名家に代々伝えられた日本刀

徳川将軍家伝来の太刀 備州長船住景光

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「徳川将軍家」と言えば、江戸幕府の初代将軍「徳川家康」の一族のこと。武力、財力共に日本一の成功者。江戸幕府は滅びましたが、徳川将軍家に伝わる宝物は、現在も「徳川美術館」(愛知県名古屋市)などに数多く所蔵され、輝き続けています。そんな貴重な徳川将軍家伝来の太刀1振が、刀剣ワールド財団の所蔵となりました。重要文化財(旧国宝)「太刀 銘 備州長船住景光 正和五年十月日」について、詳しくご紹介します。

徳川将軍家の歴史と財力

徳川十五代将軍家系図

徳川十五代将軍家系図

「徳川将軍家」とは、誰もが知る「徳川家康」の一族、徳川宗家のことです。

徳川家康は、1600年(慶長5年)「関ヶ原の戦い」で東軍の総大将となって勝利し、朝廷から「征夷大将軍」に任命された人物。

征夷大将軍とは、武家政権トップの称号で、略して将軍のこと。

この称号は世襲され、約260余年、15代に亘って存続し、徳川将軍家または徳川十五代将軍と崇められ君臨しました。

そんな徳川将軍家は、財力も日本一。

徳川家康は、重要な都市、鉱山、港湾、などを直轄領として財を蓄え、領地は何と800万石(直轄領400万石、徳川一族400万石)でした。

現在価値に換算すると、100万石がおよそ600億円と言われるので、その8倍!

なお、「織田信長」は400万石、「豊臣秀吉」は222万石と言われていますので別格です。

大資産家の徳川家康が天下を統一したおかげで、統一貨幣「慶長金銀」が作られ、五街道など国内の交通網やインフラが整備。

経済や文化が発展したのは、間違いのない事実です。

徳川十五代将軍一覧徳川十五代将軍一覧
徳川家康を含む、江戸幕府を治めた徳川家15人の将軍についてご紹介します。

徳川将軍家の宝物

徳川将軍家の宝物は、金銀はもちろん、刀剣武具茶道具、香道具など様々です。なかでも、初代将軍・徳川家康は、の蒐集家。主君で愛刀家だった織田信長や豊臣秀吉の刀のほとんどは、最終的に天下を治めた徳川家康のもとへと集まったのです。

徳川家康の愛刀(佩用)は3振と言われていますが、国宝太刀日光助真」(にっこうすけざね)以外、重要文化財「宗三左文字」(そうざさもんじ)は、もとは織田信長の愛刀で、国宝の太刀「江雪左文字」(こうせつさもんじ)は、もとは豊臣秀吉の愛刀です。

徳川美術館

徳川美術館

徳川家康の死後、宝物は遺産として尾張徳川家水戸徳川家紀州徳川家などの子孫に分けられます。これを「駿府御分物」(すんぷおわけもの)と言いました。

現在も多くが「徳川記念財団」、「徳川美術館」(愛知県名古屋市)、「徳川ミュージアム」(茨城県水戸市)などに所蔵されています。

約260余年続いた徳川将軍家。ほとんどは戦がなく平和な時代ではあったものの、地震や火災、飢饉やお世継ぎ問題が何度も起こりました。

刀剣ワールド財団×徳川将軍家伝来の太刀

公爵 徳川家達殿とは

重要文化財指定書

重要文化財指定書

刀剣ワールド財団が所蔵することになったのは、徳川将軍家伝来の「太刀 備州長船住景光 正和五年十月日」です。

太刀には、「銃砲刀剣類登録証」はもちろん、「重要文化財指定書」、「文部省通知書」(現在の文部科学省)が付属されていました。文部省通知書の宛名は「公爵 徳川家達殿」。

「徳川家達」(とくがわいえさと)とは、徳川宗家16代当主のことです。江戸時代末期の1863年(文久3年)生まれ。幼名は亀之助。父は「田安徳川家」(たやすとくがわけ)の当主「徳川慶頼」(とくがわよしより)。

田安徳川家は「御三卿」(ごさんきょう)のひとつで、将軍に後嗣がない場合には「御三家」(ごさんけ)の次に将軍家を継ぐ特権を与えられていました。

御三家とは、徳川家康の九男「徳川義直」(とくがわよしなお)を家祖(かそ:家の先祖)とする尾張徳川家、徳川家康の十男「徳川頼宣」(とくがわよりのぶ)を家祖とする紀州徳川家、徳川家康の十一男「徳川頼房」(とくがわよりふさ)を家祖とする水戸徳川家のことです。

また、御三卿とは、8代将軍「徳川吉宗」の次男「徳川宗武」を家祖とする田安徳川家、同じく徳川吉宗の四男「徳川宗尹」(とくがわむねただ)を家祖とする「一橋徳川家」、9代将軍「徳川家重」の次男「徳川重好」(とくがわしげよし)を家祖とする「清水徳川家」のこと。

徳川家達の父・徳川慶頼は、14代将軍「徳川家茂」(とくがわいえもち)の後見職をしていましたが、1866年(慶応2年)、徳川家茂は後嗣がないまま20歳という若さで死去。次の将軍として白羽の矢が当たったのが、一橋徳川家の「徳川慶喜」(とくがわよしのぶ)と田安徳川家の亀之助だったのです。しかし、亀之助は当時まだ4歳。結局は、当時29歳だった徳川慶喜が15代将軍に就任しました。

ところが、1867年(慶応3年)徳川慶喜は「大政奉還」を行ったのです。これは、将軍という統治権を朝廷に返上することを意味していました。このようにして徳川慶喜が徳川家最後の将軍となり、江戸幕府は滅亡したのです。

しかし、1868年(慶応4年)、徳川慶喜は「王政復古の大号令」を発動。「鳥羽・伏見の戦い」を起こし、敗北して謹慎処分となってしまいます。徳川宗家は断絶の危機となりましたが、新政府は徳川慶喜に代わって、徳川家達に徳川宗家の存続を許可。駿府藩(現在の静岡県)700,000石を与えました。

徳川家達

徳川家達

徳川家達は徳川将軍にはなれませんでしたが、徳川宗家を継いだことから、「16代様」と呼ばれるようになったのです。

こののち徳川家達は、1869年(明治2年)静岡藩知藩事に就任。1871年(明治4年)「廃藩置県」により免職となり、東京へ移住。

1884年(明治17年)「華族令」により公爵となり、1890年(明治23年)の帝国議会開設と同時に貴族院議員を務めるなど活躍しました。

「太刀 銘 備州長船住景光 正和五年十月日」とは

三つ葉葵

三つ葉葵

太刀 銘 備州長船住景光 正和五年十月日は、「景光」(かげみつ)が作刀した1振です。

景光は、備前長船派を代表する刀工で、備前長船派3代目。

地鉄(じがね)は備前長船派の中で最も美しいと言われ、匂本位(においほんい)の肩落互の目(かたおちぐのめ)を創案し、鋒/切先(きっさき)の中に刃文焼刃)を入れる、「長光」(ながみつ)・「真長」(さねなが)・景光に共通する「三作帽子」(さんさくぼうし)の技術を得意としました。

本刀は、地鉄は小板目肌(こいためはだ)がよく詰んで乱映りがあり、刃文は匂本位の小互の目乱で、(あし)・(よう)も入る傑作です。

なお、本太刀には重要刀装「鶴足革包研出葵紋散 御召鐺鞘 打刀拵」(つるあしかわつつみとぎだしあおいもんちらし おめしこじりさや うちがたなごしらえ)が附属。金具には徳川家の家紋「三つ葉葵」(みつばあおい)が入れられています。

鶴足革包研出葵紋散 御召鐺鞘 打刀拵_サムネ

鶴足革包研出葵紋散 御召鐺鞘 打刀拵

本刀は、徳川宗家16代当主・徳川家達が、権現様(徳川家康)より継承したと伝えられる1振。戦後、徳川宗家から手放される際、徳川家達名義の文部省通知書が付属されました。まさに、徳川将軍家伝来の由緒正しい太刀なのです。

太刀 銘 備州長船住景光
太刀 銘 備州長船住景光
備州長船住景光
正和五年十月日
鑑定区分
重要文化財
刃長
75.8
所蔵・伝来
徳川家康 →
徳川家 →
徳川家達 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

徳川将軍家伝来の太刀 備州長船住景光

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