リアル鬼滅の刃

鬼切伝説に登場する鬼とは

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日本に古くから伝わる軍記物や御伽草子には、鬼切伝説がよく登場します。現代では「鬼」を題材にした子供向け絵本なども数多く出版され、最近では漫画「鬼滅の刃」が好評となり子供から大人まで楽しめる作品として大ヒット。2020年(令和2年)には、映画館で劇場版「鬼滅の刃 無限列車編」が上映され、映画館に足を運んだファンは公開45日で2,000万人を超えたことでも話題になりました。
鬼滅の刃でも登場する「鬼」は熟語やことわざでもよく使われており、それだけ日本人にとって鬼とは馴染みの深い存在なのです。そこで、鬼切伝説などに登場する鬼とはいったい何者なのか、そんな鬼について解説していきます。

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「鬼」の語源

鬼

「鬼」(キ)とは中国から伝来した言葉で、もともとは「死者の魂」、「死霊」という意味を持つ漢字です。日本もこの影響を受けて、当初は姿の見えない物として伝わり「隠」が転じて「オン」または「オヌ」となり、「オニ」と読まれるようになったとされています。

当初は姿の見えない物として伝わりましたが、次第に死への恐怖や恐れから「鬼は怖い」、「人に危害を加える」という印象が根付いていきました。

人々が想像する鬼の姿形は、仏教を由来とし「餓鬼道」にいる「餓鬼」や「地獄の獄卒」とされる説も。また鬼滅の刃に出てくる「鬼」も人の形をしたものから恐ろしい姿をしている鬼もいます。映画館のスクリーンに映し出された、鬼との凄まじい戦いぶりに、目が離せなかったファンも少なくはありません。

鬼が生まれた時代背景

鬼滅の刃では、原作コミックスやアニメ、そして「無限列車編」(全国の映画館で公開)に登場する鬼は、1000年以上も前に生まれた鬼の始祖「鬼舞辻無惨」(きぶつじむざん)を中心に暗躍します。

この鬼舞辻無惨をはじめ、現代に残る鬼切にまつわる伝説の多くが、実は平安時代の出来事に由来しているのです。

現代人にとっての鬼は、すでに架空の化け物だと理解されていますが、昔の人々にとって鬼とはどういう存在だったのでしょうか。鬼が生まれた時代背景について解説していきます。

大和朝廷に反発する者達

坂上田村麻呂

坂上田村麻呂

大和民族が畿内(現在の京都府大阪府奈良県など)を治めるようになった時代、まだ地方には朝廷に従わない先住民族が大勢いました。

未開の地でもあった東北の「蝦夷」(えみし)、九州の「熊襲」(くまそ)や「隼人」(はやと)などと戦った記録が「日本書紀」や「風土記」(地方の歴史を記した地誌)などにも記されています。

そうした者達を大和朝廷は「異民族」や鬼として征伐するために幾度も戦を仕掛けました。

平安時代初期の「桓武天皇」(かんむてんのう)の時代に、朝廷で武官として活躍した「坂上田村麿呂」(さかのうえのたむらまろ)は、30代で近衛少将の位に昇進。さらに蝦夷との戦の指揮官として797年(延暦16年)に「蝦夷を討伐するための将軍」である「征夷大将軍」(せいいたいしょうぐん)に任命されました。

そして就任から5年後の802年(延暦21年)に、ついに蝦夷の族長「阿弖流爲」(アテルイ)と「母禮」(モレ)を降伏させます。

坂上田村麿は平安京へと連れて行き、「蝦夷は話の通じる同じ人間だ」として桓武天皇や朝廷の官吏達に恩赦(刑罰の軽減や消滅など)を主調。けれどその甲斐もなく、朝廷は蝦夷の族長2人を異民族の鬼として処刑してしまいました。このように未開の地に住み、国家に従わない者達を総じて鬼と呼び、追い詰めて支配していったのです。

1997年(平成9年)映画館で初公開された「もののけ姫」にもこうした異民族がいたことを表している描写があります。主人公「アシタカ」は蝦夷の末裔でその隠れ里の住人です。作品の監督「宮崎駿」氏もアシタカの一族のことを、大和政権に追われ本州北部の山中に隠れ住んだ原日本人の残党で、アテルイの末裔として描いたと言っています。

貧困による盗賊や山賊の出没

平安京に住む人々のなかにも鬼は存在しました。当時の国家のあり方は、現在のように民衆のための政治ではなく、京都に住む貴族達が贅沢に暮らすための制度ばかりで、民は税を納めるものの、あまり生活に還元されることはありませんでした。

商売が上手くいかない、田畑の実りがよくない、こうしたことが続けば、民達は住んでいた土地を捨てて「京の都ならば仕事も食べる物もあるはずだ」と考え全国から人々が集まります。

しかしそうした人々にできるのは、物乞いや窃盗などが関の山。なかには、徒党を組み拠点を作り、盗賊や山賊へと身を落とす者も現れます。そうした者達が京都で盗みや殺人などを犯していったのです。

京都の貴族達からすれば、あまりに野蛮で同じ人間の行いに見えなかったことから、盗賊や山賊を鬼だと恐れ、討伐の対象へとなっていきます。

この集団の主導者だったのが丹波国(現在の京都府中部・兵庫県北東部)の「大江山」に住み着いた「酒吞童子」(しゅてんどうじ)と言われる鬼。酒吞童子は、源氏の一族「源頼光」(みなもとのよりみつ/みなもとのらいこう)と、その仲間達に退治されたと伝承が残る人物です。

なお酒呑童子を題材とした「大江山酒呑童子」が1960年(昭和35年)映画館で上映され、鬼退治の物語として一世を風靡しました。

化け物を斬った刀剣

名刀と呼ばれる日本刀には「稲荷神と打った刀」や「病気を治した刀」、「勝利をもたらしてくれる刀」など色々な逸話があります。

なかには、恐ろしい鬼や妖怪を斬ったと言われる日本刀も数知れず。また、「鬼滅の刃」では「竈門炭治郎」(かまどたんじろう)が使用する黒色の「日輪刀」(にちりんとう)をはじめ、映画館上映の「無限列車編」では「煉獄杏寿郎」(れんごくきょうじゅろう)が愛用した赤色の日輪刀などが登場しました。

そんな鬼や妖怪を斬ったとされる日本刀をご紹介します。

鬼の腕を切り落とした太刀「鬼切安綱」

鬼切安綱」(おにきやすつな)は、鬼の腕を切り落とした伝説の残る日本刀です。鬼を斬ったとされることから「平家物語」や「吾妻鏡」など軍記物や史書に登場する鬼切安綱。こうしたことから、伝承の数と同じくらい呼び名が変わる回数の多い日本刀でもあります。

鬼切安綱は、平安時代中期に「源満仲」(みなもとのみつなか)が伯耆国(現在の鳥取県中西部)の刀工「安綱」(やすつな)に打たせた刀剣だとされています。試し切りで罪人の髭まで斬れたことから当初は「髭切」(ひげきり)と命名。

源満仲から長男・源頼光に譲られ、源頼光は配下の「渡辺綱」(わたなべのつな)に貸し与えます。のちに渡辺綱は、京都の「一条戻り橋」で会った鬼と戦闘になり、その鬼の腕を切り落としたことから髭切は「鬼切」と呼ばれるようになりました。

その後も源氏の棟梁が持つ刀として代々受け継がれていき、源氏が滅亡したあとは北条家足利家など名だたる名家のもとを渡り歩いていきます。正式名称は「太刀 銘 安綱」ではありますが、鬼切安綱や鬼切丸、現在の所蔵先「北野天満宮」(京都市上京区)では髭切とも呼ばれています。

なお、北野天満宮は「鬼を切る刀」が奉納されていることで鬼滅の刃ファンの間でも話題に。原作を読んだあとや映画館を訪れた方は、一度足を運んでみることもおすすめです。

鬼切安綱
伯耆国大原の刀工「安綱」の太刀である鬼切安綱(髭切)をご紹介します。

鬼滅の刃(日輪刀)と日本刀 YouTube動画

鬼滅の刃(日輪刀)と日本刀

妖怪を斬った「祢々切丸」

祢々切丸

祢々切丸

鬼滅の刃ファンの聖地として知られる「あしかがフラワーパーク」(栃木県足利市)は、一部の映画館で放映された「兄妹の絆」やアニメ一話に登場する藤棚に似ていると注目を浴びました。

その他にも栃木県には様々な聖地や伝説があります。そのひとつが「二荒山神社」(栃木県日光市)の護神刀であり、妖怪退治の伝説を持つ刀、それが「祢々切丸」(ねねきりまる)です。作者は平安時代中期の刀工「三条小鍛冶宗近」(さんじょうこかじむねちか)だと言われますが、無銘であることから作者の特定には至っていません。

この祢々切丸の凄さとは、妖怪退治伝説だけではなく、約216.7㎝の刀身と重量24kgにもなる長大な全長から「日本一の大太刀」と言われることです。そんな祢々切丸は、同神社にて「瀬登太刀」と「柏太刀」と並んで古来より民からの崇敬を集めていました。

その昔、日光山中には「祢々」(ねね)と呼ばれる妖怪がいたとされ、それが人々を驚かせていたのです。あるとき、二荒山神社に安置されていた祢々切丸がひとりでに鞘から抜け出すと、妖怪・祢々を斬り伏せて退治してしまいます。そこから祢々切丸と号が付けられました。

この祢々の正体については、日光の「鳴虫山」の虫が化けた物の怪であると伝わります。または、日光周辺では河童のことを祢々と呼ぶ地域もあることから、正体は河童ではないかと言われたこともあったようです。それにちなんで「祢々子河童」という河童にまつわる説話なども残されています。

幽霊を斬った「にっかり青江」

日本刀に付けられる名称は、一度聞いただけではどんな意味や特徴を持つのか分からない名前も多いことでしょう。鬼滅の刃に出てくる日輪刀もまた特徴のある刀。「色変わりの刀」と呼ばれ、竈門炭治郎は黒、「我妻善逸」(あがつまぜんいつ)は黄色、映画館公開の「無限列車編」で活躍を見せた煉獄杏寿郎の刀は赤色であり、持ち主によって色や形状が異なります。

おそらくにっかり青江も、そのうちの1振ではないでしょうか。作られたのは南北朝時代のことで、作刀したのは備中国(現在の岡山県西部)の刀工集団・青江派の刀工「貞次」(さだつぐ)です。

にっかり青江の号の由来は「にっかり笑った幽霊を斬り払ったから」だと伝わります。にっかり青江が幽霊を斬ったとする逸話は、戦国時代の武将「浅野長政」の家臣が夜道を歩いていたときのことです。その家臣が、道の片隅で不気味に笑う女性を発見。夜の遅い時間に女性がひとりでいるわけがないと考えた家臣は、物の怪の類に違いないとしてその女性の首を刀で刎ねました。翌朝、その場所には女性の遺体はなく地蔵の首が転がっていたと言います。このときに使われた刀が、にっかり青江だったのです。

その後、にっかり青江は「柴田勝家」(しばたかついえ)や「丹羽長秀」(にわながひで)のもとを渡りながら、「豊臣秀吉」へと献上されました。豊臣秀吉は、お気に入りの名刀をしまう「一之箱」に「につかり刀」と書名して秘蔵したと言いますから、当時から名称と由来が定着していたことが分かります。

その後「京極高次」(きょうごくたかつぐ)に下賜され、江戸時代には「無代」(値が付けられない名品)と鑑定、さらに名刀帳「享保名物帳」(きょうほうめいぶつちょう)にもにっかり青江は「名物」として記載。現在は、重要美術品に指定され「丸亀市立資料館」(香川県丸亀市)が所蔵しています。

にっかり青江

にっかり青江

にっかり青江
鎌倉時代、備中国青江派作の大脇差である、にっかり青江についてご紹介します。

鬼切伝説に登場する鬼とは

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北条時政を鬼から守った天下五剣「鬼丸国綱」

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「鬼丸国綱」(おにまるくにつな)は、天下五剣の中で1振だけ「皇室御物」(皇室の所有品)となっている日本刀です。天下五剣は数ある日本刀の中でも最高傑作とされる5振のことで、その他には「三日月宗近」(みかづきむねちか)・「童子切安綱」(どうじぎりやすつな)・「大典太光世」(おおでんたみつよ)・「数珠丸恒次」(じゅずまるつねつぐ)が総称。なかでも「鬼丸」と号が付けられた「鬼丸国綱」には、持ち主である「北条時政」(ほうじょうときまさ)を鬼から守った逸話を持ちます。映画館で上映された「鬼滅の刃 無限列車編」のなかでも鬼を倒す唯一の武器として「日輪刀」(にちりんとう)が登場。特に映画館の大スクリーンでは、「煉獄杏寿郎」(れんごくきょうじゅろう)の赤い日輪刀を見ることができます。まさに鬼丸国綱も主を鬼から守り、その鬼を退治する日本刀です。鬼丸国綱の逸話と伝来、そして持ち主である北条時政についてご紹介します。

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鬼の腕を斬り落とした名刀「鬼切安綱」

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「鬼切安綱」(おにきりやすつな:別名[髭切]、[鬼切丸])は、源氏の重宝として伝わる名刀です。源氏の歴史を華麗に彩る数々の伝承を重ね、名刀ゆえに多くの武将達が手中に納めました。映画館公開の劇場版「鬼滅の刃 無限列車編」には「人を喰う鬼」が登場しますが、鬼切伝説の古典とも言えるのが、平安時代の武士「渡辺綱」(わたなべのつな)が鬼の腕を斬り落としたという逸話です。またこのとき鬼の腕を切り落とした逸話を持つ鬼切安綱は、鬼滅の刃や「鬼滅の刃 無限列車編」(全国の映画館にて公開)で登場する「日輪刀」(にちりんとう)と似ているとして、さらに話題に。鬼切安綱の伝承と、渡辺綱についてご紹介します。

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酒呑童子を退治した天下五剣「童子切安綱」

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