相州伝の名工

相州伝の流派

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「相州伝」(そうしゅうでん)とは、鎌倉時代中期に相模国鎌倉(現在の神奈川県鎌倉市)で活躍した刀工や、その一派による日本刀の作刀法です。鎌倉幕府が開府された当時、鎌倉には著名な刀工がいなかったため、5代執権「北条時頼」が山城国(現在の京都府)や備前国(現在の岡山県東部)から著名な刀工を鎌倉へ招いて鍛刀させたのが始まりと言われています。相州伝の実質的な始祖「新藤五国光」(しんとうごくにみつ)、相州伝の名を最も広めた「正宗」(まさむね)、彫刻の名手として名高い「相州貞宗」(そうしゅうさだむね)など、刀剣界屈指の名匠が多いのが特徴。相州伝で活躍した刀工・流派を、その作風とともにご紹介します。

相州伝とは

相州伝」は、1281年(弘安4年)の「弘安の役」(元寇/蒙古襲来)以後に誕生しました。

当時の刀剣は重量があり、何度も刀剣を合わせると耐久力が落ちて折れると言う欠点があったのです。そのため、刀剣を作刀するにあたって鍛刀法を複雑にすることで、軽量でありながらも耐久力に優れた刀剣を作り出せるようになりました。

また、相州伝の「刃文」(はもん)の美しさも、鍛刀法が変化したことがきっかけで生まれたと言われています。

新藤五一派

新藤五一派」(しんとうごいっぱ)は、相模国で鎌倉時代後期に活躍した刀工一派です。山城国の刀工一派「粟田口派」(あわたぐちは)の「国綱」(くにつな)が、北条家に招かれ、山城国から相模国の鎌倉に移住し、子の「新藤五国光」に刀剣の鍛刀法を教えたことで興った一派と言われています。

新藤五一派を代表する新藤五国光は、相州伝の実質的な祖であり、世界的にも著名な刀工「正宗」や「藤三郎行光」(とうさぶろうゆきみつ)などの師としても有名。

系譜
新藤五一派の実質的な祖は、新藤五国光です。新藤五国光の出生については、「粟田口六兄弟」(あわたぐちろくきょうだい)の末弟である「国綱」の子、または国綱の孫の他、備前国の「備前三郎国宗」(びぜんさぶろうくにむね)の子など諸説あり、定かになっていません。

また、新藤五国光は国綱に師事し、粟田口派の影響を受け、刀剣を作刀したと言うのが通説ですが、師範にも諸説あり、備前三郎国宗に師事したとする説や、国綱と備前三郎国宗両方に師事したとする説もあります。

特徴
太刀(たち)姿は、「身幅」(みはば)の狭い「腰反り」で、粟田口派を連想させる気品溢れる姿。短刀姿は「平造り」(ひらづくり)で寸短く、小ぶりで「筍反り」(たけのこぞり:鋒/切先[きっさき]が[むね]でなく、刃の方向に反っている状態)の姿です。
代表的な刀工
「国光」、「国広」(くにひろ)、藤三郎行光など。

国光

人物
法名は「光心」。相州伝の開祖。当時、京都で人気を集めていた五箇伝のひとつ「山城伝」(やましろでん)の刀工「来国俊」(らいくにとし)とともに、「東西の双璧」と称された名工です。生没年不詳。(在銘年度:1293~1324年頃/永仁元年~元享4年頃)
作風
太刀の作は非常に稀(まれ)で、短刀を多く作刀し、名声を上げました。師である国綱、あるいは備前三郎国宗の作風だけでなく、流派に捕らわれない新たな作刀法を編み出し、相州伝の基盤を確立。後代の相州伝とは少し作風が異なりますが、その理由は粟田口派の作風が影響していたためと推測されます。

刃文は「細直刃」(ほそすぐは)を焼き、この技巧が非常に優れていたため、「直刃」(すぐは)の名人として粟田口派の「吉光」とともに名を馳せました。

地鉄」(じがね)は「小板目肌」(こいためはだ)がよく詰み、蜘蛛の巣が張ったような風合いで、青味がかって見えるのが特徴です。

帽子
「焼幅」(やきはば)が狭く、「金筋」(きんすじ)や「稲妻」(いなづま)という「働き」(はたらき:沸出来[にえでき]や出来[においでき]の中に時折現れる様々な動き)が見られます。

通称「翁の髭」(おきなのひげ)。

2字銘は「国光」。長銘は「鎌倉住人新藤五国光作」など。
作品
「会津新藤五」(国宝・名物)など。

短刀 銘 国光(名物:会津新藤五)
短刀 銘 国光(名物:会津新藤五)
国光
鑑定区分
国宝
刃長
25.5
所蔵・伝来
蒲生氏郷→
前田利常→
徳川綱吉→
ふくやま美術館
評価
古刀最上作。国宝3振。重要文化財10振。
※「国光」は同銘で複数代続いており、識別が困難なため国光銘の作刀全体で数えています。

短刀 銘 国光(新藤五)
短刀 銘 国光(新藤五)
国光
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
23.3
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

国広

人物
新藤五国光の次男。「新藤五次郎」と称し、のちに2代目国光として活躍しました。兄の「国泰」の跡を継いで国光銘を切ったと言われています。生没年不詳。(在銘年度:1329年頃/元徳頃)
作風
父・国光同様に太刀は見られず、短刀の作刀のみです。姿は国光よりもやや長寸。

刃文の焼幅が広く、直刃が見られます。地鉄の小板目肌は蜘蛛の巣状にはなりません。

帽子
小丸に返ります。
2字銘は「国廣」または「国光」。長銘は「国廣鎌倉住人」など。
作品
「短刀 銘 国廣鎌倉住人」(重要文化財)など。

短刀 銘 国廣鎌倉住人

短刀 銘 国廣鎌倉住人

時代 鑑定区分 所蔵・伝来
國廣鎌倉住人 鎌倉時代 重要文化財 東京国立博物館
評価
中古刀最上作。重要文化財2振。

※「国広」は父の「国光」を銘に用いましたが、識別が困難なため「国広」銘の作刀全体で数えています。

藤三郎行光

人物
藤三郎行光、通称「藤三郎」(とうさぶろう)は、国光から技法を学び、正宗に伝えた人物です。多くの名物を作刀したことで名高く、国光とともに鎌倉鍛冶を代表する刀工として有名。

「豊後国」(ぶんごのくに:現在の大分県)の刀工「行平」の子で、豊後国から兄「大進坊祐慶」(だいしんぼうゆうけい)とともに鎌倉に移住し、国光に師事しました。生没年不詳。

作風
現存する在銘刀は短刀に限られています。太刀はすべて「大磨上げ」(おおすりあげ:太刀を短く切り詰めた刀剣のこと)の無銘で、「」(ひ:刀身に彫られた溝のような彫刻)が掻かれた作が多いのが特徴。

短刀姿は身幅が狭く、内反り気味で、小ぶりな姿です。刃文は直刃で地鉄は小板目肌が青白く冴えます。

帽子
先に尖り返りは深いです。
2字銘は行光。長銘は「鎌倉住人行光」・「相模国住人行光」など。
作品
短刀 銘 行光」(国宝)旧加賀藩前田家伝来。「不動行光」(名物)織田信長の愛刀。

不動行光
不動行光
行光
鑑定区分
未鑑定
刃長
25.4
所蔵・伝来
織田信長 →
森蘭丸 →
小笠原忠真 →
個人蔵
評価
古刀最上作。国宝1振。重要文化財5振。

正宗

人物
「正宗」は、国内外問わず、世界的にも著名な刀工のひとり。当時から高く評価されており、正宗の作は大名達から重宝され、家宝として伝来してきました。その作は名物が多く、「越中国」(えっちゅうのくに:現在の富山県)の刀工「郷義弘」(ごうのよしひろ)や京都の刀工・粟田口吉光と並んで、世に多くの名物を生み出したことで有名です。

正宗の出生は諸説ありますが、新藤五国光の息子、もしくは門人と伝わる藤三郎行光の子として、鎌倉の地に誕生したと言うのが通説となっています。行光が属していた新藤五一派は、相州伝という新たな流派を興しましたが、開祖・国光が、もとは山城伝を学んでいたことにより、作風に山城伝の名残が見えます。

そのため、行光に学んだ正宗も相州伝と山城伝の影響を受けましたが、全国を行脚し、あらゆる流派の技巧を学びながら独自の技術を練り上げ、相州伝を完成させました。鎌倉時代末期から南北朝時代初期に活躍しています。

特徴
行光と同じく、山城伝風の名残を持っています。特筆すべき点は、地鉄の美しさと、「沸出来」(にえでき)の仕上がり具合。また、銘を切る作品が非常に少ないため、銘が切られている偽物が多く出回りました。

現存する作では、大磨上げの太刀と短刀が見られます。

作風
太刀姿は、長寸で反りが浅く、身幅は広く、「平肉」(ひらにく:鎬筋[しのぎすじ]と刃文の間にある丸みのこと)の少ない姿。刃文は沸出来に、「大乱」(おおみだれ)・「互の目乱」(ぐのめみだれ)・「湾乱」(とうらん)・「直刃丁字乱」(すぐはちょうじみだれ)・「馬の歯乱」(うまのはみだれ)などが見られます。

また、「足」、稲妻・金筋などの働きが交じるように入り、華やか。地鉄には「地景」(ちけい:焼き入れの際の物理的変化によって地鉄に現れる筋状の働き)が見られます。

短刀の姿は、身幅が広く「中間反り」の姿。太刀の刃文と同じ様子で一層極まり、地鉄も太刀と同じく地景が美しく入り、潤いのある様子です。

帽子
「沸崩れ」(にえくずれ:沸が激しく不安定)や「火焔」(かえん:炎のような形状)。
ほとんど銘を切らず、2字銘は「正宗」。
作品
日向正宗」(国宝・名物)、「観世正宗」(国宝・名物)など。

日向正宗
日向正宗
-
鑑定区分
国宝
刃長
24.7
所蔵・伝来
豊臣秀吉 →
石田三成 →
水野勝成 →
紀州徳川家

観世正宗
観世正宗
-
鑑定区分
国宝
刃長
64.4
所蔵・伝来
観世左近 →
徳川家康 →
本多忠刻 →
徳川慶喜 →
有栖川宮熾仁親王 →
東京国立博物館
評価
中古刀最上作。国宝9振。重要文化財10振。

刀 無銘 伝正宗
刀 無銘 伝正宗
無銘
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
68.2
所蔵・伝来
孝明天皇→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

相州貞宗

人物
「相州貞宗」は、「彦四郎」(ひこしろう)の通称で知られる、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した刀工。正宗の子、または養子と言われており、現存する在銘刀は皆無ですが、相州伝の代表的な刀工として有名です。
作風
刀では、身幅広く、鋒/切先の延びた作が見られます。短刀などの短い作では、身幅広く、寸延びで、反りが付くのが特徴。正宗に師事した刀工のなかでも、最も正宗の作風に近いですが、その姿は総体に穏やかです。

また、相州貞宗は刀身彫刻の名人としても有名。貞宗の作には「素剣」(すけん/そけん:不動明王の化身)や「護摩箸」(ごまばし:密教道具のひとつで、護摩を焚く際に使用される鉄製の箸)、「梵字」(ぼんじ:仏教の守護神・梵天[ぼんてん]が作った文字)、「倶利伽羅剣」(くりからけん:不動明王像が持つ剣)など、多彩な刀身彫刻が見られるのが特徴です。

帽子
掃き掛け風の焼き詰め。
現存在銘刀は皆無です。
作品
刀 無銘 貞宗」(重要文化財)。

刀 無銘 貞宗(尾張徳川家伝来)
刀 無銘 貞宗(尾張徳川家伝来)
無銘
鑑定区分
重要文化財
刃長
69.1
所蔵・伝来
尾張徳川家 →

刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
評価
国宝4振。重要文化財12振。

「貞宗」刀工・刀匠YouTube動画

貞宗

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新藤五

新藤五
「新藤五一派」(しんとうごいっぱ)は、「相模国」(さがみのくに:現在の神奈川県)で鎌倉時代後期に活躍した刀工一派です。「粟田口派」(あわたぐちは)の「国綱」(くにつな)が、「北条時宗」(ほうじょうときむね)に招かれ、「山城国」(やましろのくに:現在の京都)から相模国の鎌倉に移住し、子の「新藤五国光」(しんとうごくにみつ)に日本刀のいろはを教えたことで興った一派とされています。新藤五国光は、「相州伝」(そうしゅうでん:相模国の刀工の作風・系統)の実質的な祖であり、名工で有名な「正宗」(まさむね)・「行光」(ゆきみつ)らの師も務めました。

新藤五

正宗

正宗
「正宗」(まさむね)は、「相模国」(さがみのくに:現在の神奈川県)で鎌倉時代末期から南北朝時代初期に活躍した刀工です。名刀を鍛える刀工として世間一般にも広く周知されており、日本刀の歴史の中でも、最も有名な刀工のひとりと言えます。当時からその腕前は高く評価されており、その作刀は大名たちに大金で購入され、家宝とされてきました。「名物」(めいぶつ:古来有名で、異名を持つ刀剣類)がたいへん多く、「越中国」(えっちゅうのくに:現在の富山県)の刀工「郷義弘」(ごうのよしひろ)や京都の刀工「粟田口吉光」(あわたぐちよしみつ)と並んで、世に多くの名物を生み出したのです。

正宗

貞宗三哲

貞宗三哲
「正宗」(まさむね)の弟子のひとり「貞宗」(さだむね)もまた、日本刀史上に多大な影響を与えた人物として知られています。相州伝を目指した後代の刀匠たちは、貞宗を模した「貞宗写し」に取り組みました。この貞宗の下にも技術力の高い3人の弟子がおり、それが「貞宗三哲」(さだむねさんてつ)です。 貞宗の日本刀とは?そして、3人の弟子たちの作品はどのような物なのでしょうか?

貞宗三哲

正宗十哲

正宗十哲
「正宗十哲」(まさむねじってつ)とは、刀匠「正宗」(まさむね)の高弟と呼ばれた10名の刀工のこと。正宗とは、「相州伝」(そうしゅうでん)を完成させた、鎌倉時代末期の名工です。正宗は完成した相州伝の技術を惜しみなく弟子達に伝え、その教えを学んだ弟子達が全国で活躍した結果、相州伝は南北朝時代に一世を風靡しました。偉大な教育者・正宗と正宗十哲について、詳しくご紹介します。

正宗十哲