五箇伝

日本刀の流派の特徴

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日本刀は、1,000年以上昔の平安時代頃から作られはじめたとされる、伝統ある芸術品です。観賞用として重宝されましたが、その一方で実用品としての価値も重要視されました。現在の京都府や奈良県、岡山県周辺は、古来より製鉄産業がさかんであり、著名な刀工が多数輩出されました。そして、これらの刀工は各地に作刀伝法を広めていきます。ここでは、作刀伝法の流派についてご紹介していきましょう。

五箇伝の流派

作刀伝法には「大和伝」(やまとでん)をはじめ、「山城伝」(やましろでん)や「備前伝」(びぜんでん)、「相州伝」(そうしゅうでん)、「美濃伝」(みのでん)があります。

この5つは「五箇伝」(ごかでん)と称され、後世の刀工達は、五箇伝の鍛法を基本とし作刀をしていました。ここでは五箇伝の主な流派についてご紹介します。

五箇伝の流派

五箇伝の流派

大和伝

千手院派

大和五派(やまとごは:[千手院派]、[尻懸派]、[手掻派]、[当麻派]、[保昌派]のこと)の中で最も古いとされるのが千手院派(せんじゅいんは)という刀派。平安時代末期、奈良県千手谷付近の僧院に庇護されていた鍛冶集団のことを指しています。

開祖は、「行信」と「重弘」の二派とする説が有力ですが、2人の作品は現存していません。千手院派の著名な刀工に「重行」や「重吉」といった名工が属していました。大和五派でありながら他の四派とは違い、焼き刃が複雑に乱れた出来口が特徴とされています。

太刀  無銘  千手院
太刀 無銘 千手院
無銘
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
72.5
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

尻懸派

尻懸派(しっかけは)は、鎌倉時代後期から大和国に栄えた刀派「大和五派」のひとつ。開祖は「則弘」(のりひろ)とされていますが、実質的な祖は則弘の長男である「則長」(のりなが)とするのが通説です。

作風は、刃文が大和物一般に共通する直刃基調。刃中に小互の目を連れて焼いています。尻懸派最大の特徴である地鉄は「尻懸肌」(しっかけはだ)と呼ばれ、小板目肌柾目肌に流れるような状態です。

脇差 銘 大和尻懸住(則長)
脇差 銘 大和尻懸住(則長)
大和尻懸住
(則長)
鑑定区分
重要刀剣
刃長
50.2
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

手掻派

手掻派(てがいは)は、大和国「東大寺」(奈良県奈良市)に属していた鍛冶集団。開祖は、「手掻包永」(てがいかねなが)と言い、鎌倉時代後期から南北朝時代、さらに室町時代に渡り繁栄しました。

手掻派は、大和五派の中でも最も規模が大きな流派とされ、その作風は、大和伝の中で最も刃文のが深く地肌が冴えています。

太刀 銘 包永(金象嵌)本多平八郎忠為所持之
太刀 銘 包永(金象嵌)本多平八郎忠為所持之
包永(金象嵌)
本多平八郎忠為
所持之
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
71.8
所蔵・伝来
本多忠刻→
千姫→徳川家光→
徳川綱吉→
松平忠周→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

当麻派

当麻派(たいまは)は、大和五派のひとつ。開祖は、鎌倉時代後期に活躍した「国行」です。当麻派は、鎌倉時代後期から南北朝時代期にかけて栄えたと伝わります。

当麻派の刀工として知られているのは、「有俊」や「友清」、「友行」らです。当麻派が作刀した在銘作は極めて少なく、多くは無銘の極めの物です。

作風は、大和伝特有の渋みを持ち合わせながら、当麻肌と呼ばれる杢目に地景が盛んに入り、刃文は沸強く金筋が織り成して入るところに相州伝の気質が見えます。

短刀 無銘 名物上部当麻(當麻)
短刀 無銘 名物上部当麻(當麻)
無銘
鑑定区分
重要美術品
刃長
25.3
所蔵・伝来
桑山元晴→
徳川将軍家伝来→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

保昌派

保昌派(ほうしょうは)は、大和五派のひとつで大和伝を代表する刀派。鎌倉時代後期に活躍した一派で、刀工には開祖の「国光」をはじめ「貞宗」や「貞吉」、「貞清」、「貞興」などが属していました。

作風は、柾目鍛え、直刃に喰違刃(くいちがいば)や二重刃帽子は焼詰めなどといった特色。大和物らしさの特徴として、重ねが厚く、しっかりとした姿で、特に平肉の付く物が多く見られます。さらに、(なかご)に「一文字」の銘を刻むのも保昌派の特徴です。

龍門派

「龍門派」(りゅうもんは)は、大和五派・千手院派の流れを汲む刀派とされています。この龍門派の代表的な刀工は「延吉」(のぶよし)です。

延吉は、鎌倉時代後期に、大和国吉野村龍門(現在の奈良県吉野郡)に住み作刀したと伝わっています。作風は、備前伝風の乱れ刃と、大和伝風の直刃による2通りの作風が特徴です。

大和志津派

「大和志津派」(やまとしづは)とは、志津派の開祖・志津三郎兼氏が、美濃国志津村に住む以前、大和国に居住していた頃の作の総称。しかし、美濃国に移住したあとも、大和国で包氏を名乗った者が存在しており、これを含めて「大和志津」と呼んでいます。

作風は、刃文の浅い湾れを基調に連れた互の目が目立ち、刃中には砂流しや金筋が入るところなど大和伝に相州伝が加味されたところが特徴です。

刀 無銘 大和志津
刀 無銘 大和志津
無銘
鑑定区分
重要刀剣
刃長
70.2
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

山城伝

三条派

「三条派」(さんじょうは)は、平安時代後期にはじまった山城伝の流れを汲む刀派。開祖は「三条宗近」(さんじょうむねちか)と言い、三条派は日本で最も古い流派です。

その他の代表格には、「吉家」と「近村」が属しています。三条の作品は、優美な太刀姿が持ち味。小板目の良くつんだきれいな地肌に映り立っています。古雅で古京物らしい作風です。

五条派

「五条派」(ごじょうは)は、平安時代後期に活躍した三条派の「兼永」(かねなが)が、京都の五条に移り住みはじまったとされる刀派。

刀派に属する刀工には兼永や「国永」、「兼次」、「兼安」の名前が挙がりますが、史料が乏しいため、兼永と国永以外は定かではありません。この五条派の作風は、三条派の開祖である「宗近」の作風を思わせる古雅で優美な太刀姿です。

刃文は、主に乱れ刃で、小丁子を交えています。小足(こあし)が入り、刃中には細かに金筋や砂流しが見られ、加えて二重刃や三重刃も交えているところが特徴です。

粟田口派

「粟田口派」(あわたぐちは)は、山城伝を代表する刀派のひとつ。鎌倉時代初期から末期にかけて著名な刀工を輩出しています。粟田口派の開祖は、「粟田口国家」(あわたぐちくにいえ)とされていますが、粟田口国家の在銘として確実な日本刀が残されていないのが現状です。

また、国家を祖とする以外に、国家の子「国友」や「久国」、「国安」、「国清」、「有国」、「国綱」ら6兄弟を刀派の祖とする説もあります。作風は、姿や刃文に優美さを漂わせるところが特徴。

地鉄の美しさは格別で、品良くつんだ「梨子地肌」(なしじはだ)と呼ばれる、精緻に品良く詰み地沸が厚く付いた小板目肌が代表的です。粟田口派は、「後鳥羽上皇」から「御番鍛冶」(ごばんかじ)として選ばれた刀派でもあり、美術的に優れた名刀が残っています。

刀  無銘  粟田口(伝国吉)
刀 無銘 粟田口(伝国吉)
無銘
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
65.5
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

綾小路派

「綾小路派」(あやのこうじは)は、鎌倉時代中期に活躍した山城伝の刀派。鎌倉時代中期に活躍した「綾小路定利」(あやのこうじさだとし)を祖としています。

刀工には、「国信」や「定業」、「定次」、「定家」、「定安」がいたとされますが、綾小路定利、「定吉」、「末行」以外の日本刀は現存しません。

作風は「粟田口派」の刀工国安を思わせるような古雅的な造り。山城伝らしさの中に、刃中には少しうるみを見せ、刃肌が現れています。

長谷部派

「長谷部派」(はせべは)は、南北朝時代の山城伝を代表する刀派のひとつ。代表的な刀工には「国重」や「国信」、「国平」、「宗信」、「重信」がいます。

作風は、皆焼(ひたつら:刀部ではなく、平地鎬地に焼入れをすること)を最も得意としつつ、刀身に互の目を主調とした刃文もあります。地鉄は刃寄と棟寄には柾がみられ、帽子は大丸になるところが特徴です。

備前伝

古備前派

「古備前派」(こびぜんは)とは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、備前国で栄えていた刀派。刃文は、直刃調に見えますが、湾れ刃に沸が付き小乱の刀が多くあります。

地肌は、板目肌に地沸が現れ、沸映りが立つ物が典型的な作風。代表的な刀工は、「友成」や「正恒」、「包平」、「吉包」、「助包」、「景安」、「信房」です。

太刀 銘 基近造
太刀 銘 基近造
基近造
鑑定区分
重要美術品
刃長
72
所蔵・伝来
足利義輝→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

一文字派

「一文字派」(いちもんじは)は、鎌倉時代初期から南北朝期にかけて栄えた備前伝に類する刀派とされています。茎に「一」の字が刻まれ、作風は非常に華やか。

一大流派がゆえに、刀工の居住地や作風によって違いがあり、「福岡一文字」(ふくおかいちもんじ)、「吉岡一文字」(よしおかいちもんじ)、「片山一文字」(かたやまいちもんじ)などに分けられます。

一文字派からは、鎌倉時代最高の栄誉とされていた後鳥羽上皇の御番鍛冶(ごばんかじ)に7人も選ばれるなど、非常に優れた刀工達が揃っていました。

刀 無銘 一文字
刀 無銘 一文字
無銘
鑑定区分
重要刀剣
刃長
70.9
所蔵・伝来
蜂須賀家→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

福岡一文字派

備前伝「福岡一文字派」は、鎌倉時代中期の備前国長船福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)で活躍した刀派です。古一文字派「則宗」が開祖で、「吉房」や「則房」、「助真」など著名な刀工を多数輩出しています。

初期の福岡一文字派作品は、丁子よりも小乱が目立っている古備前風。中期になると、華麗な丁子乱れの刃文と、鮮やかな乱れ映りがある作品が見られるようになります。そして、鎌倉時代中期以降は、刃文に大丁子や重花丁子を焼いた華やかな作品が多いです。

太刀 銘 宗吉作
太刀 銘 宗吉作
宗吉作
鑑定区分
重要美術品
刃長
76.1
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

吉岡一文字派

一文字派の中で、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて活躍した刀工を「吉岡一文字派」(よしおかいちもんじは)と呼びます。

吉岡一文字派の刀工は「助光」や「助吉」、「助義」などが有名。刃文は、福岡一文字のような大模様な日本刀は少なく、丁子刃に互の目や尖り刃が交じるのが特徴で、丁子乱れの匂い足は逆がかる物もあり、地鉄は小板目が詰み乱れ映りが立ちます。

刀 無銘 吉岡一文字
刀 無銘 吉岡一文字
無銘
鑑定区分
重要文化財
刃長
69.1
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
刀  無銘  伝吉岡一文字
刀 無銘 伝吉岡一文字
無銘
鑑定区分
重要美術品
刃長
70.3
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
太刀 銘 一(吉岡一文字)
太刀 銘 一(吉岡一文字)
一(吉岡一文字)
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
67.3
所蔵・伝来
豊臣秀長 →
毛利家 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

片山一文字派

「片山一文字派」は、鎌倉時代中期に福岡一文字派(ふくおかいちもんじは)吉房の子である「則房」が開祖です。

則房が、現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡から片山に移り住んだことではじまったとされています。「鎌倉一文字派」の助真もこの刀派の出身です。作風は、地鉄が明るく冴え鉄味が強いとこが特徴。刃文の乱れが逆ごころを帯び、匂口(においぐち)が冴えています。

小太刀  銘  則房
小太刀 銘 則房
則房
鑑定区分
重要美術品
刃長
57.6
所蔵・伝来
本多家11代宗家・本多忠粛→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

岩戸一文字派

「岩戸一文字派」(いわといちもんじは)は、「正中一文字派」(しょうちゅういちもんじは)とも呼ばれ、鎌倉時代末期に、備前国和気郡岩戸庄(現在の岡山県和気郡佐伯町大字岩戸)で作刀していた一文字派の刀派。

「吉氏」が開祖とされ、著名な刀工には吉家や「宗氏」、「吉信」などがいます。作風は吉岡一文字に近似しており、刃文が丁子に互の目交じり、やや小模様。現存する岩戸一文字派の日本刀は、比較的少ないです。

長船派

「長船派」(おさふねは)は、古備前派が隆盛した時代から長船の地で鍛冶を行う一派でした。鎌倉時代初期に一文字派の活躍により一時は影をひそめましたが、再び一派を盛り立てたのが長船派中興の祖の呼ばれる「光忠」です。

そのあとに「長光」、「真長」、「景光」、「兼光」などが長船派を統率、彼らが「備前長船と言えば名刀」といった代名詞を作り上げました。作風は鎌倉時代当時の質実剛健の気風に合わせた、身幅が広く、重ね厚く、猪首切先となった堂々とした太刀姿を取り入れます。

匂本位の直刃や大丁子乱れの刃文、そして白く輝くような美しい映りなど、変化に富んだ華やかな乱刃が特徴です。

太刀 銘 備州長船住景光
太刀 銘 備州長船住景光
備州長船住景光
正和五年十月日
鑑定区分
重要文化財
刃長
75.8
所蔵・伝来
徳川家康 →
徳川家 →
徳川家達 →
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

大宮派

「大宮派」(おおみやは)は、鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけて繁栄したとされる刀派。諸説がありますが、開祖の「国盛」が山城国猪熊通大宮(現在の京都市南区)より備前国(現在の岡山県)に移住したことによりはじまったと伝わっています。

代表的な刀工は「延秀」や「助盛」、「盛重」、「盛利」、「盛景」、「師景」。刃文は、丁子を主調に互の目で、蛙子風の刃など、様々な形の刃を交え、野趣に富んでいるところが特徴です。

太刀 銘 延秀(山城)
太刀 銘 延秀(山城)
延秀(山城)
鑑定区分
重要刀剣
刃長
69.05
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

古吉井派

「吉井派」(よしいは)は、備前国の刀工「吉井為則」(よしいためのり)が開祖とされています。鎌倉時代に活躍した刀派ですが、鎌倉時代の作品が少ないことから、吉井派の中で鎌倉時代から南北朝時代の刀工や作品は「古吉井派」(こよしいは)と呼ぶのが通例。

有名な刀工は「景則」や「則綱」、「盛則」、「真則」などです。作風は、小互の目が規則正しく連なる刃文や、刃文の形をそのまま地に現わしたような映りを特徴としています。

小反派

「小反派」(こぞりは)は、南北朝時代後期に備前国で活躍した刀工刀派。備前伝に類される「兼光派」や「長義派」などといった有名な流派に属さない、刀工達のことです。

代表的な刀工は「成家」や「秀光」、「家守」、「恒弘」などがいます。地鉄は、板目肌に杢目肌が混じる模様が見られるところが特徴です。

相州伝

新藤五一派

「新藤五一派」(しんとうごいっぱ)は、相模国(現在の神奈川県)で鎌倉時代後期に活躍した刀工一派です。

「粟田口国綱」(あわたぐちくにつな)が、鎌倉幕府・執権「北条時宗」(ほうじょうときむね)に招かれ、山城国(現在の京都府)から相模国の鎌倉に移住し、その後、子の「新藤五国光」(しんとうごくにみつ)が興した一派とされています。新藤五国光は、実質的な相州伝の祖であり、その他の著名な刀工は「正宗」、「行光」です。

短刀 銘 国光(新藤五)
短刀 銘 国光(新藤五)
国光
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
23.3
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

美濃伝

志津派

「志津派」(しづは)は、日本刀史上で最も著名な刀工・正宗の門徒「兼氏」(かねうじ)が興した刀派。美濃国志津村(現在の岐阜県海津市)に移りはじまったと伝わります。

もとは大和国で「包氏」(かねうじ)の名で作刀していましたが、のちに「志津三郎兼氏」(しづさぶろうかねうじ)と改名。さらに美濃国で美濃伝を学んだのちは、相州に移住したため、作風は、相州正宗に近いとも言われています。志津派は、相州正宗を感じさせながら、若干、焼低く尖り刃が交じるところが特徴です。

刀 無銘 伝志津(黒田志津)
刀 無銘 伝志津(黒田志津)
無銘
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
68.6
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

直江志津派

南北朝時代に栄えた「直江志津派」(なおえしづは)は、志津派の祖・志津三郎兼氏の門人による刀派。直江系一派は、美濃国志津村(現在の岐阜県海津市)から直江村(現在の岐阜県養老郡直江)に移住し直江志津と呼ばれ、さらに繁栄しました。

代表的な刀工は兼氏、「兼友」などです。作風は、刃文に互の目を主体として良く沸付き、刃中には砂流しや金筋が現れる点に、直江志津派らしさが見えます。その他、特徴的なのは沸が一層強く尖り刃の交じる点です。

短刀 銘 兼次
短刀 銘 兼次
兼次
鑑定区分
重要美術品
刃長
22.2
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

東北地方の流派

陸奥国

舞草派

「舞草派」(もくさは)のはじまりは、平安期時代からとされています。奥州東盤井郡舞草一関(現在の岩手県一関市)周辺に居住した刀工で、一関で作刀を続けた最も古い鍛冶集団のひとつです。

舞草派で代表される日本刀は、「奥州刀」(おうしゅうとう)とも呼ばれ、京都では衛府(えふ:警護)の者が持つ日本刀として活躍。その他、説話集や物語にもたびたび舞草派の日本刀が登場します。

関東地方の流派

武蔵国

江戸法城寺派

「江戸法城寺派」は、南北朝時代から室町時代に活躍した但馬国(現在の兵庫県)「法成寺国光」(ほうじょうじくにみつ)を祖としています。この江戸法城寺派は、法成寺国光の末裔である「法成寺正弘」(ほうじょうじまさひろ)が江戸時代に興した流派です。

一派に在籍した刀工は「貞国」や「国正」などがいます。江戸法城寺派は、「虎徹」に似ているとされ、江戸法城寺派独特の沸出来で、湾れ刃基調の刃を焼いた作風に加え、虎徹を彷彿させる、地沸付き刃縁の金筋が冴えているなどの作りが多いです。

刀 銘 近江守法城寺橘正弘
刀 銘 近江守法城寺橘正弘
近江守法城寺橘正弘
鑑定区分
特別保存刀剣
刃長
75.5
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
江戸石堂一派

「江戸石堂一派」(えどいしどういっぱ)は、近江国(現在の滋賀県)に住んだ「近江石堂派」の「助長」を祖としていると言われています。江戸時代になる頃に、江戸・京都・紀州・大阪・福岡などに刀工達が分散して行き、その地で作刀をするようになりました。

この江戸石堂一派は、「石堂是一」(いしどうこれかず)が江戸に移り住んで興した流派です。江戸石堂一派は石堂派のなかでも、多くの門弟を抱え、明治時代まで続くほど代々繁栄する一派となりました。

刀 銘 (菊紋)出羽守法橋源光平
刀 銘 (菊紋)出羽守法橋源光平
出羽守法橋源光平
鑑定区分
特別保存刀剣
刃長
71.4
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

北陸地方の流派

越後国

桃川派
「桃川派」(ももかわは)は、鎌倉時代から室町時代にかけて活躍した近江国出身「甘呂俊長」(かんろとしなが)の門下「俊吉」による刀派。俊吉が、越後国神林村桃川(現在の新潟県村上市桃川)へ移り、鍛刀したことからはじまりました。作風は、地肌に柾目肌があり、大和伝の気質が見られます。

越中国

古宇多派
鎌倉時代後期から室町時代末期に亘って栄えた刀派を「宇多派」(うだは)と言いますが、その中でも特に、鎌倉時代末期から南北朝時代の作品が「古宇多派」(こうだは)による物です。古宇多派は、大和国(現在の奈良県)出身であることから大和伝の気質と、相州伝を「越中則重」に学んだことから相州伝の気質とを持ち合わせている作風が特徴。地肌は相州伝に多い、板目肌に杢目を交えています。

越前国

千代鶴派

越前国(現在の福井県)「千代鶴派」(ちよづるは)は、「来国安」の門人「千代鶴国安」(ちよづるくにやす)を祖としていると伝えられる刀派です。南北朝時代から室町時代初期まで栄え、千代鶴国安の他には、刀工の「守弘」(もりひろ)が有名。

現存する作品は非常に少なく、千代鶴国安と守弘の作のみです。作風は、精美な鍛えに、沸が地刃に付き、大互の目調に砂流しが現れています。

関西地方の流派

摂津国

中島来派

「中島来派」(なかじまらいは)、鎌倉時代後期から南北朝時代に活躍した「来国長」(らいくになが)は来国俊の門人。

中島来は、京都から摂津国中島(現在の大阪市東淀川区)に移住したことから「中島来」(なかじまらい)と呼ばれています。来国長は、在銘品は少なめで大半が大磨上(おおすりあげ:長大だった物を短くした日本刀)無銘。

作風は、来派の伝統を継承しており主に小沸出来の直刃(こにえできのすぐは)です。

刀 無銘 中島来
刀 無銘 中島来
無銘
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
71.4
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

近江国

中堂来派

「中堂来派」(ちゅうどうらいは)は、鎌倉時代中期に活躍した山城国・来派の刀工「光包」(みつかね)が開祖。「延暦寺」(滋賀県大津市)の総本堂「根本中堂」(こんぽんちゅうどう)で鍛刀していたため「中堂来光包」とも呼ばれます。

光包は、来国俊の門人でありながら一時、備前国「長船長光」(おさふねながみつ)にも師事したと伝わる異色の刀工。光包作「名物 乱光包」(めいぶつ みだれみつかね)には、長船物の作風が出ており、備前派に師事したことを肯定できる様が現れています。

高木派

「高木派」(たかぎは)とは、近江国で作刀した「高木貞宗」(たかぎさだむね)と、その一門の総称です。相州正宗から続く系統であることから、「相州貞宗」の門人説と、相州貞宗本人ではないかという説とがあります。

作風は、南北朝時代に流行した、寸延び幅広の姿に、得意とする湾れを表現。刃中に金筋や砂流なども見られるところも鑑賞のポイントです。

但馬国

法城寺派
「法城寺派」(ほうじょうじ)は、南北朝時代に法成寺国光が但馬国にある寺院「法城寺」に在住したことがはじまり。国光の作品は、短刀に在銘作がありますが、多くは薙刀を磨上げた刀や脇差などの無銘の作です。作品は、刃文に丁子乱れがにぎやかで、備前一文字に似た作風が持ち味だとされています。

中国地方の流派

伯耆国

古伯耆派

「古伯耆派」(こほうきは)は、伯耆国(現在の鳥取県)で平安時代後期より鎌倉時代初期にかけて活躍した刀派です。刀工には、「安綱」や「真守」、「有綱」、「貞綱」、「安家」、「真景」などが属していました。作風は、板目が大模様に肌立ち、地景や地斑を交えた沸の強い刃。腰反りの強い太刀や、肉厚で骨太な太刀が多く、造込みが雄大です。

刀 無銘 伝安綱
刀 無銘 伝安綱
無銘
鑑定区分
重要刀剣
刃長
79.3
所蔵・伝来
西園寺家→
豊臣秀吉→
西園寺家→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

備中国

古青江派

「古青江派」(こあおえは)は、青江派の前にあたる平安時代末期より鎌倉時代中期頃までに活躍した刀工刀派のことを呼びます。開祖の「守次」に続き、「貞次」や「為次」、「恒次」、「康次」などが古青江派の代表刀工です。地肌には沸(にえ)が目立ち、青く澄んだ中に黒い地斑(じふ)を見せる澄肌でチリチリと肌立っており、刀派独特の風合いがあります。

太刀 銘 正恒(古青江)
太刀 銘 正恒(古青江)
正恒
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
73.8
所蔵・伝来
足利将軍家伝来→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
青江派

「青江派」(あおえは)は、鎌倉時代後期から南北朝時代に、現在の岡山県倉敷市を中心に活躍した刀工群です。平安時代末期から鎌倉時代中期頃までの日本刀は古青江派とされ、大別されています。著名な刀工は、鎌倉時代の「直次」や「次吉」、「吉次」、「次直」です。

作風は、山城気質が強く現れていることが挙げられます。地鉄は、細かにつんだ模様が主流。澄肌(すみがね)は、古青江派と比べると澄鉄と呼ばれる独特の地斑が現れ、刃文は主流の直刃の他に丁子乱(ちょうじみだれ)もあります。

刀  無銘  伝青江
刀 無銘 伝青江
無銘
鑑定区分
重要美術品
刃長
71.8
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

備後国

古三原派

「三原派」(みはらは)は、備後国三原(現在の広島県三原市)に栄えた刀派。鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した刀工達を「古三原派」(こみはらは)と呼びます。代表的な刀工は開祖の三原正家(みはらまさいえ)、そして「正広」や「正光」、「政広」です。

作風は、大和国の寺院の荘園があったことから、大和気質が色濃く、直刃調に、流れ肌交じり白映りが現われる地刃です。帽子も丸く大きく返り、おとなしい作品が多いです。

刀 金象嵌銘 三原正広
刀 金象嵌銘 三原正広
(金象嵌銘)三原
正広
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
75.6
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

周防国

二王派

大和伝「二王派」(におうは)は、「清綱」(きよつな)を祖として周防国(現在の山口県)ではじまりました。二王派一門の繁栄は、南北朝時代から室町時代を経て新刀期にまで及びます。代表刀工は清綱をはじめ、「清久」、「清永」、「倫清」、「盛清」です。

作風は、大和気質の強い直刃調。匂口が締りごころとなり、刃にうるむところが現れ、地肌には柾が交じり、「箆影」(へらかげ)と呼ばれる映り状の物が現われます。

太刀 銘 清綱
太刀 銘 清綱
清綱
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
70
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

九州地方の流派

筑前国

古金剛兵衛派

「金剛兵衛」(こんごうひょうえ)刀派の初代は、「金剛兵衛盛国」(こんごうひょうえもりくに)です。筑前国大宰府(現在の福岡県太宰府市)ではじまったとされ、嫡流は代々、「盛高」と称しています。

「古金剛兵衛派」(ここんごうひょうえは)が栄えたとされる、鎌倉時代末期から南北朝時代期の日本刀はほとんどありませんが、唯一現存するのは、短刀「金剛兵衛尉源盛高/正平□四年二月一日」のみです。その後、金剛兵衛刀派は、室町時代末期まで続きます。地肌は大板目肌で、茎の形状を卒塔婆(そとば)の形にするのが、この刀派の大きな特徴です。

左文字派

左文字派」(さもんじは)は、南北朝時代初期に筑前国(現在の福岡県)で作刀した「左文字」(さもんじ)と、その子「安吉」をはじめとする一門の総称。古地刃の明るく冴えた相州伝の作風で、古典的な九州物の作風を変えたと伝わります。

左文字にならった刀工は、安吉や「行弘」、「国弘」などです。刃文は沸出来で、湾れや互の目が交じっているところが特徴的で、帽子は突き上げて先のとがった状態が多くあります。

太刀 銘 吉弘
太刀 銘 吉弘
吉弘
鑑定区分
特別重要刀剣
刃長
73.9
所蔵・伝来
備前池田家伝来→
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

筑後国

三池派

「三池派」(みいけは)とは、筑後国三池(現在の福岡県大牟田市)の刀工達のことを言います。その開祖は、平安時代末期の名工「三池典太光世」(みいけてんたみつよ)という刀工。

代表作は、前田家伝来の「大典太光世」(おおでんたみつよ)が広く知られています。三池の作風は、大典太光世以来、九州の古作に共通し、板目が盛んに流れ地沸付き、ねっとりとしていてやわらかそうに見える地肌が特徴です。

多くの作品に、小沸出来の直刃主調にほつれかかり、匂口が沈みごころとなる刃文を見せていますが、幅広で比較的浅い棒樋を好んだところに刀派の個性がうかがえます。

短刀 銘 光世作
短刀 銘 光世作
光世作
鑑定区分
重要美術品
刃長
28.1
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

肥後国

延寿派

「延寿派」(えんじゅは)は、山城伝の「来国行」(らいくにゆき)の孫と伝わる「国村」が開祖です。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて菊池郡隈府(現在の熊本県菊池市隅府)で繁栄。刀派を代表する刀工には、「国信」や「国時」、「国資」、「国泰」などがいます。

作風は、山城伝の来派に似て、地鉄の中に「流れ柾」(ながれまさ)の肌を交え、白気映り(しらけうつり)が立ち、帽子は大丸風に返るところが特徴です。延寿派の名は、「寿を延らえる」(年を延ばす)という意味があるとされ、日本刀は縁起物としても尊ばれました。

刀 無銘 延寿
刀 無銘 延寿
無銘
鑑定区分
重要刀剣
刃長
74.5
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

肥前国

平戸左派

「平戸左派」(ひらとさは)は、左文字の子孫による刀工が肥前国(現在の長崎県)「平戸」へ移ったことで、はじまったとされています。代表的な刀工は、南北朝時代に活躍した「盛広」と子「盛吉」です。

さらに、南北朝時代後期から室町初期にかけては、「守貞」と貞清がいます。平戸左派の刀は、刃文は浅く湾れ小互の目交じり。刃中には小足や砂流しが現れ、匂口沈みごころとなり、帽子は乱れ込んでいます。

日本刀の流派の特徴

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「五箇伝」の記事を読む


五箇伝(五ヵ伝、五ヶ伝)

五箇伝(五ヵ伝、五ヶ伝)
五箇伝とは、「大和伝」(奈良県)、「山城伝」(京都府)、「備前伝」(岡山県)、「相州伝」(神奈川県)、「美濃伝」(岐阜県)のこと。この5つの地域に伝わる日本刀作りの伝法は、独特であると同時に、優れた技術を互いに共有し、発展したのです。以下、五箇伝と呼ばれる、伝法の歴史と特徴をご紹介します。(※なお「五箇伝」は、「五ヵ伝」「五ヶ伝」と表記する場合もあります。)

五箇伝(五ヵ伝、五ヶ伝)

大和伝

大和伝
「大和伝」(やまとでん)は、作刀における5つの伝法「五箇伝」(ごかんでん)のひとつで、現在の奈良県で平安時代より発展した最も古い伝法です。大和伝による作刀は、他の伝法に比べてあまり現存しておらず、博物館などで鑑賞できる機会は非常に貴重だと言えます。そんな大和伝において、「刀剣ワールド財団」に所蔵刀がある流派、及び刀工を中心にご紹介します。

大和伝

山城伝

山城伝
「山城伝」(やましろでん)は、平安時代後期以降に現在の京都府南部に当たる「山城国」で興った鍛刀の伝法です。同国は、日本における政治の中心地として、公家や貴族が集まっていたことにより、この山城伝を含む「五箇伝」(ごかでん)のなかでも、山城伝は優雅で美しい姿である刀が多く作られていました。山城伝の歴史を紐解きながら、「刀剣ワールド財団」が所蔵する山城伝の刀について解説します。

山城伝

備前伝

備前伝
「五箇伝」(ごかでん)のひとつである「備前伝」(びぜんでん)は、平安時代後期より、現在の岡山県東南部に当たる「備前国」で発達した鍛法です。 日本における刀の一大生産地として、備前伝が「刀の代名詞」と評されるまでに発展した背景には、どのような歴史と特色があったのかについて、「刀剣ワールド財団」所有の備前刀をご紹介しながら解説します。

備前伝

相州伝

相州伝
「正宗」(まさむね)と言えば、日本における刀史上、最高と評される名工です。そんな正宗は、5つの地域で発達した鍛刀の伝法「五箇伝」(ごかでん)のうち、相模国(現在の神奈川県)で誕生した「相州伝」(そうしゅうでん)を完成させたことでもよく知られています。 この相州伝がどのような経緯を経て確立され、どんな特色があったのか、「刀剣ワールド財団」が所蔵する同伝の刀を通じて紐解いていきます。

相州伝

美濃伝

美濃伝
日本全国における刀の5つの生産地に伝わる鍛法「五箇伝」(ごかでん)の中で、最も新しい時代に発達した「美濃伝」(みのでん)。南北朝時代、そして戦国時代において、美濃国(現在の岐阜県南部)で急速に発展を遂げた伝法です。 美濃伝がどのような背景を経て興隆していったのか、その歴史や特色を見ていくと共に、「刀剣ワールド財団」所蔵の美濃刀についても解説します。

美濃伝

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