渋沢栄一の関連情報

東京都北区の渋沢史料館

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「渋沢栄一」(しぶさわえいいち)は、在官中に製紙会社を起業し、現在の東京都北区王子に工場を設立しました。渋沢栄一が実業家としての第一歩を歩み始めた東京都北区は、そのあとも渋沢栄一にとって特別な町となっていきます。渋沢栄一が実業家人生を送ったゆかりの町である「東京都北区」と、晩年を過ごした旧邸跡に建つ「渋沢史料館」について見ていきましょう。

渋沢栄一の生涯と功績渋沢栄一の生涯と功績
渋沢栄一に関連する人物、功績・教えについてご紹介します。

渋沢栄一が愛した「東京都北区」

渋沢栄一と東京都北区の関係

「渋沢栄一」(しぶさわえいいち)と東京都北区の繋がりは、1873年(明治6年)2月の「抄紙会社」(しょうしがいしゃ:現在の王子製紙株式会社)設立から始まります。会社設立から3ヵ月後に33歳で大蔵省(現在の財務省)を退官した渋沢栄一は、抄紙会社の工場建設に取り掛かるのです。

そして、1875年(明治8年)12月に、「東京府下王子村」(現在の東京都北区王子)に、日本初となる抄紙会社の工場を完成させました。こうして、東京都北区を拠点に、渋沢栄一の実業家人生が拓かれることとなったのです。

さらに、渋沢栄一は「職住接近」という考えのもと、王子の製紙工場近くの「飛鳥山」(あすかやま)に4,000坪の土地を購入し、別荘を建てました。渋沢栄一は、この飛鳥山に広大な土地を持ったことで、生涯東京都北区と深い関係を築くこととなるのです。

1879年(明治12年)からは、この飛鳥山の別邸に国内外から多くの賓客を迎え入れ、会議や民間外交などを行う「賓客接遇の場」と位置付けました。そののち、日本の実業界を牽引する存在となった渋沢栄一は、1901年(明治34年)に61歳で飛鳥山に本邸を移転。

そして、飛鳥山は渋沢栄一にとって家族と過ごす憩いの場となり、91歳で亡くなるまでの30年間、この地を愛し暮らし続けました。このようにして渋沢栄一は、東京都北区を拠点に新しい時代を築いていったのです。

現在、東京都北区では、2019年(平成31年)から始動した「東京都北区渋沢栄一プロジェクト」というシティプロモーションが実施されています。北区と観光協会が公民連携して、渋沢栄一と北区の歴史を伝えると共に、これから北区の観光プロモーションとなる様々な企画が順次開催される予定です。

東京都北区に残る渋沢栄一の史料館とは

渋沢栄一の活動拠点であった、東京都北区。邸宅を構えた飛鳥山を中心とした「飛鳥山公園」には、「旧渋沢庭園」と呼ばれる渋沢栄一ゆかりの建築物が現存しているのです。「晩香廬」(ばんこうろ)、「青淵文庫」(せいえんぶんこ)、「渋沢史料館」について、詳しくご紹介します。

「飛鳥山公園」渋沢栄一の史跡

旧渋沢庭園「晩香廬」

晩香廬

晩香廬

北区王子で最も人気の観光スポットが飛鳥山公園です。

公園内には、旧渋沢庭園と呼ばれる渋沢栄一ゆかりの史跡がいくつも現存しています。

そのひとつが、当時のまま現存している、渋沢栄一の喜寿(きじゅ:77歳)祝いに贈られた、晩香廬という西洋茶室。

晩香廬という名称は、渋沢栄一自作の漢詩「菊花晩節香」から、ある園遊会で「菊の花だけは晩節の香あり、遅れて節を守るような香がする」と述べたことに由来しており、西洋の「バンガロー」という言葉に合わせたとも言われています。

丈夫な栗材を用いて建てられたこの茶室は、レセプションルームとして使用されていました。

旧渋沢庭園「青淵文庫」

青淵文庫

青淵文庫

晩香廬と合わせて見ておきたいのが、渋沢栄一の傘寿(さんじゅ:80歳)と子爵(ししゃく:もと五爵(公、候、伯、子、男)の第4位にあたる爵位)昇格のお祝いに贈呈された青淵文庫。

渋沢栄一の雅号(がごう:学者や文筆家などが本名以外に付けるペンネームのような、雅びで趣のある名)である「青淵」(あおぶち)を冠したこの書庫は、鉄筋コンクリートと煉瓦で建てられており、家紋をモチーフにした装飾タイルや美しいステンドグラスから西洋の趣が感じられます。

1923年(大正12年)の関東大震災で被害を受け、建設中断といった災難に見舞われましたが、1925年(大正14年)に無事竣工され、そののち賓客を迎える場としても使われていたのです。

晩年の渋沢栄一が愛した場所は、現在も多くの人々から親しまれる名所となっています。

本館「渋沢史料館」

渋沢史料館

渋沢史料館

渋沢栄一の旧邸「曖依村荘」(あいいそんそう)跡に建つのが渋沢史料館です。

1982年(昭和57年)に開館した渋沢史料館は、渋沢栄一の歴史を広く紹介するため、渋沢栄一の史料を多く展示しています。

館内では、渋沢栄一の日常・思い・言葉に「ふれる」、渋沢栄一の生涯を「たどる」、渋沢栄一の活動を「知る」といった3つのテーマが掲げられ、渋沢栄一をあらゆる面から深く学ぶことが可能。

また、2020年(令和2年)11月のリニューアルの際には、デジタル画像で体感できるスポットや、渋沢栄一に関する図書を自由に読むことができる「青淵書屋」(せいえんしょおく)などの新しいコーナーが誕生。展示図録やオリジナルグッズを扱う「青淵商店」もオープンし、ファンはもちろん、子どもから大人まで楽しめる史料館へと生まれ変わりました。

渋沢栄一のことをこれから知りたい人だけでなく、明治時代から昭和時代の歴史に触れたい人にもおススメの施設です。渋沢栄一がかつて暮らした町の空気を感じながら、東京都北区で渋沢栄一について学んでみてはいかがでしょうか。

渋沢栄一ゆかりの橋と建造物

渋沢栄一ゆかりの史跡「音無橋」と「旧醸造試験所」

渋沢栄一は、東京都北区を拠点に実業家としての活動を行いながら、地域への支援や事業展開にも尽力し、北区の発展に大きく貢献しました。北区には、これまで紹介してきた他にも、渋沢栄一によって手掛けられた建造物や、渋沢栄一ゆかりの地が現在も数多く残っているのです。

音無橋

音無橋

音無橋

JR京浜東北線と東京メトロ南北線、都電荒川線の3つの路線が交差する「王子駅」前に流れる石神井川(しゃくじいがわ)に架かる「音無橋」(おとなしばし)。

「日本の都市公園100選」にも選ばれている「音無親水公園」(おとなししんすいこうえん)の真上に位置する音無橋は、王子を代表する美しい景観の名所として知られている場所です。

音無橋は、晩年の渋沢栄一から支援を受けて起工し、渋沢栄一が亡くなる1931年(昭和6年)に竣工されました。また、渋沢栄一は亡くなる前に、音無橋の開通式協賛会の支援もしていたと言われているのです。

旧醸造試験所

旧醸造試験所

旧醸造試験所

王子駅から音無橋方面に向かう途中に見えてくる赤煉瓦の建造物も、渋沢栄一が関係している場所。

ここは、1904年(明治37年)5月に建てられた「旧醸造試験所第一工場」と呼ばれる施設で、当時は醸造に関する唯一の国立研究機関でした。

特徴的な赤煉瓦は、渋沢栄一が1887年(明治20年)に設立した「日本煉瓦製造株式会社」により制作された物で、渋沢栄一の故郷である埼玉県深谷市にあった上敷面工場で焼かれた煉瓦が使用されているのです。

ドイツのビール醸造施設を参考に、明治時代を代表する建築家によって建てられた旧醸造試験所は、2014年(平成26年)に国の重要文化財に指定されました。

東京都北区の渋沢史料館

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渋沢栄一の名言

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近代日本経済の礎を築き、日本の近代化のために奔走しながら91歳まで人生を全うした「渋沢栄一」(しぶさわえいいち)は、次代に向けて多くの言葉を遺しています。その言葉の多くが、日本国内の実業家や経済界だけでなく、世界中のあらゆる人々に影響を与えたのです。尊王攘夷(そんのうじょうい)の志士、幕臣、新政府官僚、実業家と、様々な視点で生きた渋沢栄一が、自身の経験から語る名言の数々をご紹介しましょう。

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渋沢栄一の本

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「近代資本主義の父」と呼ばれる「渋沢栄一」(しぶさわえいいち)が遺した言葉は、後世に大きな影響を与えました。そんな渋沢栄一の金言は、現代においても多くの本で学ぶことができるのです。大正時代から100年以上続くベストセラーである渋沢栄一の著書「論語と算盤」を中心に、渋沢栄一の経営術や思想に触れていきましょう。

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渋沢栄一がお札(紙幣)に!

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渋沢栄一賞

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「渋沢栄一」(しぶさわえいいち)は、明治時代から大正時代にかけて約500社もの企業設立に携わり、実業界を牽引するリーダーとして日本の近代化に最も貢献した人物だと言えます。現代においても「実業界の父」、あるいは「近代日本経済の父」と称えられる渋沢栄一ですが、ただ経営手腕が優れていただけではありません。渋沢栄一は、福祉や教育といった社会貢献活動や、国際交流でも自身の力を発揮し、人々のために尽くす慈善家としての顔も持っていました。私益よりも公益を大切にしていた渋沢栄一のように、社会事業に尽力した企業経営者には「渋沢栄一賞」という賞が贈られています。

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渋沢栄一記念館、東商渋沢ミュージアムの紹介

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「実業界の父」や「日本資本主義の父」とも呼ばれる「渋沢栄一」(しぶさわえいいち)。日本初の銀行設立をはじめ、様々な企業創立に携わった人物として昨今はドラマや新札で話題になることもしばしばです。出身地である埼玉県深谷市には、そんな渋沢栄一の成した偉業を称えて「渋沢栄一記念館」を開館。そして日本経済の発展を目指して渋沢栄一が設立した「東京商工会議所」(東京都千代田区)には、「東商渋沢ミュージアム」があるのです。ここでは上記の施設紹介と、渋沢栄一が日本実業界のために設立した東京商工会議所についてご紹介していきます。

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