渋沢栄一の紹介

渋沢栄一の家系図と子孫

文字サイズ

近代日本を代表する実業家となった「渋沢栄一」(しぶさわえいいち)。渋沢栄一は、2人の妻との間に7人の子供に恵まれ、多くの子孫を残しました。その子孫達は渋沢栄一の遺志を受け継ぎ、様々な事業で活躍して、功績を残したのです。今回は渋沢栄一の家系図と共に、現在の日本人に影響を与え続けている、渋沢一族の子孫を紹介します。

渋沢栄一の功績渋沢栄一の功績
渋沢栄一に関連する人物、功績・教えについてご紹介します。

渋沢栄一の妻と子ども達

尾高千代

尾高千代

「渋沢栄一」(しぶさわえいいち)は、故郷で尊王攘夷(そんのうじょうい)思想に傾倒していた頃の1858年(安政5年)に、18歳で渋沢栄一の学問の師である従兄「尾高淳忠」(おだかじゅんちゅう)の妹「尾高千代」(おだかちよ)と結婚します。

ひとり目の妻・千代との間には、1863年(文久3年)に長女の「渋沢歌子」(しぶさわうたこ)、1870年(明治3年)に次女「渋沢琴子」(しぶさわことこ)が生まれ、1872年(明治5年)に長男の「渋沢篤二」(しぶさわとくじ)が誕生しています。

長女・渋沢歌子は、日本初の法学博士でのちに枢密院(すうみついん:憲法の番人とも呼ばれた諮問機関)議長となる「穂積陳重」(ほづみのぶしげ)と結婚。6人の子どもに恵まれ、夫や父のことを綴った著書「穂積歌子日記」(ほづみうたこにっき)を出版しています。

一方、次女・渋沢琴子は、大蔵官僚でのちに大蔵大臣、東京市長を歴任した「阪谷芳郎」(さかたによしろう)に嫁ぎ、4人の子どもを儲けました。

そして、1882年(明治15年)に妻・千代がコレラで亡くなると、翌年の1883年(明治16年)に渋沢栄一は2人目の妻「伊藤兼子」(いとうかねこ)と結婚したのです。後妻・兼子は、幕末の豪商「伊藤八兵衛」(いとうはちべい)の次女。実は、渋沢栄一はかつて伊藤家に丁稚奉公(でっちぼうこう:少年が住み込みで下働きすること)していたことがありました。

後妻・兼子との間には、次男「渋沢武之助」(しぶさわたけのすけ)、三男「渋沢正雄」(しぶさわまさお)、三女「渋沢愛子」(しぶさわあいこ)、四男「渋沢秀雄」(しぶさわひでお)の、4人の子どもに恵まれました。

最晩年の渋沢栄一と家族

最晩年の渋沢栄一と家族

また渋沢栄一は、生涯で複数人の愛人と関係を持っており、先妻・千代と後妻・兼子の7人の嫡子以外にも、愛人との間に数人の庶子が生まれていたことが分かっているのです。

渋沢栄一には、自宅に妻と愛人を同居させ、別宅にも愛人を住まわせるといった派手な過去もあったと言われています。

しかし渋沢栄一は、子ども達の朗読を聞くことが日課だったという一面もあることから、家族みんなを愛していたことに変わりはないのでしょう。

晩年の渋沢栄一は、昔のように息子に本を朗読して貰うことを楽しみにしていたというエピソードも語られています。

渋沢栄一の後継者に指名された人物とは?

渋沢一族の間では当初、長男の渋沢篤二が渋沢栄一の後継者とされていました。父・渋沢栄一の跡継ぎとして実業界に入り、「澁澤倉庫株式会社」の会長を務めていた渋沢篤二ですが、1913年(大正2年)に廃嫡(はいちゃく:法定の相続権を除くこと)されてしまうことに。

この廃嫡の理由は明確には分かっていませんが、渋沢篤二が芸者と不倫問題を起こしたことや、芸術家肌だった渋沢篤二が一族を束ねる実業家には向いていないと渋沢栄一が危惧したことなどが理由として考えられているのです。

渋沢敬三

渋沢敬三

このように渋沢一族は一時、廃嫡騒動を起こし後継者問題を抱えました。しかし渋沢栄一は、異母弟の間で起こる一族の家督争いを憂い、すぐさま廃嫡した渋沢篤二の長男「渋沢敬三」(しぶさわけいぞう)を跡取りにするよう懇願したのです。

当時、まだ18歳だった渋沢敬三は、祖父のこの切実な願いを受け入れ、後継者になることを決めました。こうして渋沢栄一の迅速な立ち回りで、一族は骨肉の争いの危機を迎えずに済んだのです。

そののち孫の渋沢敬三は、渋沢家当主として祖父の期待に応えるように、学問と仕事を両立させながら実業家の道を歩んでいきました。1926年(大正15年)には、「第一銀行」(現在のみずほ銀行)取締役、澁澤倉庫株式会社取締役を歴任することに。

渋沢栄一の死後、渋沢敬三は、1934年(昭和9年)11月に「日本民族学会」設立。翌年の1935年(昭和10年)に「民族学博物館」(現在の国立民族学博物館:大阪府吹田市万博公園内)を開設しました。また、太平洋戦争中には、「日本銀行」総裁を務め、戦後は大蔵大臣に就任。渋沢敬三は、財界人として成功を収めながら民俗学者としても功績を残し、祖父の思いを継承し後進の育成にも励みました。

渋沢栄一の遺志を継いだ子孫達

渋沢家 家系図

渋沢家 家系図

渋沢一族では、渋沢栄一の孫・渋沢敬三以外にも、多くの子孫が実業界で活躍しています。まずは、廃嫡となった長男・渋沢篤二以外の息子達を見ていきましょう。

次男の渋沢武之助は、「石川島飛行機製作所」(現在の株式会社立飛ホールディングス)社長をはじめ、様々な企業の取締役や監査役を歴任し、「帝国飛行協会」(現在の日本航空協会)理事も務めています。

三男の渋沢正雄は第一銀行へ入社後、渋沢一族系各企業の重役を歴任。渋沢栄一の死後、1932年(昭和7年)に製鉄業以外の関係会社をすべて辞任し、「日本製鐵株式會社」(にほんせいてつかぶしきがいしゃ:現在の日本製鉄株式会社)副社長に就きました。

四男の渋沢秀雄は欧米で住宅地開発を学び、渋沢栄一が起ち上げた「田園都市株式会社」(現在の東急グループの母体)の取締役に就任。また、絵画や俳句などを嗜む文化人でもあった渋沢秀雄は、「東京宝塚劇場」(現在は東京宝塚ビル:東京都千代田区有楽町)会長、「東宝株式会社」取締役会長も務めていたのです。

次に、渋沢栄一の後継者となった渋沢敬三以外の孫達を見ていきましょう。

長女・渋沢歌子の長男「穂積重遠」(ほづみしげとお)は、渋沢一族のなかでは珍しく、一貫して実業家ではなく法学者としての道を進んだ人物です。学問好きで勉強熱心な渋沢栄一の血を受け継いだ穂積重遠は、「日本家族法の父」と呼ばれ、最高裁判所判事を務めました。

また、長女・渋沢歌子の次男「穂積律之介」(ほづみりつのすけ)は、「株式会社播磨造船所」(現在の株式会社IHI)取締役、四男の「穂積真六郎」(ほづみしんろくろう)は朝鮮総督府官僚に就き、退官後に「京城電気株式会社」(現在の韓国電力公社)取締役、「朝鮮商工会議所」会頭を務めました。

なお、長男・渋沢篤二の次男「渋沢信雄」(しぶさわのぶお)は、ドイツ書を輸入する書籍商として「福本書院」を経営。渋沢栄一が経営再建に携わった「秩父鉄道株式会社」や、渋沢栄一が初代会長の「東京製綱株式会社」で取締役を務めるなど、渋沢一族の関係会社で取締役や重役を歴任しました。

また、渋沢篤二の三男「渋沢智雄」(しぶさわともお)は、兄の渋沢敬三が設立援助した「日本ワットソン統計会計機械株式会社」(現在の日本アイ・ビー・エム株式会社)取締役に就任したあと、澁澤倉庫株式会社の常務取締役や、渋沢栄一が設立を推進した「朝鮮興業株式会社」で取締役を歴任しています。

このように、渋沢栄一から非凡な才能や知恵を受け継いだ渋沢一族の子孫達は、実業界や学問の世界で「渋沢」の名を轟かせ続けたのです。

渋沢栄一の家系図と子孫

渋沢栄一の家系図と子孫をSNSでシェアする

「渋沢栄一の紹介」の記事を読む


渋沢栄一の会社

渋沢栄一の会社
「渋沢栄一」(しぶさわえいいち)は、生涯で約500社もの会社設立と経営に携わり、およそ600もの社会公共事業や民間外交に尽力しました。渋沢栄一が携わった会社は多岐に亘り、現在でも、数多くが経営活動を続けているのです。時代を超えて現在に残る渋沢栄一が関連した代表的な会社を業界別にご紹介します。

渋沢栄一の会社

東京都北区の渋沢史料館

東京都北区の渋沢史料館
「渋沢栄一」(しぶさわえいいち)は、在官中に製紙会社を起業し、現在の東京都北区王子に工場を設立しました。渋沢栄一が実業家としての第一歩を歩み始めた東京都北区は、そのあとも渋沢栄一にとって特別な町となっていきます。渋沢栄一が実業家人生を送ったゆかりの町である「東京都北区」と、晩年を過ごした旧邸跡に建つ「渋沢史料館」について見ていきましょう。

東京都北区の渋沢史料館

渋沢栄一の名言

渋沢栄一の名言
近代日本経済の礎を築き、日本の近代化のために奔走しながら91歳まで人生を全うした「渋沢栄一」(しぶさわえいいち)は、次代に向けて多くの言葉を遺しています。その言葉の多くが、日本国内の実業家や経済界だけでなく、世界中のあらゆる人々に影響を与えたのです。尊王攘夷(そんのうじょうい)の志士、幕臣、新政府官僚、実業家と、様々な視点で生きた渋沢栄一が、自身の経験から語る名言の数々をご紹介しましょう。

渋沢栄一の名言

渋沢栄一の本

渋沢栄一の本
「近代資本主義の父」と呼ばれる「渋沢栄一」(しぶさわえいいち)が遺した言葉は、後世に大きな影響を与えました。そんな渋沢栄一の金言は、現代においても多くの本で学ぶことができるのです。大正時代から100年以上続くベストセラーである渋沢栄一の著書「論語と算盤」を中心に、渋沢栄一の経営術や思想に触れていきましょう。

渋沢栄一の本

渋沢栄一 NHK大河ドラマ ~青天を衝け~

渋沢栄一 NHK大河ドラマ ~青天を衝け~
2021年(令和3年)放送のNHK大河ドラマ第60作「青天を衝け」(せいてんをつけ)では、幕末から明治時代までの日本の動乱期を舞台に、主人公である「渋沢栄一」(しぶさわえいいち)の人生が描かれています。本作はNHK大河ドラマとしては珍しく、「明治の財界人」である渋沢栄一が主人公の近代史で、ドラマ放送前から注目を集めていました。渋沢栄一を中心に激動の時代を描く青天を衝けの基本情報をご紹介します。

渋沢栄一 NHK大河ドラマ ~青天を衝け~

注目ワード
注目ワード