分かります。

軍配の素材

古くは網代へぎ板(木材をうすく割り、漁業用の網の代わりにした板)に動物のなめし革などを貼って軍配として使用していました。江戸時代には木製タイプが作られ、それが今では相撲の行司が持つ軍配に受け継がれています。

武田信玄」は南部鉄で鍛えた軍配を使用したという話が伝えられ、「甲陽軍鑑」(こうようぐんかん)など多くの書物に、「上杉謙信」(うえすぎけんしん)の太刀を持っていた鉄扇で受け止めたという逸話が残っているのです。

江戸時代には、鉄製の軍配の作り方が秘伝として伝えられていました。例えば、江戸時代の「武具考」に記された鉄の軍配は扇面の縁に薄く鋭く加工が施され、また焼刃も付けられていたと言いますから、部隊を指揮する道具と言うよりも武器のひとつとして用いることを想定していたのです。

川中島の戦い
武将イラスト・合戦イラスト集武将イラスト・合戦イラスト集
武将イラスト・合戦イラスト集では、戦国時代に活躍した武将達を中心に、今にも動き出しそうなリアルタッチで描いたイラストを掲載しています。

軍配の使い方

竹を用いた「伏竹弓」や「三枚内弓」などが発明され、矢の飛距離が伸びたことで離れた位置からの攻撃が可能になりました。

源平合戦で源氏方の将「那須与一」(なすのよいち)が遠く離れた船上の扇の的を射抜いたという逸話はあまりにも有名。また鎌倉時代の後期には、弓の形状が従来の「上下対称」から現代に近い「上下非対称」(後述)になったことも飛距離が伸びた要因のひとつとされています。

軍扇の基礎知識

軍扇とは

「軍扇」(ぐんせん)と言われる戦国大名が戦場の兵を鼓舞するために用いた扇。

軍扇の起源

軍扇

軍扇

鎌倉時代に記された「蒙古襲来絵詞」(もうこしゅうらいえことば)には日月星が描かれた軍扇が描かれています。一般的には当時はまだ戦闘を指揮する道具としては使われておらず、専ら軍陣で涼を取るために使われていました。

しかし「軍用記」には、室町時代以降軍扇が「まじない」や「占い」の道具となり、様々な作法や製法における決まり事が生まれることで通常の扇と一線を画すようになったと書かれています。

軍扇の決まり

軍扇には、デザインや素材で様々な決まりがありました。「親骨」(扇の外側に付いている、最も太い2本の骨)が広く、「将軍木」(しょうぐんぼく:ムクノキの別名)を用いる物であること。また、親骨には猫間(ねこま:透かし彫りのひとつで、猫の瞳が明暗で変化するように丸い形や細長い形を連続的に彫り透かした細工)を施すことです。あるいは持つ人の生年の八卦を刻み、表裏に日月七曜(火星・水星・木星・金星・土星と太陽・月を合わせた7つの天体のこと)が描かれ、扇の要には「鵐目」(しとどめ:穴に付ける金属)を入れて緒を通すなど事細かな決まり事を守って作られていました。

軍扇の規格

軍扇の大きさに関しても細かい規格があり、軍用記には長さ1尺2寸(約36cm)、紙の長さは6寸(約18cm)、骨は12本、緒は手抜きを入れて合計1寸5分(4.5cm)、扇の日の丸の大きさは5寸(約15.2cm)などと細かい数値が示されていました。

新しく扇を作ったら、「神主か真言宗の僧侶に頼んで祈祷してもらわなくてはならない」というルールまで存在。一般的な扇と比較すると格段に厳粛な扇として権威づけられていたのです。

軍扇の使い方

軍陣で兵を指揮する以外に、神仏の加護による戦勝を祈るためにも用いられてきた軍扇。戦場で軍神を招いて勝利を希うときは、両手で表を上にして高く持ち「軍神ここに影向[出現]したまえ」と祈念します。他にも開いて使うときは昼は表を外に向け、夜は裏を外に向けて扇は半分開いて用いるなどの縁起担ぎのための規則がありました。

まとめ

合戦の現場で使われてきた「采配」・「軍配」・「軍扇」。それぞれに特徴があり、戦で重要な役割がありました。陸上合戦や船戦などあらゆる場面で武将や兵士と共に戦ってきた武器のひとつと言えるほどの小道具なのです。

采配・軍配とは

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